愛による矮小化
雄生は夢を見る。
「オニイチャン……コロシテ……」
またしても、あの悪夢だ。ノイズに満たされた空間は酷く歪んでおり、雄生の数多の記憶の断片が映像として映し出されている。地面も壁も、天井もない。そんな空間において、彼は「自分が立っているのか否か」さえも見失ってしまう。
「雪吹……教えてくれ! アンタは今、どこにいるんだ!」
「コロシテ……コロシテ……」
「雪吹! オレのことが、わからないのか!」
「コロシテ……
「ふ、雪吹……」
傍目に見て、会話が成立していないことは一目瞭然だ。今の雪吹は、まともに言葉を紡げる状況にない。空間は勢いよく崩壊し、雪吹の存在はまたしても歪みの中に消えていった。
*
一方、翔也は街の一角にて、上目遣いで懇願する。
「おじさん。どうしてもダメ? ぼくたち、同盟を組めない?」
ここで働くのは、彼の曲解――ベビースキーマだ。長治の鋼の意思は大きく揺らぎ、その表情には迷いが生じ始める。それから数秒の静寂が訪れた。カラスや鳩の鳴き声と、風の音。ただそれだけの旋律が、両者の間の緊張感を演出していた。
沈黙を破るのは、長治だ。
「もうしょうがないなぁボウズ! ボウズの頼みとあったら、断れるわけないだろうよ」
交渉成立である。今の彼は完全に心を射抜かれ、眼前の少年を庇護せざるを得ない有り様だ。
「ありがとう、おじさん!」
「よーしよしよし、ボウズはお礼ができて偉いなぁ」
すっかりベビースキーマに堕とされた彼は、翔也の髪を撫でまわす。その豹変ぶりに、翔也は狼狽するばかりであった。
さりとて、翔也の曲解は誰にでも通用するわけではない。
「ターゲット、見っけ!」
そんな軽妙な声と共に、機関銃を携えた浪風香琉が現れた。長治は翔也の前に立ち、鋭い眼光で彼女を睨みつける。
「銃を下ろせ。それより、話をしよう」
「話? そんな威圧的な目で、何を話すつもりなの? 物騒なこと?」
「違う。これは、俺にとっても、お嬢ちゃんにとっても旨い話だ」
辺り一帯に、張り詰めた空気がほとばしる。その重苦しさを噛み締めつつ、両者は眉間にしわを寄せている。今にも闘争が始まりそうな雰囲気に、翔也はただただ怯えるばかりである。
香琉は問う。
「どんな話?」
長治は答える。
「俺とボウズは同盟を結んでいる。誰が勝っても、叶えられるのは同じ望みだ。かつてあった社会を取り戻す。平沢財閥の天下を終わらせる。それを実現するために、お嬢ちゃんの力を貸して欲しい」
普通なら、この話に乗らない手はない。事実として、平沢財閥に全てを握られた世界は息苦しく、双方にとって不都合なものと言って相違ない。
しかし香琉は応じない。
「分散していた権力が一点に集中しただけで、世界は前々からずっと病的だよ」
「……つまり、交渉には応じないと」
「誰も生まれない世界に優るものはない。だから香琉ちゃんの願いは、変わらない。誰も生まれなければ、権力も社会基盤も関係ないもん!」
それが彼女の答えだった。長治は深いため息をつくが、まだ説得を諦めない。
「誰も生まれない世界――か。今の俺たちの老後は、誰が支えてくれるんだ? 愛も、娯楽も、ひいては正義も……人間の営みを前提に成り立つものだ。それがどれほど美しいものか、お嬢ちゃんにはわからないのか?」
「何も美しくなんかない! 愛、愛、愛! あんたたちはいつもそう! 愛があるから乗り越えられるとか、愛があるから素晴らしいとか、そうやって全ての不幸を矮小化してきたんだ!」
「そうか、そうか。一人の大人として詫びよう。こんな時代を築いてしまって、本当にすまなかった。だが、平沢財閥の天下を終わらせるためであれば、俺はお前さんを打ちのめすだけだ」
結局、この二人も戦うしかない。話し合いで全てが片付くほど、この街は甘くないのだ。




