第四軍2
昼の空気が柔らかく熱を帯び始める頃、第四軍の訓練場には、いつもと変わらぬ掛け声が響いていた。
「前列、盾構え維持! 詰めろ、もっと密集!」
「剣組、足運びが乱れてる! 軌道合わせろ!」
小隊長たちが喉を枯らしながら、部隊の動きを整えていく。槍と剣が空を裂く音、革靴の擦れる砂の音、そして時折混じる短い叫び――
フーリェンは、訓練場の隅から静かにその様子を見守っていた。槍兵たちの間合い、剣兵たちの振り下ろしの角度、歩兵の移動時の隊列の乱れ――ひとつひとつを見逃さず、視線を流す。
――あの子は、構えに無駄が多い。焦りすぎている。
――あっちは…声が出てない。恐怖をごまかす余裕すらないか
――でも、あの盾は踏ん張りが利いている。体幹の強さは十分だな。
無表情のまま、彼は一人ひとりを見る。それは訓練を監督するのではなく――ただ、彼らの「輪郭」を知ろうとしている姿だった。やがて、午後の訓練がひと区切りを迎える。
「休憩、十五分! 水分とって、各自整理しろ!」
かけ声とともに、兵士たちが水袋を手に木陰やベンチへと散っていく。フーリェンはその場を離れず、ぼんやりと空を仰いでいた。
「隊長、ここ座っていいっすか?」
「 あ、俺も……!」
水筒を片手に兵士たちがやってくる。気づけばフーリェンのまわりに自然と集まる形になり、彼をぐるりと囲むように腰を下ろしていた。
「な、なんか……あの、さっきの話の続きっていうか……」
「隊長、合同訓練って、出たことあるんですか?」
口火を切ったのは、髪を後ろで結った細身の兵士だった。彼の問いに、他の兵士たちの視線もフーリェンに集まる。
「……ああ」
静かに、短く答える。
「ど、どんな感じなんすか? やっぱ、怖いんすか? 外国の軍って、全然違うって聞いたけど……」
「何か、変わった訓練とかするんですか?」
矢継ぎ早に飛び交う質問に、フーリェンはしばし言葉を探すように沈黙する。そして――静かに目を伏せた。
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「フー。お前、前の合同訓練に出てたっけ?」
作戦会議が終わった直後、ジンリェンが水差しを片手に話しかけてきた。地図は片付けられ、代わりにテーブルには行軍計画書が広げられている。
「……うん。あの時は確か…第四軍に入って1年経ってないくらいだったはず…」
「…あー。あん時のフーって、小さくて細くて…、喋らねぇ新兵って感じだったもんな」
ランシーが笑いながら肘をつく。
「今もそんな変わってねぇけど」
「……そんなことない」
「おっ、喋った。進歩だな」
フーリェンは少しだけ目を細めたが、口元だけはうっすらと緩んでいる。シュアンランは苦笑しつつ、紙束を整えながら付け加える。
「俺とジンが、ちょうど直属護衛になった年だったな。隊の組み直しでバタバタだった」
「あの年、俺はまだ第三軍の歩兵。ランシー隊長じゃなかったしな」
「誰が言っても軽く聞こえるのはなんでなんだろうな、お前の肩書」
「酷くね…?」
「……あのとき、第三軍の兵は”壁”みたいだった。大きくて、怖かった」
フーリェンのぽつりとした回想に、ランシーが吹き出す。
「そりゃ、第三軍は筋肉と声のでかさがモノ言う軍だからな。能力? それはおまけだ」
「でも――」
フーリェンは言葉を切り、少しだけ表情を引き締める。
「確かに、学ぶことは多かった。氷地帯の戦術。隊の連携。あと……自分の限界」
「……ああ」
ジンリェンが、静かに頷いた。
「そういうのを、次はお前が見せてやる番だ。軍を任された身としてな」
フーリェンは、それに答えず、ただひとつ頷いただけだった。
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「……正直怖かった。でも、全部が、今に繋がってる」
「全部が?」
兵士のひとりが目を丸くする。
「うまく動けなかった。能力の使い方も未熟だった。でも……」
そこで、フーリェンは少しだけ空を仰いだ。
「それでも、諦めなかった。だから、今ここにいる」
静かな言葉に、周囲の兵士たちは黙り込んだ。
「……じゃあ、俺らも……」
「出られるかな、選抜に」
「やれるかどうか、じゃねえの。やるしかねぇだろ」
ぽつぽつと呟く声に、少しずつ火が灯っていく。フーリェンは立ち上がり、彼らを見渡す。
「休憩終わりだ。再開」
その一言に、兵士たちは立ち上がり、剣と盾を取り戻した。先ほどまでとは違う空気を纏い、黙々と訓練場へと戻っていく。
北の国との合同訓練まで、時間はない。王国軍で最も若く、最も吸収力のある軍。その一員として、少しでも力を発揮できるように――。兵士たちは剣を持つ。尊敬する白狐の隊長の目に、留まるように。国を守る兵士として、成長するために。
(過去談)
王国の獣護-日常- ep.5 兵士と直属護衛




