花冠(裏)
待ち合わせの時間にはまだ少し余裕があった。急いだわけではない。ただ、足が自然と向いていただけだ。
南門近くの屋根――例の場所。
音を立てずにそこへ降り立てば、すでに先客の姿がある。
灰銀の髪が、提灯の明かりに柔らかく反射して揺れている。片手には屋台の串。もう片方は膝に乗せて、肩を落ち着けて座っていた。
早い。
言葉は喉まで出かけた。しかし、それを口にするよりも早く、こちらを見上げてきた狼と目が合ってしまった。
無言のまま交わされる視線。逸らすことなく真っ直ぐに見つめてくるその赤色の瞳に、少しだけ居心地の悪さを覚える。
いつもの姿で来るべきだっただろうか。
落ち着かない。けれど、今さら引き返すほどの理由もない。
たまにはこういう時間もいいと、そう思ったのは自分だ。
そう思いながら視線を上げれば、彼の頭に乗っているものに気がつく。
花冠。
通りで配られていたものだ。簡素な作りのそれはどこか浮ついた雰囲気がある。
それを、いつ、どこで、どんなふうにもらったのか。なぜ、今もわざわざ乗せたままでいるのか。
何ということのないただの装飾のはずなのに。どうしてか、見ていると自分でもよくわからない感情が、胸の奥を静かにざわつかせた。
顔には出さないまま、気づけば彼の頭に手を伸ばしていた。
理由なんて後から考えればいい。
ただ、このもやもやをどうにかしたかった。
――――
「……こうして一緒に休めるの、いつぶりだ?」
そう問いかけると、隣のフーリェンは首を少し傾げた。
「……半年以上は、経ってる、かも」
「そんなに前か」
「正確には、覚えてないけど」
「俺も」
どちらからともなく笑みが零れる。
「ついこの前まで北の砦だったもんな。寒いし、戦のせいで隙間風だらけだし……」
「夜も眠れなかった。風の音、ずっとしてて……」
「砦の裏手の……崖沿いの通路。あそこさ--」
「……うん。落ちかけた」
「やっぱりか。俺も一度滑った」
「あれ、もう修復されたかな」
ぽつりぽつりと交わす言葉。なんて事ないただの会話。けれど、それが妙に心地よかった。
「……演武。見てたんでしょ」
そんなことを話していれば、少しだけ間を置いてフーリェンはぽつりと呟いた。
「見てたよ。って言っても最後の方だけだけどな。たぶん……お前んとこの兵士かな。見回り変わってくれた」
「……そう」
表情は変わらない。それでも、機嫌良さそうに尾は揺れ動いていた。
「行こっか」
そう言って屋根から降りた彼女に続いて、シュアンランも静かに地面へと足をつけた。
夜の王都はまだ賑わっていた。提灯が連なる大通りでは人々が楽しそうに笑い合い、花の香と焼き菓子の匂いが混ざり合って鼻腔を掠めていく。
フーリェンは外套のフードを深く被っている。顔はほとんど見えないが、その白い髪と尾が目を引いた。
シュアンランの方はというと、護衛の象徴たる銀の紋章が左肩に誇らしげに輝いていた。
当然、目立った。
「見てあれ。第二軍の……」
「ほんとだ…… !」
娘たちの視線が二人を追いかける。中には小声ではしゃぐ者、興味津々といった顔で距離を取りつつ着いてくる者もいた。
「目立ちすぎ」
「俺のせいか?」
「他に誰がいるの」
「……悪かったよ」
「しょうがない……今日は許す」
感情の分かりにくい声でそう答えながらこちらを見上げてくるその目には、ほんの僅かに疲れたような色が混じっていた。
「ごめん。次から俺が外套着る」
「……ふたりとも外套着てたら、さすがに警備兵に捕まるでしょ」
「それも困るな」
互いにため息交じりに苦笑して、また歩き始める。歩調は自然と揃う。
言葉は少ないが、無理に埋める必要もない。
ただ並んで歩くだけ。
それだけのことが、俺たちにとっては十分に特別だった。




