野営戦 ―アンナ―
二人の氷狼の決着がつく少し前。フェルディナ軍中央――本陣周辺では、姿を見せたアスラン軍の主力部隊を前に、防衛小隊を率いたジンリェンが対峙していた。
「やっと出てきたか」
低い呟きと共に、片手に構えた炎槍の穂先が再び淡く燃え上がる。
「随分と目立つ場所にフェルディナは本陣を構えたのだな。それは落とされないという自負からか?」
「そうだな、ここを守るのが俺たちの役だ。通すつもりはないぞ」
何も提げていない喉元を射抜くように鋭い双眸が向けられる。直後、薄く地を這っていた氷が瞬く間に伸び、爪先に触れた。考えるよりも先に左手に握った槍を横一文字に振るう。何かが爆ぜる音と共に炎が弾け、迫りくる氷が一瞬で蒸気へと姿を変えた。
「ここで止めるぞ!」
ジンリェンの叫びに呼応するように、後方で指示を待っていたランシーとライヤンが動き出す。
「ライヤン、右から挟め! ランシー、お前は前線を引きつけろ!」
「了解!」
「こっちは任せろ、ジン!」
仲間たちへと襲い掛かる氷を焼き払う。広範囲に広げた炎によって蒸発した氷が視界を遮るが、それに構う暇はない。
アスラン軍の氷は極限まで鍛えられている。質も量も並ではない。それは彼らが古より氷と共に生き、それを誇りとする者たちであるからこその力だと、ジンリェンは考えている。
フェルディナでは炎の扱いに関しては自身の右に出る者はいない。そう自負もしている。そんな自身の炎をもってしても、彼らの氷を溶かし切るには時間がかかる。だが、それがどうしたというのか。
眼前に立つ犬獣人の男が、力強く片足を地に踏みしめた。途端に体に跳ねて付着した泥水が銀の花を咲かせる。炎の能力など関係ない。そう言わんばかりの凍結の速さに、自然と笑みが零れた。
炎が氷に塗り替えられる。自然界ではありえない現象。しかしそれすらも、ジンリェンにとっては想定内の出来事だった。
「悪いが、氷の能力持ちには慣れているんだ」
脳裏に浮かぶのは、いつも不敵に笑う狼男の姿だった。昔からそうだった。隣を歩いているようで、気付けば力強く手を引かれている。
そういえば、あいつは宿敵と決着を付けることができたのだろうか。伝令ではフーリェンが殺られたと聞いた。敵将を前に生き残ったアドルフの隊と合流したところまでは報告が上がっているが、その後のことは知らされていない。だがこれだけ激しい戦闘の中で敵軍の増援がないことを見るに、まだ足止めはできているのだろう。
ならば、自身の役は一つである。
「舐められたものだな。いくらフェルディナと言えど、三小隊で俺たちアスラン軍を止めることができるとでも思っているのか?」
「ああ、そうだよ」
ジンリェンはそう低く呟くと、白槍を背に回し、両手を突き出した。再び沸き上がった熱の壁に反射した琥珀の瞳が橙に煌き、真っ直ぐにアスラン兵たちへと向けられる。
勢いを増した炎の渦に先頭に立つ犬獣人の男が目を奪われた、その時。リンリンと、耳元で小さく鈴の音が聞こえた。
「……合図か」
ジンリェンは小さく息を吐くと顔を上げた。周囲を見渡せば、仲間たちによって誘導されたアスラン軍の隊列が徐々に中央の窪地に集まりつつある。何かに気がついた犬獣人の男が眉をひそめる。その瞬間、図ったかのように丘の上に新たな気配が立った。
地をも震わせる重み。そして、それを迎える静かな風。ジンリェンの琥珀の瞳が、一人の少女の姿を捉えた。
「アンナ」
僅かに朝日が見え始めた空の下、全てを見下ろすように立つその影。戦場を包み込むような威容に、兵たちは息を呑む。
フェルディナ陣営大将アンナ。
彼女の能力は「重力操作」。彼女の視界に入る限り、その能力から逃れる術は、無い。
「――ライヤン!」
ジンリェンが名を呼ぶと同時に、ライヤンはすかさず力を解き放った。その場にいた全てのフェルディナ軍兵士の体が、瞬時に光の残像を残しながら消えていく。次の瞬間には、兵士たちは窪地の外周――高地の縁へと一斉に転移していた。
「……な、何だ⁉」
アスラン軍の兵士たちは、突然窪地に取り残されたことに気づく。視界が広がり、周囲の地形が鮮明になるにつれ、自分たちがすでに罠に嵌められていたのだと悟る。
「退け!」
犬獣人の男が吠える。だが遅い。丘の上、静かに立っていたアンナがゆっくりと両の手を広げるのが、ジンリェンには見えた。
「……頑張れ私!」
囁くような声だった。アンナが眼下の兵士たちへ躊躇いなく手を振り降ろす。その直後、轟音とともに大地が軋んだ。
「な……ッ!」
窪地の中心――アスラン軍が密集するその真下から、歪んだ重力の奔流が一気に炸裂した。地面が割れ、幾重にも亀裂が走る中、取り残された兵士たちがその場に縫い留められるように次々と膝を折った。
「動けっ……動け……!」
誰かの叫びも虚しく、前進どころか立ち上がることさえままならない。
目に見えない圧が体へと圧し掛かり、窪地全体を包むその光景はまるで天地が逆転したかのようだった。やがて兵士たちの悲鳴は止み、辺りが静寂に包まれる。
「さあ、これで終わりにさせてもらいますよ」
囁き声とともに、ライヤンが敵将の首元で揺れていた印を引き抜いた。
「大将戦死。フェルディナの勝利」
カチャリと音を立てて男の首から印が外れたその瞬間、アスラン軍大将バルドの戦死が確定した。




