ウェディング祭
朝靄が晴れる頃、王都はすでに色とりどりの花と布飾りで埋め尽くされていた。道の両脇にはフェルディナを象徴するランの花が咲き乱れ、街灯には紅いリボンと金糸の垂れ飾り。行き交う人々の髪や衣にも、小さな花冠や刺繍飾りが揺れている。
年に一度の「ウェディング祭」が幕を開けたのだ。
若者たちは花冠を被り、手製の花飾りを交換しながら街を練り歩く。笑い声と音楽、菓子屋の香りと風に舞う花びらが街全体を柔らかく包んでいた。
「ずいぶん、にぎやかですね」
フーリェンは楽しそうに露店を覗き込む町娘たちの背を見送りながら、ぽつりと呟いた。彼の半歩前にはルカの姿がある。
「そうだね。子供たちは菓子をもらいに駆け回り、大人たちは花を探して歩く。まさに、祭りって感じだね」
ルカはそう言うと道端で踊る子供たちに軽く手を振った。子供たちはきゃあきゃあと笑いながら、花のついた飾りをルカへと差し出す。
「ほら、フーも。これもらって」
「……?」
「“あなたに幸せが訪れますように”って意味だよ」
小さく「ありがとうございます」と告げて、フーリェンは花飾りをそっと袖口に通した。風に揺れる小さな花から、微かに春の香りが鼻に届く。
「……騒がしいのは苦手ですが、たまになら悪くありません」
「うん、私も。こうして笑える日があるのは大事なことだしね」
ルカは背後に続く兵士たちへとにこりと笑いかけた。いつもは目を光らせて歩く彼らの気配すらも、この日ばかりは春風のように柔らかだった。
通りをひと巡りした後、二人は人混みを避けて、少し外れた細い通りを歩いていた。喧噪から少し距離を置いたこのあたりは香草や小花を売る店が並び、年配の店主たちがゆったりとした口調で客と話している。
花の香りがふわりと鼻先をかすめた。淡い紫のラン。柔らかなクリーム色の花々。道端に並べられた籠の中には、丁寧に編まれた花冠がいくつも重ねられている。
「いらっしゃいませ、第四王子殿下に、その護衛さん」
声をかけてきたのは年老いた花屋の店主だった。しわくちゃの手が、くるくると器用に花を紡いでいく。
「今日は独り者の日。若い子には特別に一つ、無料であげているんだよ」
そう言って、彼女はすっと花冠を差し出してきた。
「おまえさん、つけるかい?」
視線を向けられたフーリェンは、一瞬間を置いた。花冠を受け取ろうとした手がぴたりと止まる。逡巡した後、指先がそっと花の縁に触れた。
「……迷ってるの?」
穏やかな声が、横から割って入った。視線を向けるよりも先に、すっと伸びた手が代わりにその花冠を受け取る。
「こういうものは、気軽につければいいんだよ。形式や意味に縛られる必要なんてない」
そう言いながら自分の頭に花冠を乗せてしまう。淡く輝く金髪に白と青の小花がふわりと重なった。
「どう、似合ってる?」
「……はい」
にこにこと笑うルカへとフーリェンは一言だけ返すと、目を逸らした。店主は朗らかに笑い、すっと目元を弛める。
「この花はね、『誠実な心と変わらぬ想い』を象徴してるのよ」
花冠が落ちないよう老婆へと小さく頭を下げると、ルカは冠の縁を軽く指先で整えた。ふと、その視線がもう一度フーリェンに向けられる。
「なおさら、君の方がつけるべきだったかもしれないね」
「……必要ないです」
「そう?」
やや素っ気ないその答えに、ルカはどこか安心したような表情を浮かべる。
必要ない、とは。誰の視線も求めていないのか、それとも……。心の中の呟きを口にはせず、ルカはそのまま歩き出す。
フーリェンは小さく息をつくと、花屋の籠に一度だけ目をやった。色とりどりの想いが、いくつも輪になって揺れている。手は伸ばさない。
王都の空に、笛の音が高く鳴った。陽が傾き、街路の石畳が橙に染まり始める。
ウェディング祭の一日目は、ゆっくりと、けれど確実に、次なる場面へと移ろい始めていた。
一方、王宮の高台では。
「視界、異常なし」
「了解。こっちも異常なし」
ランシーとシュアンランは、正門脇の塔から王都の様子を見下ろしていた。外が浮かれるほど、内には緊張が走る。群衆に紛れての侵入、混乱時の襲撃。それを警戒するのは、護衛たちの常である。
「……それにしても、王都の連中、祭りになるとほんとすごいな。屋根の上に花咲いてたぞ。誰が飾ったんだあれ」
「子供か、兵士か、……両方だな」
「お前はこういう日くらいもう少し楽しめよ」
「今は任務中だ。祭りだろうが手は抜かないさ」
「お前ちょっと……フーに似てきたな」
軽口を交わしながらも、決して警戒の目は緩めない。隣で街を見下ろす狼に倣い、ランシーも視線を戻す。春風に乗って笑い声が聞こえてくる。通りを走る子供が転んで、またすぐ立ち上がる。
一先ず眼下の王都は平和だ。気を抜けば緩んでしまいそうになる口元をぎゅっと引き締めて、二人は次の交代まで静かに王都を見守るのだった。




