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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第3章

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視線

舞台の幕が下り、歓声と拍手がまだ耳に残る中、フーリェンとジンリェンは舞台裏へと静かに引き下がった。冷えた空気と、張り詰めていた緊張が解けていくような感覚が、二人の肌にじんわりと広がっていく。


「……疲れたな」


ジンリェンが剣を下ろしながら、小さく息を吐いた。その声に、フーリェンは無言で頷く。


「実際やってみると、鏡越しに自分が動いているみたいで、変な気分になったな」


軽口を叩く兄の頬にうっすらと浮かぶ汗に目を向けながら、フーリェンはゆっくりと大きく伸びをした。実のところ、簡単なものではなかった。あの剣舞は、互いの動きを寸分狂わずに読み合わねばならず、細部にまで神経を通わせる必要があった。無事終わってよかった。心の中で小さく呟き、わずかに口元を緩める。しかしそんなフーリェンの瞳は、次の瞬間にはどこか遠くを見つめていた。


「……舞台の後ろの席に、いた」

「誰が?」


フーリェンは答えない。だが、ジンリェンはすぐにその誰かを察した。


「袖の警備って聞いてたけど、あいつら見に来れたんだな」


フーリェンはわずかに頷く。


「最後。一度だけ、目が合った」


声に出した瞬間、自分の中に広がっていた想いが、少しだけ輪郭を持ったような気がした。それは熱でも冷たさでもない、名前のつけられない感情だった。


「お前……あんな人混みの中で、よくわかったな」

「…わかるよ」

「ふうん。ま、そういうのは否定しねえよ」


素っ気ない弟の反応にジンリェンは答えながら、カチャンと剣を鞘に収める。白と金の衣装の裾を軽く払い、同じく衣装を整えるフーリェンへと視線をやった。


「でもま、今日は俺の美技にも拍手が来てたはずだからな。少しくらいは感謝しろよ」

「…感謝してるよ」


やり取りを交わしながら、二人は用意された簡易な椅子に腰を下ろす。熱を帯びた身体から、じわじわと汗が滲む。演武は終わったが、まだ祭りは続いている。


「ルカ様がすぐに来るって、祭事の使いが言ってたぞ。衣装を返す前に、写真のような絵を残すとかで」

「……早く終わらせたい」

「まったくだ」


ふたりは肩を並べて、短く息をついた。舞台裏に、控えめながらも軽やかな足音が近づいてくる。金糸の房飾りが揺れて現れたルカは、二人の顔を見るやいなやぱっと笑顔を向けてくる。その後ろには祭事担当の兵士たちが控え、手には記録用の帳面と、写絵士の画具が抱えられている。


「お疲れさま。二人とも見事だったよ」


ルカの穏やかな声に、二人は同時に軽く頭を下げた。


「ほんの少しでいいんだ。衣装姿のままで、記録用の絵を一枚だけ……終わったら、すぐに戻っていい」

「承知しました」


ルカの指示に従い、簡素な背景幕の前で双子は並び立った。左右対称に立つ白金の装いは、まさに鏡のようで、写絵士の手が自然と止まらなくなるほどだった。目の前で行われる作業に軽くげんなりとしながらも、なんとか我慢してその時間を乗り越える。


「……これで終わりだよ。二人ともありがとう。衣装は祭事担当に預けて」


そう告げるルカに双子は再び一礼すると、そそくさとその場をあとにした。


着ていた衣装を返却し、控室で着慣れた隊服に袖を通すと、ふたりの空気はどこか軽くなった。フーリェンは袖口の広い隊服の手元を整えながら、小さく息を吐く。


「……やっぱり、こっちの方が落ち着く」

「ほんとにな。この隊服の肩の馴染み具合、やっぱりこれだわ」


ジンリェンも冗談めかして言いながら、手慣れた動作で装備を整える。すでに空は夕方の色を帯び始めていた。陽の傾きに合わせて、王都の通りでは灯籠の準備が進み、警備隊の交代の時間も近い。


ふたりは剣を腰に舞台袖をするりと抜けると、指定された警備区画へと足を向けた。そこは祭りの主要な通りから少し外れた、屋台と踊りの合間を縫うように民が行き交う場所。通りの端で待っていた第一軍の兵士に軽く挨拶を交わすと、ふたりはすぐに持ち場へと就いた。


「お疲れ様です。踊りの合間の隙を狙うスリが多いです。目を離さないように」

「了解」


フーリェンが短く応じ、ジンリェンも静かにうなずく。二人が並んで通りを歩き始めると、周囲の喧騒の中にあっても、その背筋の伸びた姿は目を引いた。


夜が始まろうとしていた。演武の舞台から一転、王都の静かな守り手として、双子はまた新たな役目を果たす。派手ではない。けれど、確かに必要な役割。そんな彼らを照らすように、頭上で最初の灯籠がぱっと灯った。静かな明かりが、隊服の肩に柔らかく差し込んでいた。


――――

陽が完全に落ち切り、空は群青に染まりつつあった。通りの両脇に連なる灯籠が、祭りの賑わいを浮かび上がらせる。行き交う民たちは皆、楽しげに笑い、手には菓子や飾り物、頭には花冠を載せていた。その中を、無言のままゆるやかに歩く二つの影があった。


「……見て、あれ、ジンリェン様とフーリェン様じゃない?」

「ほんとだ、うわ、すっごい綺麗……女の人? いや、男……?」

「ねえ、花渡してくる?」


そんな声が、通りすがるたびに左右から飛んでくる。ジンリェンは顔色一つ変えずに人々を誘導しながら、内心では呆れていた。だが、それよりも明らかに視線を集めているのは、隣を歩くフーリェンだった。


彼はその能力故に滅多に国民の前に素顔を晒すことはない。”第四王子の直属護衛”の存在は知っていても、実際にその目で白狐のフーリェンの姿を見る機会は少ない。普段よりも多少整えられた髪に感情の読めない静かな瞳が、人々の想像を煽っていることも大いに予想がつく。男女問わず、彼に向けられる視線は熱を帯びていた。中には、遠巻きに見ながら花を差し出そうとする者もいたが、フーリェンの無表情さと、護衛らしい凛とした空気に気圧されて、誰も近づくことはできない。


それでも、視線だけは途切れなかった。


フーリェンはそのことに気づいていながら、何も言わなかった。言葉にしたところで意味はないと分かっているからだ。横顔には揺るぎなく任務を遂行する兵士の顔があり、少しでも隙を見せれば一斉に押し寄せてきそうな空気を、鋭い沈黙で押し返していた。


「……なぁフー、少し笑ってみたらどうだ?」


不意に、横を歩いていたジンリェンが小声で囁く。からかいではなく、純粋な助言だった。


 フーリェンは横目で兄を見た。


「……無理。余計寄ってくる」

「…たしかに」


ジンリェンは苦笑し、それ以上は言わなかった。


夜の王都の熱気の中に双子の姿は自然と溶け込み、そして同時に浮かび上がっていた。まるで灯籠の光に引き寄せられる蛾のように、人々の視線が彼らの周囲を飛び交う。


やがて鐘の音が遠くで鳴り、宵祭りの終わりを告げる合図が響き渡る。人々が名残惜しそうに帰路につきはじめる頃、警備の兵たちもそれぞれの配置に戻り、少しずつ喧騒が引いていった。


こうして、華やかに幕を開けたウェディング祭りの二日目も、静かに終わりを告げるのだった。

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