第一章 路地に潜む影
【登場人物】
ランシー…第3王子ユリウスの直属の護衛を務める。フーとはよく組んで任務に当たることが多い。単純故に強力な身体強化の能力をもっている。
石畳の路地を駆け抜ける足音が二つ、王都の午後に鋭く響いていた。
フーリェンは無言のまま先を行き、ランシーが少し後ろを並走する。
「……なあ、久しぶりだってのに、ひとこともねぇのかよ?」
返答はない。ただ風に靡く白銀の髪と、琥珀の瞳が前方に鋭く据えられている。
「相変わらずだな、フー。昔からオレが何言っても反応薄いしよ」
ランシーはそう言って、口元に苦笑を浮かべた。
「まあ、喋らないわりに、背中は信用できるって思ってっけどな」
その言葉に、フーリェンがほんのわずかだけ視線を横に寄越した。
「……それはどうも」
「へぇ、言葉返したじゃん。今日は気分がいいのか?」
またしても無言。
だが、ランシーはそれに構わず言葉を続けた。
「ま、いい。どうせお前が喋らなくても、オレが勝手に喋ってる方が落ち着く」
「……」
「なあ、任務終わったらまたあの茶屋でも寄ってくか? お前、甘いやつ好きだったろ?」
「別に、特別……」
そのとき、フーリェンが不意に立ち止まった。
鼻先にかすかに残る、血と油の臭い。
「この路地…」
「……あぁ。こっちに逃げたか。痕跡あるな」
ランシーは瞬時に獣の目へと変わり、周囲を睨んだ。
毛並みを逆立て、気配を探る姿はまさに百戦練磨の戦士そのものである。
「行くぞ」
フーリェンが短く告げ、身を低くして路地の奥へ滑り込む。ランシーもすぐにそれに続いた。
――無言だが、互いの動きには無駄がない。
何度も肩を並べたことがある、というよりは、共に戦った記憶が身体に染みついているような呼吸。
「なあ、フー。覚えてるか? 二年前の…、あんときもこうやって走ったよな」
「……あのときは、僕が囮になった」
「そんで、オレが敵陣のど真ん中からぶっ壊して戻ったな。あれ、いい連携だったぜ」
言いながらも、ランシーの視線は一瞬たりとも油断していない。
──王都・南部街裏手、廃屋の並ぶ石畳の路地。
「侵入者はこのあたりに潜んでるはずだが……」
ランシーが肩を回しながら呟いた。
「周囲には被害の痕跡……三件。どれも非戦闘員の負傷」
フーリェンの声は変わらず静かだったが、目は鋭く、耳が微かに揺れていた。
そのとき──。
ひゅっ、と風が走る。
「伏せろ!」
フーリェンが短く叫ぶと同時に、視界の右から無数の黒い針のようなものが飛来した。即座に二人は壁際に身を伏せ、ギリギリでそれをかわす。
針は石壁に突き刺さり、そこから一部が煙のように消えた。腐食性を持つ何か――毒か、能力か。
「へぇ、厄介なのが来たもんだ」
路地の奥、薄闇の中から、一体の獣人が姿を現した。
蛇のような瞳に、黒鱗の皮膚。肩から腕にかけては鋭い棘を備え、指先には異常に長い鉤爪。
「王宮の護衛か」
その声は濁っていて、だが確かな自信と嘲りを含んでいた。
「対象確認。捕縛、または無力化」
フーリェンが短く呟き、目を閉じる。
次の瞬間、彼の体格と筋肉の流れが微かに変化する。模倣したのは、数年前に一度だけ対峙した爬虫系の獣人。敵と同じ種族だが、戦闘経験の上で得た「回避重視の身体操作」だった。
「先行くぜ」
ランシーが一歩前へ出た。
その拳が軽く地面を打つと、石畳がかすかに震える。
彼の身体から発せられる気圧が、空気をわずかに震わせた。敵は素早く動く。黒い鱗の男が跳躍し、爪を振るった。軌道は鋭く、目視できないレベルで連続攻撃が襲いかかる。ランシーが前に出て、それを全て腕で受ける。
「お前、固いな」
「ありがとよ。ちょっとは鍛えてるんでな!」
拳が振るわれる。壁に当たる直前、敵は身を引いた。
が──その瞬間を狙って、フーリェンが跳躍。
背後から、音もなく接近していた。
「──そこだ」
鋭い一撃。フーリェンは短刀の鞘で、首筋を打ち抜いた。変化によって強化された脚力で壁を蹴り、その反動で斜めから急襲したのだ。敵はぐらついたが、体勢を崩すと同時に口から毒霧を吐き出す。
「下がれ!」
ランシーが声を上げ、拳で地面を打ち砕く。
割れた石畳の破片を盾代わりにし、霧を分散させる。
視界が一瞬だけ曇る。
──その間にフーリェンが再度、敵の背後に回っていた。先ほどランシーが打ち砕いた石垣の破片を、模倣した熊の腕を使って躊躇うことなく頭部に叩きつける。
「……っ!」
意識が一瞬飛んだ敵に、ランシーの拳が止めを入れた。
「おやすみ!」
鈍い音とともに、敵の身体が地面に沈んだ。
黒い鱗の男は動かなくなった。
フーリェンは呼吸を整えながら、手早く縄を取り出し、敵の四肢を縛っていく。
「派手じゃないけど、こういうのが一番疲れるんだよな……」
ランシーが肩を回し、煙の残る空気を鼻で嗅ぐ。
「侵入経路と動機は不明。尋問対象として、軍本部へ移送する」
「了解。ついでに報告も一緒に頼むぜ」
「……手伝え」
「冗談だよ、冗談」
二人の獣人は、そのまま日暮れの路地を後にした。
都の風が、静かに通り抜けていく。
その足取りは速く、だが確かだった。
作り溜めしていたので、更新早めです!