野営戦 ―印―
風が木々の間を通り抜け、葉音を残していく。それに溶け込むように数名の獣人の影が走った。
雪豹の姿となったフーリェンは猫科獣人のみで編成された小隊を率い、森の暗がりを縦横無尽に駆けていた。
その背後に迫るのはアスラン軍の遊撃隊。彼らもまた頭領の命に従い、印奪取を目指してフーリェンを追っていた。
「第二班、東の丘へ。回り込みながら姿を見せろ」
「了解ッ」
短い指示に動きを止めない隊員たち。異なる軍に所属しながら連携がここまで成立しているのは、同じ速度で駆けるる獣の性故だろうか。
先頭を走るフーリェンが足を止めた。
地が、揺れている。
途端に前方の斜面が歪むように波打った。跳躍して木の枝に身を乗せた次の瞬間、足元の地面が隆起する。大地が牙を剥いたかのように、岩が地中から突き出した。
「下がれ、崩されるぞ!」
味方が一斉に左右へ散開する。直後、地面が大きく沈み込み、それと同時に一直線に土の壁が立ち上がった。その陰から現れたのはアスラン軍の別働小隊。
その陣頭には、ひときわ体格の良い虎獣人の男が立っている。足元から伝わる大地の振動が、その男の周囲で強くなっていた。森の一帯が迷路のように変貌し始めた。
「……厄介だな」
その男の首元。月光が照らす銀色の光が視界に入る。
『印』
それはまさに今、彼自身の胸元に揺れているものと全く同じ形状をしていた。後ろには遊撃隊。このままでは挟まれる。
味方に向けて小さく尾を振る。作戦変更の合図。
「印を確認。一班、煙を展開しろ。二班は進路を変更、左へ回り込め。僕が行く。他を頼む」
「了解!」
雪豹の体が低く地を這い、闇へ紛れる。
どちらでもいい。まずは確保。本物であろうが偽物であろうが印を握っている以上、戦術的な価値はある。
フーリェンは静かに息を吐き、地面を蹴った。その体が一閃、風のように前へ躍り出る。
目標は地を操る指揮官の男。地面が再びひび割れ、鋭く尖った岩槍が突き出てくる。その一撃をひらりと躱し、陽動隊の面々はそれぞれ斜面を駆け上がる。
地に足を付けた瞬間、足元が弾けた。
応じるように隆起する岩塊。考えるよりも先に、身体が反応する。
空中で半回転しながら体を捻る。背中の白槍を引き抜き、そのまま急降下。下段からすくい上げるように振う。鋭い金属音。虎獣人の男は岩を前面にせり上げ、盾のようにして防ぐ。
正面は難しい。ならば――。フーリェンは身を深く沈め、旋回した。右足が地を擦り、砂利を舞わせる。それを目くらましに空いた横腹へと槍を叩きこむ。
「ぐっ……!」
男の視線が槍の動きにつられた、その刹那。フーリェンの目が男の首元で輝く印を捉えた。側面から狼獣人が割って入る。その手に握られた短刀が、迷いなく自身の首元へと迫る。
背後から気配。身をよじらせその切っ先を回避すると同時に、死角から仲間の隊員が姿を現す。
弾かれた短剣が月影を背負う。隊員の作り出した一瞬の隙。
フーリェンは迷わず槍の穂先を反転させ、握る左手に力を込めた。
彼の動きに合わせて、仲間の一人が後ろ足で地面を蹴り上げる。砂が舞い、相手の視界を微かに乱す。
フーリェンは重心を極端に前に傾け、身体を滑らせるように男の懐へ飛び込んだ。
槍の先が、まっすぐに首を狙って走る。
「ッ……!」
音もなく、革紐が断ち切られた。フーリェンは右手でそれを掴み取ると、槍をくるりと回して見せた。防御の構えを見せた敵に、追撃は加えない。
動きが止まった。彼の背後で構えていた兵士たちも即座に武器を伏せる。印を奪われた時点でその小隊は“戦死”扱いとなる。それ以上の戦闘は、許されていない。
「……やられた、か」
虎獣人の指揮官が息を整えながら口を開く。
「見事な連携だった。このまま進むのか?」
「まだ、夜は明けていない」
短く返すと、フーリェンは背を向けた。
「お前たち、撤退だ」
指揮官の男が仲間を引き連れて後方へと姿を消す。その声を聞いていたのか、背後まで迫っていた獣人たちの気配がすっと離れていくのをフーリェンの耳は捉えていた。情報を回すのか、あるいは別働隊へと目標を変えたのか、それは分からない。
風が彼の尾を揺らし、白銀の斑が月に照らされる。フーリェンは再び仲間たちの先頭に立つと、光の届かない森の奥を目指して走り出した。
その手には、奪ったばかりの印が握られていた。




