陽光の下で
【世界】
第四軍→フーリェンが隊長を務める軍。新兵を中心とした若者で構成されている。
王宮西棟に隣接する兵舎。
ここには、王国軍に属する兵士たちの寝床である大部屋と各王子の直属護衛の自室が並んでいる。
陽が傾き始めた頃、フーリェンは静かに自室の机に向かっていた。長らく開けていた部屋には、目を逸らしたくなる程の書類の山ができている。できれば見なかったことにしたかったその書類たちを討伐するため、彼は無心でペンを走らせていた。
そんな書類で埋もれた机の隅には、木製の文箱が置かれている。
彼は箱の中へと視線をやると、手をピタリと止めた。やや回らなくなってきた頭を軽く振って指先を伸ばし、真新しい一通の封書を取り出す。そうして一度小さく息を吸ってから、彼は丁寧に封を切った。
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フーリェン
任務は順調。
今は西の砦に移動した。
お前とは入れ違いになってしまったな。
この前話していた花畑の近くを通った。
まだ咲き始めだったけど、白い花が多かった。
時間があったらまた見に行こう。
今度こそジンも引っ張り出せればいいんだけどな。
俺の方は大丈夫。特に変わりない。
無理をするなよ。
お前はそういうところがあるから。
返事はしなくていい。
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飾った言葉はない。けれど、それが何よりも彼らしい――そう思えた。
読み終えた薄紙を丁寧に畳んで封筒の中へ戻すと、フーリェンはぐっと両の腕を反らせた。凝り固まっていた筋肉が伸びていくのを感じながら、今しがた読んだ手紙の内容を頭の中で反復し、ひとりでに小さく頷く。
窓から吹き込む風がカーテンを揺らす。遠くから聞こえる訓練場の掛け声と、鳥のさえずり。
少しだけ、胸の奥が温かい。
そんな穏やかな空気を破るように、控えめなノックが扉を叩いた。
「隊長、ご在室でしょうか」
ドア越しに響くその几帳面そうな声は、彼が隊長を務める第四軍の青年のものだった。
「いる。どうした?」
「夕方の訓練に余裕ができまして。もしお時間があれば、お相手をお願いできればと思い」
扉を開けると、そこにはやや緊張した面持ちの若い豹獣人の男が立っていた。まだ新米に近いが、真面目で筋がいいとフーリェンも認めている一人である。
「分かった。すぐ行く」
「はいっ、準備を整えてお待ちしております!」
ちらりと視線を机上の書類の山へと送り、小さくため息をつく。ずっと籠っていたところでどうせ今日中には終わらない。一度切れてしまった集中力を戻すのにも時間がかかるのだから、それならば身体を動かすほうがいい。
手紙に少し浮きたつ気持ちを抑えるように、フーリェンは静かに部屋を後にした。
――――
訓練場に着くと、すでに数名の兵士たちが待っていた。
「よろしくお願いします!」
「……始めよう」
淡々と告げ、フーリェンは軽やかに構えを取った。
白髪がふわりと舞う。淡い陽光を真横から受けたその横顔は、自然と周囲の兵士たちの目を惹き付けた。
訓練場は夕刻近くの日を浴びて、僅かに金色を帯びていた。
「……本当に、お手合わせいただけるのですね?」
目の前でそう尋ねたのは、先ほどフーリェンを呼びに来た豹獣人の青年だった。
「手は抜かない」
淡々としたその声音に、青年はごくりと唾を飲み込むと木剣を構えた。
審判役の兵士が一歩前に出て、静かに腕を振り下ろす。
フーリェンは抜いた木剣を振るうことはせず、自身へと向かってくる青年の腕の動きを読むと、するりと突き技を避けた。そのまま彼の持つ剣の腹に目掛けて斜めに打ち込む。
カランと、青年の手から剣が落ちる。
「もう一度!」
悔しげに立ち上がった兵士に、フーリェンは何も言わず再び正面に立った。
二度、三度、四度――
能力を使わず、剣技のみで彼は応じ続けた。それでも、その動きにはどこか優しさがあった。
あえて打ち倒さず、動きの誤りを「感じさせる」ように軌道を合わせる。言葉で教えるのではなく、動きで修正していく。
やがて肩で息をしながらも目を輝かせて立ち上がった青年に、フーリェンは静かに告げた。
「よく鍛えていると思う。……これからも励め」
「ありがとうございました!」
そう言って駆け足で仲間たちの元へと戻っていくその後ろ姿を見送ったのを見計らい、傍に控えていた兵士の一人が、遠慮がちに口を開いた。
「……隊長、複数人でのお手合わせもお願いできますか」
「わかった」
彼が小さく頷いた直後、周囲にいた三人の兵士がすぐに前に出る。種族もそれぞれ異なり、狼、山猫、そして猪。柔軟さ、俊敏さ、そして重量。三者三様の間合いを持つ者たちである。
「武器は?」
「木剣、で」
返答を聞くと、フーリェンは一度訓練場の端へと向かい、無造作に棚から練習用の槍を抜いた。
静かに構えながら再び中央に立つと、彼は手癖のようにくるりとそれを回した。
「始めていいぞ」
その声に、三人が同時に動き出した。
挟撃の形で迫る狼と山猫、その背後から間合いを測って突進の構えを取る猪。
フーリェンはただ静かに一歩踏み込んだ。槍が唸りを上げ、接近してきた山猫の腕を柄の部分で制し、同時に反動を利用して背後に一回転させる。振り返る間もなく、突進してきた猪の腹部へ石突を突きつけ、力を逃がすように受け流した。
「ぐっ……!」
勢いを殺された猪が膝をついたその瞬間、槍の穂先が横から迫る狼の喉元に触れた。
そうしてしばらくの間、諦めることなく剣先を向けてくる三人とフーリェンは打ち合った。
カンカンカンと調子よく続く木の音が訓練場に響き、やがてどさりと三人が膝をついた。
フーリェンは呼吸ひとつ変えずに訓練場を見渡すと、小さく「今日はここまで」と周囲で見学していた兵士たちへと告げたのであった。
――――
訓練場を後にしたフーリェンは、そのまま目的の部屋へと足を向けていた。日の暮れた回廊には松明が炊かれ、柔らかな炎が彼の白髪を淡く照らしている。
向かう先は、主人であるルカの執務室。その扉がわずかに開いているのが見えると、彼はぴたりと足を止め、僅かに耳を揺らした。
「ルカ様」
控えめにフーリェンが声をかけると、ルカは顔を上げて穏やかな笑みを見せた。
「やぁフーリェン、稽古はどうだった?」
「順調です。久しぶりに槍も使いました」
「珍しいね。訓練じゃなくて"稽古"で使うなんて」
「はい。今回は複数相手でしたので」
「そっか。どう? 彼らの中に筋の良い子はいるかい?」
「はい。……この前移動してきた豹の――」
そう言いかけた声が止む。そのままフーリェンはくるりと背後へと向き直った。重厚な扉の外側。こちらへと近づく足音を耳が拾う。
「ルカ、フーリェン。すまないが新たな報告が入った」
ガチャと執務室のドアが開き、緩んでいたルカの表情が変わる。フーリェンもまた姿勢を正すと、声の主――アルフォンスへと視線を向けた。
「南側の国境付近で不審な動きが確認された。隣国が密かに軍を動かしている可能性がある」
「偵察任務の指示でしょうか?」
「その通りだ。お前の力が要る。情報を集めてこい」
アルフォンスは眉を顰める弟へ視線を送った。ルカが軽く頷くのを確認して、手に持っていたもう一枚の地図をフーリェンへと差し出す。
「場所は南の国境沿いだ。報告はルカに回せ」
「承知しました」
フーリェンは静かに地図を受け取り、短く頷いた。
「気をつけて行くんだよ、フー」
白狐の護り手は静かに身を引き締め、任務へと向かう覚悟を新たにしたのだった。




