路地に潜む影2
【登場人物】
ランシー→第三王子ユリウスの直属護衛を務める。単純故に強力な身体強化の能力をもっている。
ひと気の無い回廊を抜け、南門から王宮の外へと出ると、冷たい風が頬を撫でた。陽は傾き、街路の影が長く伸びている。ここから南部区画まではそう遠くはない。走れば数刻後にはたどり着けるだろう。
「偵察帰りで、災難だったなフー」
隣で軽やかに走りながら、獅子の男は笑う。その声に返答はせず、フーリェンはただ前を見据えたまま走り続けている。それでも、唇の端がほんの少しだけ緩んでいることに、ランシーは気づいていた。
「……なあ、久しぶりだってのに、ひとこともねぇのかよ?」
返答はない。ただ風に靡く白髪と、琥珀の瞳が前方に鋭く据えられている。
「その反応の薄さは相変わらずだな」
ランシーはそんな彼の様子を気に留めることもなくそう言うと、口元に苦笑を浮かべた。
「まあ、喋らないわりに背中は信頼できるって思ってっけどな」
その言葉に、ようやくフーリェンは視線を後ろへと寄越した。
「それはどうも」
「おっ、言葉返したじゃん。今日は機嫌いいのか?」
またしても無言で返してくる彼に、ランシーは構わず言葉を続けた。
「ま、いいや。お前が喋らなくても、俺が勝手に喋ってる方が落ち着くしな。なあ、任務終わったらまたあの茶屋でも寄ってくか? お前甘いやつ好きだったろ?」
「別に、特別……」
先を走るフーリェンが不意に立ち止まった。続けて足を止めたランシーも違和感を覚えて周囲を見回す。鼻先が拾ったのは、微かな血と油の臭い。
「この路地……」
「あぁ。こっちに逃げたか。痕跡あるな」
先ほどまで軽口を叩いていた獅子の目は瞬時に獣のものへと変わっている。毛並みを逆立て、気配を探る姿はまさに百戦練磨の戦士そのものである。
「行くぞ」
短く告げ、身を低くして路地の奥へ滑り込むフーリェンにランシーも続く。
「なあ、フー。覚えてるか? 二年前の……あんときもこうやって走ったよな」
「あの時は僕が囮になった」
「そんで、俺が敵陣のど真ん中からぶっ壊して戻ったな。あれ、いい連携だったぜ」
そう言いながらも、彼の視線は一瞬たりとも油断していない。
やがて二人が足を踏み入れたのは、王都南部街の裏手。廃屋の多く並ぶ、石畳の路地だった。
「侵入者はこのあたりに潜んでいるはずだけどな……」
肩を回しながら呟くランシーに、フーリェンも警戒を崩さず周囲の音に耳を傾けた。
そのとき──。
ひゅっ、と耳元を風が走った。
「伏せろ!」
短い叫び声と同時に、視界の右から無数の黒い針のようなものが飛来した。即座に二人は壁際に身を伏せ、ギリギリでそれを躱す。針は石壁に突き刺さり、一部が煙のように消えた。腐食性を持つ何か。毒か、能力か。
「へぇ、厄介なのが来たな」
路地の奥、薄闇の中から一人の獣人が姿を現した。蛇のような瞳に、黒鱗の皮膚。肩から腕にかけては鋭い棘を備え、指先には異常に長い鉤爪がある。
「“王宮の獣護”か」
濁ったその声は、確かな自信と嘲りを含んでいた。
「対象確認。捕縛、または無力化」
フーリェンは短く呟くと、目を閉じた。次の瞬間、彼の体格と筋肉の流れが微かに変化する。模倣したのは、数年前に一度だけ対峙した爬虫系の獣人。敵と同じ種族だが、戦闘経験の上で得た『回避特化の身体構造』だ。
「先行くぜ」
ランシーが一歩前へ出た。その拳が軽く地面を打つと同時に、石畳が震える。彼の身体から発せられる圧が、空気をも震わせた。
黒鱗の男は跳躍し、彼へ向かって爪を振るった。軌道は鋭く、目視できない速さで攻撃が襲いかかる。
ランシーはさらに一歩踏み込むと、それを全て腕で受け流した。
「お前、固いな」
「ありがとよ。ちょっとは鍛えてるんでな!」
拳が振るわれる。壁に当たる直前、男は身を引いた。フーリェンは大きく跳躍する。背後から音もなく接近し、迷いなく短刀の鞘で首筋を打ち抜いた。その姿はいつの間にか兎獣人へと変わっている。変化によって強化された脚力で壁を蹴り、その反動で斜めから急襲したのだ。
男はその勢いに体勢を崩すも、焦ることなく口から毒霧を吐き出した。
「下がれ!」
ランシーが声を上げ、拳で地面を打ち砕く。割れた石畳の破片を盾代わりにし、霧を分散させる。視界が一瞬だけ曇る。
再度男の背後へと回り込むと、フーリェンは打ち砕かれた石垣の破片を模倣した熊の腕を使って躊躇うことなく頭部に叩きつけた。
意識が一瞬飛んだ男に、ランシーの拳が止めを入れた。
「おやすみ!」
鈍い音とともに、鱗に覆われた身体が地面に沈む。
「派手じゃないけど、こういうのが一番疲れるんだよな……」
ランシーは肩を回しながら、地面に転がる侵入者へと視線を向けた。黒に鈍く光る鱗と、飾り気のない外套。何のために侵入したのか、その目的は見た目だけでは判断できない。
「侵入経路と動機は不明。尋問対象として、移送する」
「了解。ついでに報告も一緒に頼むぜ」
「……手伝え」
「冗談だよ、冗談」
悪びれる様子もなくひらひらと手を振るランシーに小さくため息をつきながら、フーリェンは空を見上げた。
いつの間にか、日は落ちかけている。
こうして二人の獣人は、そのまま日暮れの路地を後にしたのだった。




