第一章 綻び
【登場人物】
セオドア…第2王子。シュアンランの主。温厚な理想家でありながら、政治的な駆け引きに長ける。
ユリウス…第3王子。気弱な性格。ランシーの主。
──王宮・兵舎裏の石畳を歩く。
報告を終えた帰り道。
フーリェンは足音を忍ばせながら、夕暮れに染まる空を見上げていた。
遠くの尖塔に、赤く溶けた日が沈みかけている。
ふと先の戦闘を思い出そうと、目を伏せる、その瞬間。控えめな足音が後方から近づいた。
「おいおい、また難しい顔してんな」
「……任務の話なら、終わっただろ」
「報告は済んだよ。殿下たちからも“口を滑らすな”って釘を刺されちまった」
「……正しい判断だな」
淡々とした返答に、ランシーは苦笑する。
「ほんと手厳しいよな、お前。相変わらず表情ひとつ動かさねぇし」
フーリェンは答えずに歩を進める。
「……さっきの奴の動き、素人じゃなかったろ。俺らのこと、最初から把握してたっぽい」
「……揺動か、探りだ。真正面からの突破じゃない。あれは“測ってる”動きだった」
「だよな。王都の守りを試してるってんなら──まったく、気持ち悪ィったらない」
無言のまま二人は歩く。
赤銅色に染まった石畳が、足元で軋んだ。
「平和そうに見えて……実は中、だいぶ腐ってんのかねぇ」
「……それでも、僕たちの役目は変わらない」
フーリェンの目が、わずかに細められる。
「殿下と国を護る。それだけだ」
その静かな言葉に、ランシーも口元を引き締める。
「ま、そうだな。そんで──お前の変化の力、ほんと厄介。目で追えねぇんだから。マジでやめてくれ」
「……自分でどうにかしろ」
「ひでぇ。ちょっと羨ましいんだよ。俺なんか単純に殴るしか能がねぇからさ」
フーリェンは一瞬、足を止めた。
「それで充分、信頼している」
その言葉に、ランシーの目が少しだけ丸くなる。
「へえ……珍しくハッキリ言ってくれたな。どうした、熱でもあんのか?」
「……うるさい」
「おっと、悪ィ悪ィ」
どこか満足げなランシーの顔。
そして、フーリェンの目元が、ほんのわずかに緩んでいた。
──言葉が少なくても、伝わるものはある。
言葉が軽くても、信じているから成り立つ関係もある。
沈みゆく夕日が二人を照らし、王都の空が夜へと変わっていく。
彼らは知っている。
影が長く伸びるときこそ、護り手が必要なのだと。
そしてその時が、確実に近づいていることを──。
**
──王宮・中央棟。円卓が置かれた会議室。
重厚な扉が静かに閉じられる。
室内には、四人の王子と数名の側近、そして報告を終えたばかりのフーリェンとランシーが立っていた。
「……防衛線を突破し、王都の中央近くまで入り込まれた。おまけにその動きは、明らかに我々の配置を把握していた。これは、偶然では片付けられない」
低く落ち着いた声で語ったのは、第一王子アルフォンス。背筋を伸ばし、卓の上の地図に視線を落とす。
その隣では、第二王子セオドアが腕を組みながら呟いた。
「連中の動き……まるで、内部から道筋を示されたようだ。敵国の偵察だとしても、単独行動にしては整いすぎている」
「まさか、王都の内部に……」
どこかおどおどした声で呟いたのは第三王子ユリウス。そんなユリウスに、第四王子のルカが口を挟んだ。
「断定は早計ですが、事実として奴らは迷わず正規兵の死角を突いてきた。しかも、今回の侵入者は獣人の能力者。……単なる奴隷崩れではないかと」
ルカの静かな声に、室内の空気がわずかに引き締まる。
フーリェンは報告の最後に、一つの違和感に触れていた。
──侵入者の動きは、防衛網を“確認”するように見えた。あれは攻撃ではなく、探査。王都の内壁に触れる、誰かの“手”だった。
「これが“あの国”の仕業だと、断定は……?」
ルカが静かに首を横に振る。
「東境の動きは沈静化しているはずだ。国境の軍備も目立った動きはない。むしろ──」
「“南”か?」
アルフォンスが低く唸る。
「名目上は友好関係にあるとはいえ、近年になって奴隷取引が水面下で再活発化していると、報告を受けている。……一部の貴族階級が、裏で人身売買を黙認している可能性もある」
「その繋がりを辿ってくれば、王都に“道”を作るのは不可能ではない」
セオドアが地図上の交易路に指を滑らせる。
「そういえば、さきの小競り合いでも捕らえた獣人は南部出身が多かった。力を持つ個体が選ばれて送り込まれているとすれば、これは……」
言葉が途切れ、沈黙が場を支配する。
「……隣国が、動き出している」
ルカが、ほとんど独り言のように呟いた。
アルフォンスが静かに席を立ち、皆に目を配る。
「これ以上は、確証が必要だ。我々が疑念を深めるより先に、手を打つ者がいるかもしれん」
「……同時に、王都の内偵も強化しよう。出入りの商人の名簿も見直す」
「兵士たちには不審者の記録を精査させよう。……フーリェン、お前に任を任せることになりそうだ」
アルフォンスが最後に言った言葉に、フーリェンは静かに頷いた。
「……心得ております、アルフォンス殿下」
ランシーは黙ったまま、天井を見上げる。
嫌な風が、吹いている。
その予感は、獣の本能が告げていた。