ウェディング祭7
軽快な音色がまた一つ転調したのを合図に、フーリェンとユキは若者たちの輪から静かに離れ、石段の上へと戻った。
「戻りました」
「お帰り。楽しかったかい?」
「……はい」
「ふふ、それならよかった」
笑みを含んだルカの声を横に、ユキは母へと向き直る。
「ねぇ、母様。フーってば意外と踊れてたでしょ。最初はぎこちなかったけど、慣れてきたら合わせてくれてさ」
「喋りすぎ」
眉を寄せるフーリェンの背後では白色の尾の先が小さく揺れている。そんな彼の細やかな反応に、にこやかに話を聞いていたルカとナージュは揃って朗笑する。
ふわりと和やかな空気が流れる中、控えていた第四軍の兵士が躊躇いがちにフーリェンへと視線を向けた。
「隊長、交代の時間です。あとは我々が引き継ぎます」
「了解」
兵士へと短く答えたフーリェンに、ルカは小さく頷いた。
「護衛ご苦労様。明日は休暇だね。最後の一日くらい、肩の力を抜いて過ごすんだよ」
「ありがとうございます」
「お疲れ様、フーリェン」
ナージュが柔らかに言い添え、ユキもにっと笑う。
「いい休暇にしてね。また踊る機会、あるといいけど」
フーリェンはその場にいる全員に一礼を送ると、兵士から受け取った外套のフードを深く被った。
華やかな喧騒の中を抜け、灯りの少ない細道へと入る。祭りの音と光が遠ざかり、しばらくすれば王宮の小塔が見えてくる。
拳を握る。そして開く。暖かな風が手のひらに当たる。
思い出すのは花の舞っていた踊りの輪。赤い瞳に写っていた自分は、珍しく笑っていた。
――――
扉を閉じる音が、静かに部屋に木霊した。
着ていた外套を壁の鉤にかけ、そのまま無言でベッドに身を投げる。天蓋のない簡素な寝台。白いシーツに頬を預けて、ようやく深く息を吐く。
「……疲れた」
王都の声は、ここまでは届かない。焦がれていた静寂がじんわりと身体に染みこんでいく。
仰向けになったままゆるりと横を向いて小さな振り子時計に目をやれば、時刻はまだ、宵の口。視線はそのまま机上に用意していた衣服へと流れる。
淡い黄色のスカートに、首元の詰まった薄手のシャツ。
野暮ったさのない、街で見かけるごく普通の娘の服。
静かに身を起こし、寝台から立ち上がる。靴を脱ぎ、隊服の上着を滑らせるように床へ落とす。シャツの袖に腕を通し、慣れた手つきでスカートを履く。
そして最後。瞼を閉じ、内に意識を沈める。
暖かな何かが身体の内側を作り変えていく。
足の先までそれが行き渡ると、フーリェンは再び目を開けた。無言のまま姿見の前に立ち、写った自身を静かに見つめる。
尖った耳に細い首筋、少しだけ丸みのある身体。そして大きな琥珀色の瞳。
その姿は“彼”が時折使うもう一つの『顔』だった。
「……変わらないな」
そう言って鏡の中の自分から視線を逸らすと、”彼女“は手元の小箱を開けた。中から取り出されたのは銀細工のネームタグ。それは護衛である証であり、同時にどんな姿であっても、自分が「そこに属している」という証だった。遠方への任務に行く際に身につけるそれは、護衛に着任したときに主人となるルカからもらった物である。
紐を首に通し、胸元にそっと収める。そうして仕上げに軍の紋章の入っていない灰色の外套を肩に羽織れば、その姿はすっかり街娘のように見えた。
くるりとその場で一回りしてみる。うん、完璧だ。
扉を開けて、外に出る。
夜の王宮は静まり返っていた。ひと気のない回廊に靴音を立てないよう慎重に歩を進める。壁の隅に隠れるように身を滑らせながら、巡回兵の視界を避け、風のように抜けていく。
やがてフーリェンは目的の門へと辿り着いた。門の前には、白の髪を風にたなびかせ、闇に紛れるように静かに立つ兵士の姿があった。
フーリェンの気配に気づいたジンリェンは、視線だけを彼女へと向けた。言葉は交わさない。無言のまま手を伸ばし、ゆっくりと門を開ける。重たい扉が軋みを立てて開かれると、春風がふたりの間を吹き抜けていった。
白髪が、門を潜る。
背後から自分へと向けられる視線に一度だけ大きく尾を振ると、フーリェンは街明かりの中へと再び溶け込んでいったのだった。
(後日談)
王宮の獣護-日常- ep.6 酒と昔話




