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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第4章

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野営戦 ―印3―

【登場人物】

エデン…第三軍所属の鼠獣人。小柄な体格と身軽さを生かした戦闘が得意な若手。

夜が深まるほどに、森は静寂と混沌を同時に孕んでいく。


中央境界線――フェルディナ陣営の中枢を守るジンリェンの隊は、依然として前線を維持していた。樹々の合間を縫うように揺れる炎。彼の能力によって制御された"偽の焚火"は、敵兵を撹乱し、戦線を狭めるための罠でもあった。


「三時方向、隠れてるのがいる。回り込め」


炎の影がちらつく闇の中、落ち着いた口調で指示が放たれる。声は決して荒げず、しかし聞き逃すことは許されない圧を纏っている。その言葉に従い、隊の兵士たちが音もなく地面を這い、迂回路を通って敵へと近づいていく。揺らめくそれに意識を囚われたその一瞬、静かに背後から押さえ込み、戦闘不能にする。


「無力化。三名確認」

「こちらも一名拘束。大将印なし、指揮官でもありません」

「……了解。次のルートへ誘導、火を少し北へずらす」


報告と指示が、呼吸のように滑らかにやり取りされていく。中央を担う隊でありながら、ジンリェンの隊は“守る”のみに留まらない。彼らは今、――ある“仕掛け”の準備に入っていた。


ジンリェンは炎の気配を拡げながら、じっと森の奥を見据える。遠くの空に、うっすらと月が出てきた。その輪郭はまだ弱く、夜明けまではまだ時間がある。


「……穴が空いた分、こっちに流れてくる」


呟いたその声に、すぐさま兵士たちが頷く。


「既に周囲には、少数のアスラン兵と思われる気配が散見されます。恐らく、様子を見ながら接近中かと」


ジンリェンはしばし目を伏せ、指先に赤く小さな火を灯した。


「なら、“見せて”やればいい。こちらがどこまで許すかを」


炎に照らされた琥珀の瞳が、青々と茂る森の中へと向けられる。

 

「火を少しずつ下げろ。防線のラインも、中央に寄せていく」


それは、“迎撃”ではない。


「こちらの防備は厚い。…タイミングを合わせれば、確実に潰せる」


ジンリェンの言葉に、兵士たちは無言で頷き、次々と位置を変えていく。燃える炎は徐々に範囲を狭め、敵からはまるで追い込まれているように見える。自らも前線に進み出る。その瞳には冷ややかな光が宿っていた。


「まだ夜は長い。焦る必要はない」


風が揺れるたび、炎が小さく跳ねる。兵士たちは足並みを揃える。明々と燃える炎を手に、中央へと後退していく。


全てを、中央へ。集めろ。引き寄せろ。


そのすべてを――"圧し潰すために”。




――――

咆哮が、森の緊張を引き裂いた。


「印持ってるぞッ! 全員、突っ込めェェ!!」


南西の斜面で激しくぶつかり合う小隊の中、ランシーの雄叫びが響いた。豪快な猪獣人たちの突撃部隊。足音も遠慮も知らず、力任せに敵陣をこじ開ける彼らの前に、アスラン軍は焦ることなく展開していた。混戦の中、ランシーの目はすでに敵指揮官を捉えていた。首元、布の下。ちらりと光る、銀色のタグ。


斜め後方でぶつかっていた味方兵に目配せすると、すかさず叫ぶ。


「エデン! 右から回り込め! お前の足ならいける!」

「任せろ!!」


応じたのは小柄な鼠獣人の兵士。重戦力が多い彼の隊の中では異色だが、その機動力と跳躍力は折り紙付きだった。同時にランシーは自身の斧を振るい、敵の盾持ちを正面から叩く。その一撃は重く、鋼を巻いた盾ごと敵兵を地面に叩き伏せた。


衝撃に隊列が崩れた一瞬。エデンが盾持ちの間をぬって飛び出す。地を蹴る音が一拍遅れ、次の瞬間には宙を滑るように敵指揮官の背後へと回り込んでいた。敵指揮官も即座に反応し、背中の太刀を振り払おうとしたその瞬間――


「おらよ!」


再びランシーの声。すでに一歩先んじていた獅子の男が、敵指揮官の死角を塞ぐように接近する。その鍛え上げられた体躯が放つ殺気に、敵は一瞬注意を奪われる。


エデンはその隙を逃さなかった。


跳躍からの流れで、腕を振りぬく。刃ではなく、爪先に括りつけた小型の鉤爪。それが、敵指揮官の首元に巻かれていた印を掠め取る。


「取った!!」


声が上がった瞬間、敵指揮官がぎょっと目を見開いた。周囲のアスラン兵たちにも動揺が走る。


「印保持者がやられた!」

「戦死扱いに切り替え! 各隊、即時後退を!」


アスラン兵たちは素早く連携し、混乱を見せずに次々と森の奥へと身を引いていく。その姿は整っており、やはり彼らも訓練された精鋭であることが伺えた。ランシーは肩で息をしながら、エデンのもとへ駆け寄る。


「でかしたエデン!」

「へへ……やってやったぜ」


彼は笑みを浮かべながらも、手の中に握った小さなタグをしっかりと見せる。月光に輝くそれは、まぎれもなくアスランの“印”――。ランシーはそれを受け取ると、ほんの一瞬だけ静かにそれを見つめる。


(……フェイクか。だが、一つ奪った。…ここからだ)


周囲を見回し、撤退していく敵影を最後まで見送ったあと、隊員たちに号令をかける。


「戻るぞ! 次の隊と合流しつつ、前線を維持! 気ィ抜くなよ!!」

「おうッ!!」


戦場の中で確かな勝利を掴んだ彼らは、闇の中に再び身を沈め、次なる戦線へと足を進めていく。その背には、奪い取った“印”の重みと、託された者としての覚悟が、しっかりと宿っていた。

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