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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第4章

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開戦準備

南門の外は、静寂に包まれていた――。王宮の広場に整列する兵士たちをジンリェンは静かに見つめていた。目の前にいるのは、各軍から選抜された選りすぐりの兵士たち。各軍の色を纏い、槍や剣、弓を携え、出発を今かと待つその目は、真っ直ぐに前を見据えている。


その中に、見慣れた狐耳を見つける。


第四軍の列の最前。肩をわずかに落としながらも、整然とした隊列の流れを見守る弟の姿に、つい口元が緩みかける。


よくやっている。ジンリェンは心中でそっと呟く。感情を滅多に顔に出さぬ弟の、背中に宿る緊張を兄である彼だけは読み取っていた。やがて、気配がもう一つ隣に現れる。視線を向ければ、そこに立っていたのはヘルガーだった。獣人特有の鋭い感覚が、出発前の兵たちの士気と動きを敏感に捉える。


「今日が本番だ。ここまでは、序章に過ぎん」


ジンリェンはその言葉に、うっすらと笑みを浮かべる。


「お互い、手を抜かずにいこう」


それきり、互いに無言で頷き合う。そして二人はそれぞれの陣営へと静かに歩を進めた。


号令が響いたのは、日が完全に昇りきる前のことだった。


「――フェルディナ軍、前進!」

「アスラン軍、続け!」


その声に合わせて、王国軍の先頭が動き出す。列の先頭を担うのは第一軍の隊長であるジンリェン自身だった。馬を使わず、すべての兵が徒歩で移動する。それは実戦さながらの行軍であり、兵士たちの体力と隊列の練度を試す一環でもあった。彼の後ろには第一軍、そして第二軍と続き、さらに第三軍、第四軍、アスラン軍が長く連なる。彼は背後を振り返る。後方にいる弟の姿を目で追う。


第四軍の行軍は他軍に比べて音が少ない。足並みが乱れることもなく、荷車の揺れも最小限に抑えられている。風に揺れる白髪と、冷静な瞳――。フーリェンの視線は全体を捉えていた。それでいて自らの動きに乱れはない。今や最前で兵たちの指揮を執るその姿は、かつて誰とも目を合わせられず、他者の気配に身を強張らせていた頃の面影を、遠い記憶の中に追いやるほどだった。


同じ姿形をした兄弟でも、歩いてきた道は決して重ならない。背に宿すものが違えば、辿り着く場所もまた違う――そんな当たり前のことを、今さらのように思い知らされる。それでもなお、あの背中を、ジンリェンはどこか誇らしく感じるのだった。


――――

目的地に到着した一行は、地形の確認もそこそこに設営に取りかかっていた。


「第一軍、北側丘陵に展開。テントは風下。布は低めに張れ」


ジンリェンの指示は簡潔で早い。それでいて、的確に全体を動かす力を持っていた。


設営中も彼の目はよく動いた。味方の陣を確認しながら、アスラン軍の布陣も遠目に把握する。アスラン軍の動きは静かで柔軟だ。人よりも地の気配を読む獣人たちは、少ない指示で配置を整えていた。


そして――


「第四軍、杭を二重に打て。風が西から強くなる」


風に乗って、弟の声が聞こえてくる。ジンリェンはそっとその方向を見やる。風でなびく布の陰から、フーリェンが布幕を自ら張っている姿が見えた。誰一人として無駄な言葉を発せず、それでいて確実に作業が進んでいく。ジンリェンは無言で頷いた。かつて自分が第一軍を任された時とは、また違う統率の形。けれども、それは劣るものではない。むしろ――


「……良い軍に、なったな」


呟きながら、彼はまた己の持ち場に視線を戻した。


第二軍では、シュアンランの指揮のもと着々と準備が進められていた。無駄のない配列、等間隔に張られる布、均一な張力。視線一つで部下が動く統率力は、静かだが鋭かった。


第三軍のテント群からは、設営作業の中に笑い声が混じっていた。


「杭こっち! おい、そこじゃない!」


ランシーの豪快な声に、部下たちが冗談を飛ばしながら杭を打つ。


全軍それぞれの個性が、設営という動作の中にも色濃く表れていた。やがて太陽が天頂を越える頃、野営地には整然とした陣形が完成していた。丘陵を背に並ぶ各軍の幕舎は、まるで静かな意思をもってこの地に根を張ったようだった。風の通り、陽の射し方、周囲の視界。それぞれの隊が地形を読み取り、最適な位置に身を落ち着けている。


その中でも、中央の小高い平地に設けられた第一軍本部の大天幕には、四名の直属護衛が集まっていた。地図と資料が広げられた卓を囲み、ジンリェンが手短に言葉を発する。


「日没と同時に開始。明朝には撤収、分かっていると思うが――一度きりの本番だ」


場が自然と静まる。


「確認するぞ。形式は“大将戦”。各陣営の大将一名に『印』が与えられる。その印を奪った陣営の勝利だ」


ジンリェンが卓上に置いたのは、光を鈍く反射する銀のタグ。装飾はなく、戦場で視認しやすい程度の意匠が施されていた。


「ただし、今回は趣向を加える。フェイクを複数用意してある。どれが本物か、敵陣営にはわからん」

「本物の“大将”以外にも、同じ印を付けた“囮”がいるというわけだよな」


シュアンランが確認するように言った。


「その通りだ。囮は最大で四名、フェルディナとアスラン、双方に配備される。実際に本物を知るのは、各陣営の指揮官のみとする」

「大将は俺たちが担うのか?」

「今回は違う。フェイク自体は各軍から選抜した者が付けるが、大将については俺たち直属護衛、あっちの大将以外が“印”を帯びることになっている。俺たちはあくまで補佐、あるいは指揮に回る役だ」


フーリェンが地図の端に視線を移しながら問う。


「 ……開戦後の移動・追跡・偵察は自由だったよね」

「つまり、伏兵・奇襲・擬態、なんでもあり……と」


ランシーがにやりと笑った。


「獣人も人も、狩りをするときは静かだ。今回の戦は“力”ではなく、“戦術”のぶつかり合いになる」


静かに告げるシュアンランに、ジンリェンが頷きを返した。


「今回の相手はアスラン。全員が獣人で戦場に慣れている。だが、戦場慣れについてはこちらも同じだ」

「奴らは獣の目でこちらを見てくるだろう。……決して油断するなよ」


ジンリェンはそう言って、三人を順に見渡した。


「明朝にはすべてが終わる。一夜限りの戦だ。だが――だからこそ、勝つぞ」

「「了解」」


その応えは静かに、しかし確かに天幕に響いた。


やがて四人が立ち上がる。空はまだ青いが、その色は徐々に夕闇へと傾き始めていく。夜が来る。


野営戦が今、始まろうとしていた―

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