北風を味方につけて5
【登場人物】
ヘルガー…アスラン王国・王国軍を率いる大将。シュアンランと同じ狼獣人で、氷の能力を持つ。
夜の名残を抱えた空が、ゆっくりと淡い光に染まり始めていた。
王宮の北門。普段使われることの少ないそこに響くのは、重々しい蹄の音。
青銀の軍旗を掲げ、整然と門を潜ったその部隊には一寸の乱れもない。
アスラン王国軍。
国民全員が獣人であり、その半数以上を狼獣人が占める、獣の大国。
国土を氷雪が覆う山岳地帯からやってきたその一団は、やはりと言うべきか氷雪地帯の気候に特化した獣人たちで構成されている。
そんな彼らの到着を城壁の上からひときわ鋭い視線が見下ろしていた。
「こうして見ると、威圧感があるな」
セオドアが静かに笑う。
彼の隣ではルカがじっと隊の動きを見つめていた。口元には穏やかながらも警戒の色が見える。
「僕の第三軍とどちらが堅いと思います?」
背後からの問いにセオドアは眉を上げた。振り返れば軽装に身を包んだユリウスと護衛のランシーがいる。
「お前のには敵うまい。だが……色味がない分、あちらの方が冷徹に見えるな」
その視線の先。アスラン軍の先頭に立つ一匹の狼が、王宮に向かって深く頭を下げた。
――――
円卓の会議室の厳かな沈黙を破るように、厚く彫られた木の扉が静かに開かれた。
その中央、最も上座に座すのは第一王子アルフォンス。その銅色の瞳は冷たく静かに目の前の男へと向けられていた。
「アスラン王国、軍部代表ヘルガー。参上しました」
季節外れの外套を右手に、そう言って頭を垂れたのは鋭い銀毛の狼獣人。
目を合わせずとも分かる、強烈な威圧感と統率者の気配。
「遠路ご苦労だった、ヘルガー殿。ようこそ我が王国へ」
形式的な挨拶を返したアルフォンスへと小さく頷きながら、男ーーヘルガーは早速とばかりに言葉を発した。
「まずは一件、謝罪がございます」
彼は低く言葉を繋いだ。
「先日、北の砦にて捕縛された密偵につきまして。彼は我が国に属する者でした。正式な命無しに商団に紛れての越境は明確な違反であり、こちらの不手際と認識しております」
部屋の空気がわずかに緊張する。
「……つまり、個人の暴走ということでよろしいか?」
「いえ」
ヘルガーはわずかに視線を落とすも、それでもまっすぐに言葉を返した。
「その行動の起点に、我が国の者が関与していた可能性は否定しきれません。我々の王国の管理責任において正式に謝罪し、今後の対応を誠意をもって進める所存です」
曖昧さを削り落とした、潔い言葉だった。
「ならば、此度の合同訓練が信頼を修復する機会となることを願いたいものだ」
だからこそ、アルフォンスは大きく頷いて応てみせた。
「では、改めて申し上げます」
ヘルガーは一歩前に出ると、懐から王国の紋の入った書状を取り出した。
「今回の合同訓練は、我らが王ヒルダ・アスランの命により提案されたものであります。その主旨は――貴国との軍事的協力関係の再確認、及び周辺諸国に向けた明確な結束の意思表示に他なりません」
「“見せるため”の訓練という認識で間違いないわけだな」
「見せるだけで済むなら、互いに幸いです」
アルフォンスの視線が一層鋭さを増す。
警戒と期待。沈黙の後に残ったのは、温度をひとつ下げた空気だった。
それはこの合同訓練がただの友好演習では終わらないことを、双方がはじめから理解している証でもあった。
今後の展開についての確認が滞りなく終わると、アスラン軍の兵士たちは整然と隊を組み直し、王都軍の案内役に従って割り当てられた兵舎へと移動を開始した。
無駄のない動き。歩調も声も乱れず、まるで歯車が回るように滑らかに進む光景は、フェルディナの兵たちにも一種の緊張感をもたらした。
「変わらないな。あの動き」
ぽつりと口を開いたのは、シュアンランだった。
その赤色の瞳に映るのは、堂々と先頭を歩く狼男の姿。
アスラン軍の大将にして、彼と同じく氷を統べる者。五年前の演習で彼が敗北を喫した相手でもある。
直属護衛としての初任務を賭けた、国を背負った模擬演習。その最終試合でシュアンランが対峙したのが、ヘルガーだったのだ。
「氷の制圧距離、展開速度、冷却のタイミング。全部、向こうが上だった」
呟くように言ったその声は、悔しさではなく冷静な評価だった。
「お前ズタボロだったもんな」
「うっせぇ」
「ジンは逆に大金星だったよな」
「俺は能力の相性が良かったからな……」
笑いながら横槍を入れてくる獅子と兄狐へと、彼は軽く尾で反撃する。
そんなシュアンランの攻撃をいなしながら、ジンリェンは「でもさ」と続けた。
「準備してたんだろ? 良かったな再戦の機会が巡ってきて」
「まあな。今度こそは絶対勝ってやる」
肩を竦めて言葉を続けたシュアンランの目には、闘志が滲んでいた。
そのとき。まるでそれに呼応するかのようにヘルガーが足を止めた。彼の金の瞳が群れの中から鋭くシュアンランを捉える。
その瞬間、わずかに、しかし確かに空気が凍った。
この合同訓練はただの親善では終わらない。
氷の狼たちが再び交差するとき、静かな戦いが幕を開けるのだった。




