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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第4章

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合同訓練2

演習二日目


訓練場には、研ぎ澄まされた空気が満ちていた。


この日、王国側から出場するのは第二軍。少数精鋭の名を持ち、遊撃・支援・陽動、どの任務にも即応できる柔軟さと強さを誇る部隊。指揮を執るのは、第二王子直属護衛であり、氷の力を操る狼獣人――シュアンラン。アスラン軍側もそれに応じるように、最も動きに優れた精鋭隊を投入。その先頭に立つのは同じく狼獣人ヘルガー。


「――配置につけ」


短いシュアンランの指示に、第二軍の兵士たちは一斉に展開する。陣形は流動的。始めから固定した布陣をとらず、敵の出方に合わせて柔軟に変化することを前提とした配置。対するアスラン兵たちは、やや広がるような陣形で前に出る。静かに歩を進めるその様は、まるで霧の中から忍び寄る影のようだった。


「来るぞ」


シュアンランが呟いたと同時、アスラン側の一隊が一気に地を蹴った。低い姿勢で左右に散開し、第二軍の中央を穿つように突撃を仕掛ける。しかし、第二軍の隊員たちはそれに怯まず、すぐに対応。まるで歯車のように、攻撃の軌道を読んで隊列を組み直し、互いに背を預けながら敵を受け止めた。


「合図、三……二……今だ」


シュアンランの号令に、左右から仕掛けていた第二軍の別班が飛び出す。すでにヘルガーの視界には彼らの動きが映っていたが、それでも彼の指先がわずかに震えた。氷同士の力が交錯する。地を這うようにして滑る冷気が、地面の砂を白く凍らせ、霜の剣となって飛び交った。ヘルガーの氷壁をシュアンランの刃が穿つ。その瞬間、わずかに互いの視線が交錯した。


「ずいぶん、腕を上げたな」

「言ったろ。次は負けねぇ」


氷を砕く音が響き、剣と剣が交差する。鍛えられた者同士の攻防には無駄がなく、それでいて苛烈だった。


その様子を、遠くから見守る者たちがいた。


「……さすがは第二軍とアスラン軍の選抜兵だな。動きに淀みがない」


セオドアが目を細める。


「五年前の演習と比べて、どちらも明らかに質が上がっています」


アルフォンスの護衛であるジンリェンが、名簿を片手に答える。


「ヘルガーという将、ただの武人ではないですね…。見切りも反応も早い」

「対して、シュアンは…」


セオドアが口元に笑みを浮かべる。


「気迫では負けていないな。あの男に勝つために、かなり準備をしたんだろうな」


その言葉に、ジンリェンは静かに目を伏せた。脳裏に浮かぶのは、五年前の合同訓練から帰還した親友の、悔しげに氷の槍を握りしめていた背中。


演習の終盤、両軍は再び距離を取り、各部隊が整列して仕切り直しとなった。決着こそつけなかったが、それはあくまで三日目の“本戦”に譲るため。


火花はすでに、熱を帯び始めていた。




――――

日が西へと傾き、訓練場に残る兵士たちの影が、夕陽の中で細く長く伸びていた。昼間の喧騒は過ぎ、今は打ち合いの余韻がかすかに空気を震わせている。汗と土の匂い、そしてわずかに残る氷の冷気。すべてが、今日の訓練の濃密さを物語っていた。


この中を、年若い兵士たちが声をかけ合いながら装備や資材の片づけに励んでいる。


「槍立て、奥の倉庫へ運んどけ」

「テントの杭、一本抜けてる。誰か確認を――」

「行きます!」


その中心にいるのはフーリェン。指示は短く、声を張ることもない。しかし、誰一人として彼の言葉を取りこぼすことはない。無駄のない動き、的確な判断。それは日々積み重ねてきた訓練の賜物であり、何より、彼自身が隊の中で築き上げてきた信頼の証だった。


「盾は数を確認してから運べ。端のが欠けていたはずだ」

「……あ、はい!今確認します!」


一人の兵が慌てて走り出し、仲間が笑いながら手伝いに向かう。


「……風が強くなってきたか」


呟きながら、フーリェンは一本の槍を拾い上げ、風であおられていた布幕に目をやる。あちこちの支柱が緩み、幕がばたついている。訓練中、急造した日除け用の簡易テント。手早く幕の端を掴み、風に煽られぬように腕に巻き取っていく。片手に槍を持ったままの動作はとても滑らかだった。


「隊長、それ俺やります!」


駆け寄ってくる兵士に、フーリェンはわずかに首を横に振る。


「風がぶつかる。無理に引くな、流れに合わせろ」


そう言って、自らが見本を示すように布を整えながら杭を打ち直す。その背を、数人の兵士が真剣な眼差しで見つめていた。訓練は終わったが、学びの時間は続いている。彼の動作一つが、彼らにとっては教本であり、範となる。


風に揺れる布幕を最後の一本の杭で固定したところで、フーリェンは腰を上げ、背後の様子に気配を感じて振り返った。


視線の先、訓練場の入り口。そこに、アスラン王国の軍装を纏った一人の男が、夕焼けを背に立っていた。深い灰色の毛並み、鋭く澄んだ黄金の眼。狼の血を濃く引いたその男の姿に、第四軍の兵士たちは思わず動きを止める。


「ヘルガー殿だ」


誰かが小さく呟いた。


彼らが名を知るのも無理はない。今日の訓練で、その名はすでに各部隊へと広がっていた。戦場で氷を従える将――アスラン最強の一角。


兵士たちが緊張した面持ちで一礼する中、ヘルガーはゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。歩幅は大きく、だが威圧はない。


「片づけ中、失礼する」


低く落ち着いた声が、風を切って届く。

フーリェンは一礼し、応じた。


「構いません。もう終わります」


ヘルガーはその言葉を聞いてもなお、すぐに言葉を返さず、ただ静かにフーリェンを見つめた。


「…言葉を交わすのは、初めてだな」


フーリェンは一瞬、眉を僅かに動かすが、それ以上は反応を見せない。


「お前の戦いぶり、見ていた。よく磨かれた動きだ」


言葉に皮肉はなかった。ただ、事実を確認するような口調。


「…僕はただ、任された役割を果たしただけです」


フーリェンの答えは簡潔だった。ヘルガーの瞳がその言葉の奥を探るように細められる。


「……五年前、演習で見た顔にはいなかった。そう思っていたが……」


その瞬間、彼の視界の隅に、別の気配が近づいてくるのを感じ取った。右手側から、もう一人の男が歩いてくる。


「おい、まだいたのか。荷物くらい俺に任せればよかったのに」


飄々とした声音とともに現れたのは、ジンリェンだった。その瞬間、ヘルガーの目に、雷のような衝撃が走った。


フーリェンとジンリェン。


二人が並び立った、その姿――


「……なるほど。そういうことか」


思わず漏れたのは、理解に至った者の呟きだった。


「昨日の顔合わせの時は…双子だとは気づかなかった」


肩をすくめるようにして笑うヘルガーに、ジンリェンが小さく片眉を上げた。フーリェンは一歩前へ出て、短く言葉を添える。


「…僕が弟で…ジンリェンが兄です」

「……そうか。となると、弟が第四軍の隊長で、兄が……」


ヘルガーはジンリェンの肩章と紋章を見やり、そこで口元を引き結んだ。


「第一軍の隊長というわけか。お前たち、どれだけ狭き門を並んでくぐったんだ」

「運が良かっただけです」


即座にそう返したフーリェンに、ヘルガーは静かに目を細めた。


「いや。どれほどの運があろうと、力がなければ、その門は開かない。……まして、兄弟そろってなどな」

「……ありがとうございます」


フーリェンの声は控えめだったが、その奥には真っすぐな誇りがあった。


「それにしても……双子でここまで違う空気を纏うとはな」


ヘルガーは、二人を見比べながら続ける。並ぶ双子。弟の方は、どこか掴めない雰囲気がある。淡々とした物言いとその表情のなさからだろうか。対する兄。こちらは弟に比べれば感情が掴みやすい。だがその奥にあるのは――闘志か、いやこれは…。


「だが、どちらも戦場において侮れん相手だと、よく分かった」


そこまで考えて、ヘルガーは二人へと向き直った。その言葉に、兄の方がにやりと笑う。


「光栄ですね。でも、“侮れない”じゃなくて、“二人まとめて厄介”って言われるほうが、俺たちらしい」


その言葉に、フーリェンが横目でジンリェンを見やり、ほんのわずかに口元を緩めた。沈む夕陽が最後の光を訓練場に落とし、三人の影が静かに長く伸びていく。


ジンリェンが一歩下がり、槍を肩に担ぎながら第四軍の兵たちへと視線を向ける。その隙を縫うように、ヘルガーがふと、声の調子を落としてフーリェンへ問いかけた。


「……気になっていたんだが」


その低く静かな声音に、フーリェンがわずかに首を傾げる。


「訓練中、お前は……能力を一度も使っていなかったな」


ヘルガーの鋭い眼光が、まるで氷の奥底から覗き込むように、フーリェンの瞳を捉える。


「剣技も、動きも――申し分ない。だが、『何かを隠している』と、俺には見えた」


フーリェンは答えず、ただ一瞬、目を伏せた。その沈黙が否定ではないことを、ヘルガーはすぐに悟る。


「兄は炎だと聞いている。……となると、お前は?」


やや探るように、しかしその声に敵意はない。


ヘルガーは眼前の青年――フーリェンを見つめながら、脳裏に一つの感覚が根を張るのを感じていた。訓練では、彼は一度も“能力”を使っていない。剣技だけで的確に敵兵の間合いを潰し、仲間をカバーし、陣形を誘導していた。


だが、"使っていない"のではない。


――"封じている"のだ。


それは、技量に自信があるからではない。力を持つ者が、力を見せないとき。そこには必ずそうする理由がある。氷を扱う自分だからこそ、分かる部分もある。


フーリェンは小さく頷き、淡く笑みを浮かべた。


「明日、分かることです」


そう返され、ヘルガーは目を細めた。


(なるほど……そう来るか)


どこか幼さを残した顔つきだ。だが、その口調も、眼差しも、間の取り方も――確かに戦場を知っている者のそれだった。


(……双子、か)


「……いい目をしている。戦場で会えば、互いに背を任せられる――そう思わせる目だ」


それは一人の軍人としての、素直な賛辞だった。

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