路地に潜む影
【登場人物】
アルフォンス…フェルディナ王国第一王子。ジンリェンの主。
王宮の回廊に、足音が静かに響いている。陽は傾き始め、赤金色に染まる窓からの光が白の髪をやわらかく照らしていた。
昨夜の兄とのやり取りを思い出しながら、フーリェンは真っすぐにルカの執務室へと向かっていた。やがて辿り着いた部屋の前で一度足を揃えると、彼は軽く二度、重厚な扉を叩いた。
「どうぞ」
すぐに返ってきたその声に「失礼します」と声を掛け、フーリェンは重い扉を静かに開いた。軋む音が響き、部屋へと足を一歩踏み入れた瞬間、室内の空気がいつもと少しだけ違うことに気がつく。
部屋の主であるルカの傍らには、凛然たる風格を纏った男が座していた。
「フーリェン。久しぶりだな」
低く通る声。その声音だけで、彼がどれほどを率いてきたのかが分かる。
フェルディナ王国第一王子アルフォンス。鋼色の瞳に揺るぎない威厳を湛えた、王位継承権第一位にして全ての軍政を束ねる存在。
「第四軍隊長フーリェン、ただ今戻りました。アルフォンス殿下、お目にかかれて光栄です」
「形式はいい。ルカに報告をしに来たのだろう?」
アルフォンスは穏やかに笑みを見せたが、その奥にある眼差しは鋭い。そのどこか探るような視線に、若干の居心地の悪さを感じてしまう。隠すものは何もないはずなのに、全てを見透かされているような錯覚を覚えるのだ。
「お使いはどうだった?」
にこにこと笑みを浮かべるルカの声に、フーリェンは逸らしかけた視線を彼へと移した。
「はい。ご指示どおり、馴染みの書店に立ち寄り、王都の様子も一通り確認してきました」
「うん。何か気づいたことは?」
一拍の間。
「……路地裏で、奴隷商と思しき者どもに遭遇しました。そのうち一名を拘束。事後、子供は巡回中の兵士へ引き渡しました」
横で報告を聞いていたアルフォンスの表情が引き締まった。
「王都の中で、か」
短い言葉だったが、その響きには怒りと警戒が滲んでいた。そんな兄王子の呟きにルカは静かに頷いた。
「商人については私の方から軍に伝達するよ。フー、ありがとう」
「身に余るお言葉です」
主の言葉にフーリェンは深く頭を下げた。
久しぶりに顔を合わせたからかもしれないが、どうにも第三者に見られていると思うと上手く言葉が出てこない。第一王子の視線が横から流れるたびに、胸の奥がそわそわとする。
「さて、それなら今日はもう戻っていいよ。……あ、報告ついでに、頼んでおいた本も受け取ってきてくれたんだよね?」
「はい。こちらに」
手に持っていた布包みを差し出す。中は確認していないが、恐らく王都で流行っている小説の類だろう。任務に出る前、そんな話をした覚えがある。
ルカはフーリェンから包みを受け取ると、満足げに頷いた。
「完璧。……本当に“お使い”だったね」
茶目っ気を含んだ口調に、フーリェンはわずかに目を伏せた。
結局この人には敵わないのだ。それでも、こうして戻る場所があることに、心が安らぐのも事実。
「では、下がります」
一礼して部屋を退出しようと踵を返した直後、扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。
「失礼いたします!」
外から息を切らした兵士の声が響き、反射的に扉の前に立つ。
そんなフーリェンへルカは軽く手を上げると、「入っていいよ」と扉の向こうへと軽く応じた。
駆け込んできたのは第一軍の若い兵士だった。頬には汗が滲み、胸の装飾が上下に揺れている。
「アルフォンス殿下、ルカ殿下……王都南部の区画から緊急連絡です! 外郭警備が一部突破され、不審者が王都内に侵入しました!」
「身元は?」
「まだ不明ですが、複数名、軽武装の集団。市民区域への接近も確認されています!」
その言葉に、フーリェンは即座に腰の短剣へと手を添えた。
「第四軍の動員を――」
「待って」
兵士の声をルカが静かに遮った。
「初動に軍を動かせばかえって混乱を招く。少数で現場確認を――」
そのとき、アルフォンスが軽く顎を動かして扉の外へ合図を送った。
「入れ」
執務室に一人の獣人が現れる。赤茶のたてがみをざっくりと後ろにまとめた、堂々たる体躯の青年。獅子獣人ランシー。第三王子直属の護衛である。
「殿下、ご命令を」
「話は聞いていたな? フーリェンと共に南部へ向かえ」
「承知」
淡々とした返答にアルフォンスが軽く頷く。ルカもそれに同意し、並び立つ二人の護衛たちへと命を下した。
「フーリェン、ランシー。二人で王都へ急行。現場確認と民の保護を最優先に。状況次第で交戦も許可する」
「「御意」」
二人の護衛が背を向け、執務室を後にする。
「気をつけて、二人とも」
ほんの一言だったが、その声には確かな信頼が込められていた。




