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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第4章

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野営戦 ―氷牙―

【登場人物】

バルド…アスラン王国軍副将。ヘルガーの一番弟子。

アドルフの偵察小隊と合流したフーリェンたちは、一息つく間もなく、互いに素早く情報を交換していた。


「こちらはフェイクを一つ奪取。でダズール隊が戦死、南西の境界線に空が生じていると聞いた」


フーリェンの言葉に、アドルフは頷いた。


「その穴を塞ぐため、俺たちは一度境界線まで戻る。敵はフェイクを潰す方針に切り替えたようだ。可能な限り、陽動部隊には注意を引きつけ続けてほしい」


月明かりの届かぬ森の一角に獣人たちの影が揺れる。白銀の毛並みを揺らすフーリェンが、静かに右手を差し出した。アドルフもそれに応えるように手を伸ばす。


「無理はしないでくれ。お前たちお陰で、こちらは自由に動ける」

「……それは、こっちの台詞だ。お互い、役を果たすまで」

「じゃあな――また夜が明ける前に」


アドルフ隊が身を翻し、フーリェンは手短に背後へと指示を飛ばす。


「次は西側斜面。印を持つ個体を探す――」


その時だった。森を包む空気が、突如として変わった。


「……っ、冷たい?」


誰かが呟いた直後。大気が重く沈み、風が止む。代わりに、地を這うように白いものが広がっていく。一瞬で足元の土が凍てつき、草が白く霜に覆われていく。その凍結は留まることを知らず、まるで波のように前方から押し寄せた。


「全員後方15メートル、跳べ…!」


フーリェンの叫びと同時に、猫科の獣人たちが反射的に身を翻す。それぞれがすぐさま地形を読むように動き、凍りゆく地面からわずかに飛びのいた。次の瞬間、氷の波が彼らの足場を覆い尽くす。わずかに遅れていた者も、他の仲間に引き寄せられるように引き上げられ、辛うじて間一髪、氷の海を逃れた。木々は根ごと凍り、次の瞬間には砕けて崩れる。


「……っ、化け物かよ……」


誰かが呟いたそのとき、氷の帳の奥に影が見えた。まっすぐに歩み出る灰色の狼――その背にはアスランの紋章。彼が一歩踏み出すたびに、足元から凍気が這い出し、大地を白に染める。その肩越しに続くのは、同様に冷気を纏う兵たち。氷の進軍。その中央に立つ男の目が、ぴたりとフーリェンの姿を捉えた。闇夜にも光り輝く黄金の瞳に灯るのは、静かな敵意と冷徹な判断力。


――ヘルガー。アスラン軍の中核を担う将。


無言のまま、氷の軍がじわじわと迫ってくる。その一歩一歩が、森の静寂を凍てつかせ、緊張を極限まで高めていく。フーリェンは、雪豹の姿のまま目を細め、息を殺した。次の瞬間には軽く尾を振り、仲間たちは動き始める。訓練された猫科の陽動隊は、即座に配置を取り直し、退路と反撃の道筋を作り出していく。氷の波が地を這い、森の表層を白く塗り替えていく。その進行は遅くもなく、速すぎもしない。まるで逃げ道を考える隙を与えながら、確実に追い詰めてくるような、冷酷な刃のようだった。


フーリェンは地を這うように低く身を伏せ、敵の構成を見極めていた。――前方、先陣に立つのはヘルガー自身。その後ろに連なるのは、全員が氷の属性を宿した獣人たち。狼、犬、北方の熊獣人すら混ざっている。氷の鎧を纏ったような体格と気配が、敵陣の戦力の高さを物語っていた。


機動力に特化したフーリェンの陽動隊と偵察向きのアドルフ隊に対し、その編成はあまりにも不利だった。攻撃、耐久、統率力。そのどれを取っても、あちらが上。フーリェンは即座に撤退経路を頭の中で組み立てたが、瞬時にそれを打ち消す。


――無理だ。


地形はすでに敵の氷で変質し、足場は奪われている。風下も抑えられているため、音も匂いも敵に先読みされやすい。さらに厄介なことに、彼らの中には広域凍結が可能な能力者が複数いる。もし後退に移ったとしても、逃げ場ごと凍てつかされる可能性が高かった。


正面突破以外に、生き残る道はない。


その瞬間、後方の大木に身を隠していたアドルフが、短く指笛を吹いた。それは「連携する」という合図。雪豹の耳がぴくりと動き、木々の上を伝って静かに彼のもとへ降りていく。


「氷系の能力者が揃ってるな。あれは恐らく本陣だ」


耳元で囁かれる声は、状況の緊迫に反して落ち着いていた。


「俺の隊、囮に切り替えてもいい。せっかくの援護だったが、……お前たちが抜ける時間を作る」


フーリェンは即座に、低く唸るような声で応じる。


「馬鹿を言うな。……こっちには、印持ちが二人もいる」


自身とアドルフ、どちらもフェイクとはいえ、“印”を所持している。野営戦のルール上、印を持つ者が倒されれば、所属隊は“戦死”と見なされ、即座に戦線を離脱しなければならない。それは、戦力の大きな欠損を意味する。しかも今、この場所は中央陣からそう遠くない。ここで敗れれば、敵はそのままフェルディナ本部まで雪崩れ込むだろう。


ここは、潰されていい場所じゃない。


フーリェンは静かに、雪豹の姿のままアドルフに顔を向けた。


「お前の隊を後衛に回せ。正面は僕たちが受ける」


アドルフは一瞬だけ言葉を飲んだが、すぐに頷く。


「……了解。背面の反撃には回れる。あとは――お前の“動き”次第だな」


その言葉と共に、アドルフは再び木々の中へ溶けていく。フーリェンは陽動隊へ短く吠えた。


「全員、散開。正面は避けて、左右から挟み込め」


月明かりがわずかに強まる。その下で、猫科の獣人たちが流れるように走り出す。木立を駆け、凍気の縁をなぞるようにして敵陣の側面へと潜り込んでいく。氷の軍勢がそれに気づいた瞬間、反応が起こる。氷柱の矢が放たれ、前方の木々が粉々に砕け散る。


フーリェンは走り出した。


真正面――凍気の中心へと、ただ一匹、雪豹が疾走した。風を裂くような速さ、氷が届く直前で地を蹴る。


「――行かせるか」


ヘルガーの声が響き、氷の壁がせり上がる。その壁を突くように、別方向から飛来した石弾がぶつかり、わずかに角度が崩れる。後衛に回ったアドルフ隊の投石。その隙を突いて、雪豹が氷壁の隙間を抜けた。全身に冷気を浴びながら、一陣の風のように敵前線を切り裂いていく。敵の攻撃力は高く、守りも厚い。だがフーリェンたちが持つのは、戦局を読み、瞬時に対応できる“柔軟さ”と“速さ”。


フーリェンは、迷わない。ただ真っ直ぐに、敵将の懐へと突き進んでいく。敵の強みを真正面から受け止めつつ、その隙を突く戦いが、今、静かに始まったのだった。



**

数刻前―アスラン陣営本部


夜の深さが最も増す刻――森を包む冷気は、ただの自然のものではなかった。凍てつくような静寂と薄氷が、足元を這うように広がっていく。


「……フェルディナの防衛線が一部崩れたとのことです」


伝令班の報告に、ヘルガーは目を細める。暗がりの中でも冷たく光るその瞳は、既に次の手を導き出していた。


「出撃の準備をしろ」


その一言の後に、周囲の兵がすぐさま整列を開始する。ここに集うのは、氷を扱うことに特化した精鋭部隊。一騎当千の選りすぐりが並ぶ中、彼らの中心には、もう一人の氷を統べる者がいた。


「バルド」

「はい」


呼ばれたのは、アスラン軍副将・バルド。大柄な犬獣人でのその男は、氷の扱いにおいてはヘルガーに次ぐ実力を持つ。鍛え上げられた身体、無駄のない動き――その全てが規律と経験の賜物だった。


「後方で待機していた分、一気に突き抜ける。お前は左翼を率いろ。俺は中央から正面突破を狙う」

「了解」


短く交わされるやり取り。だがその一言に込められた信頼と重みは、周囲の兵たちの士気すらも高めていた。出撃の号令がかかると同時に、地面を伝って白い霜が広がっていく。凍りつく枝、ざわめきを潜める木々――森が彼らの存在に凍りつき、音を失ってゆく。


その時、斥候が息を切らしながら飛び込んできた。


「報告です! 東側にて遊撃隊を翻弄していたフェルディナの陽動隊が別小隊と合流!印持ちが二名いる状態です」

「猫科の獣人たちか……」


ヘルガーの眉がわずかに動く。


印持ちが二名。野営戦開始から、フーリェンの名がまったく上がっていないのも奇妙なこの状況。全軍を見渡す情報の中で、第一、第二、第三軍の主要幹部の名前は戦場のあちこちから報告されていた。だが、第四軍の白狐の隊長の動向だけが、まるで闇に沈んだままである。


「進路を変更する。バルド、先に潰すぞ」


進行ルートの調整を即座に下す。本来突くべきフェルディナの中央部ではなく、あくまで先に“目障りな存在”を落とす。印が本物かどうかは、問題ではない。あれだけの陽動を指揮できる者なら、――潰すに値する。


夜の帳を裂くように、氷の部隊が音もなく進み始めた。

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