野営戦 ー開戦2ー
【登場人物】
アンナ…第四軍所属。四軍の中では唯一の女兵士。大きな垂れ耳が特徴的な犬獣人。重力を操る能力をもつが、まだコントロールが難しい。そのため、同じ境遇のフーリェンによって四軍に引き入れられた。
夜が深まるにつれ、森の空気はいよいよ冷たく張り詰めていく。
フェルディナ陣営中央の丘――草と土の匂いが混ざる開けた場所に設置された本部には、一人の少女が身を潜めていた。
第四軍の兵士にして、今夜のフェルディナ軍の『大将』に任じられたのは、犬獣人のアンナ。重ねた手は固く結ばれ、膝を抱えてうずくまるその肩は震えている。
「……深呼吸。……だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
震えが止まらないのは緊張のせいだけではない。彼女の持つ『重力操作』という能力は、強大であるがゆえに扱いが難しい。幾度も周囲を危険に晒し、その度に恐れられてきた。その記憶は、今なお彼女の心を縛っている。
それでも、今夜は逃げられない。この任務は自身の上官であるフーリェンからの命だった。あの寡黙な隊長が、真正面から自分へとかけた言葉がまだ胸に焼きついている。
『これは模擬戦だ。だからこそ、普段やらないことをやれ。お前の力を全てぶつけろ』
怯えていることは見抜かれていた。それでも託された『大将』という役割が、逃げ出したい気持ちを抑え込み、背に大きな責任を乗せている。
「怖くないわけじゃ、ない。でも」
震える拳が力を帯び、しな垂れた耳の根元が僅かに立ち上がる。
不安と決意が入り混じる眼差しは、真っすぐに夜の森を見据え始めていた。
その頃、森の南方――倒木の陰に身を預けていたのは、ヘルガーだった。その目は鋭く、鼻は風の流れを読むように動いている。
「……動き始めたな」
森の奥。フェルディナ軍同様に中央に陣を構えるヘルガーの部隊は、早くも陽動部隊の動きに反応していた。
「猫科の匂いが強いな。四軍混合か?」
狼獣人の嗅覚が、風に乗って漂う匂いを拾う。しかしその先頭に立つ者の正体までは掴めない。
「各軍の特徴から見て、陽動にはフーリェンが出てくると踏んでいたが……」
そう名を口にしながらも、ヘルガーは仲間が捉えた情報を整理する。陽動の先陣を切るのは豹獣人。この豹は、自身の把握していない兵士なのか、あるいは――。
「だがあの動き……指揮を取っているのは間違いなく手練れであることに変わりない」
ヘルガーは控える仲間たちに静かに命じる。
「第一展開はそのまま維持。斥候班は中央を避け、東側へ回り込め。印を探すのが先だ」
今回の戦の勝敗を分ける鍵は、ただ一つ。敵の大将が持つ『印』である。彼らもまた、フェルディナ軍の本物の大将を探すため、さまざまな手段を展開していた。
この混戦の中で、誰が『要』を守り、誰が『囮』かを見抜く。夜の森では、風が、音が、すべてが敵味方の境を暈していく。
そして同時刻。フェルディナ側の各小隊は、それぞれの特性を活かして索敵と防衛の動きを進めていた。く聴覚と肌で森を読む。
「風下に回れ。音を逃すな」
短いジンリェンの指示に従い、兵士たちは耳をすまし、足音を消して進んでいく。
森の中央を進む小隊は、シュアンランを先頭に部隊を三つに分けて敵陣地へ進攻。そのうち一つはあえて派手に動いて敵の注意を引き、残る二つが別方向から静かに回り込む。
一方、第三軍の配率の高い第三小隊の守る西側では、地鳴りと騒音が轟いていた。
「おい猪ども! 怪しいと思ったら問答無用で潰せ」
奇襲も隠密もお構いなし。力で抑え込み、迫りくる敵を問答無用で叩く。強引な作戦ではあるが、効率は悪くなかった。
フーリェン率いる陽動部隊は、すでに敵陣深部まで潜り込んでいた。雪豹と化した彼は、後方を振り返ることなく一直線に地を駆ける。その後ろに続く猫科の獣人たちもまた、風に溶けるように一帯を突き進む。どこか楽しげに、けれど確かに戦の只中にいる者の目をして。
すべては、ただ一つの『印』を見つけ出すため。
風が揺れ、枝が鳴る。
闇の中、見えない火花があちこちで散っていた。




