狐の帰還2
【登場人物】
ジンリェン…愛称はジン。フーリェンの双子の兄。第一王子アルフォンスの直属護衛を務める。
シュアン…本名はシュアンラン。第二王子セオドアの直属護衛を務める。
ジンのよきライバルであり、フーとは…?
そして数刻後。王都北側に位置する宿の前で、手元の地図と記された部屋番を確認したフーリェンは足を止めていた。
戸の奥に漂うのは、炎の気配。休暇の宿にと主人が指定したこの宿は、質素な木造りで古びてはいるが手入れは行き届いていた。無言のまま扉を二度叩くと、すぐに中から声が返ってくる。
「誰だ?」
中から聞こえたその声に表情が和らぐのを自覚しながら、小さく「フーリェン」と、自身の名前を扉の向こうへと投げかける。
少しの沈黙の後、扉がゆっくりと開いた。隙間から顔を覗かせたのは、自身と同じ白髪に、琥珀色の瞳。美麗という言葉がピタリとはまる面差し。
双子の兄――ジンリェンだった。
「よく来たな、元気だったか?」
「……そっちこそ」
言葉に僅かな間が入る。互いの存在が近くに戻ってきたことを確かめ合うような、静かな一拍だった。
「入れよ。火は入れてある」
フーリェンは小さく頷くと、兄の後に続いて部屋へと足を踏み入れた。
中は簡素な作りだが、角には火鉢が置かれ、温かな炎の気配で満ちている。ぐるりと視線を巡らせると、武具の袋と数冊の地図が机の上に広げられているのが見えた。地図の端には指でなぞった跡があり、一部が黒ずんでいる。幾度も戦略を練った跡が見て取れた。
「休暇か?」
「そう。ルカ様に命じられて」
「相変わらず素直じゃないな、お前は」
そう言うと、ジンリェンは笑った。その言葉には反応せず、近くにあった椅子にすとんと腰を下ろす。そのままフーリェンは視線だけを兄へと向けた。そんなに長く離れていたわけではなかったが、彼の笑みは不思議とどこか懐かしく感じられた。それと同時に、その奥に疲労の色があることに気付く。
しかしそれを口に出すのは野暮だと理解しているからこそ、フーリェンは黙って椅子に沈んだ。
「ジンは任務帰り?」
「ああ。お前と同じく、な。俺は東から帰還したところだ。少し荒れていたぞ、向こうの情勢」
「西側も、きな臭い感じだったよ」
それに――と、フーリェンは言葉を詰まらせながらも続けた。
「……王都にも、奴隷商が入っていた」
その一言にジンリェンの表情がわずかに陰った。瞳の奥の琥珀が、小さく揺れている。
「報告したか?」
「……検討中」
「そうか」
小さく呟いてから、ジンリェンは椅子に戻った。彼の手が火鉢の縁に触れ、炭の赤がふっと揺らぐ。沈黙が一瞬、二人の間に落ちた。
「今日は、久しぶりにゆっくり話そう。明日は俺も休みをいただいている」
「うん」
火鉢にくべられた炭が、ぱちりと小さく弾ける。
「……東は、徒党を組んだ獣の群れが暴れていた」
椅子に背を預けながら、ジンリェンが口を開く。その口ぶりは落ち着いていたが、装備に残る傷と煤の痕が任務の過酷さを物語っていた。
「第一軍の補給線が、一時寸断されたって聞いた」
「ああ。今は回復している。俺が出向いたのは、あくまで火種を摘むためだ。幸い、大規模な衝突には至らなかったよ。……そっちは?」
「アドラの国境周辺。動きは慎重だった……けど、内密に人員を移している形跡があった」
「やっぱり、まだ完全に引いてはいないか」
アドラ王国とは、先々代の時代から戦が絶えない。ヒューマンと獣人との共生を掲げるフェルディナとは異なり、アドラではヒューマンと獣人との間に埋められない格差が存在する。そんな隣国との衝突は近年増す一方であり、こうして定期的に牽制や偵察を行っていた。
戦は終わらない。ただ、形を変えて続くだけである。
「それで、シュアンは?」
急に兄の口から飛び出したその名前に、ぴくりと片耳が反応する。でも何となく気付かれたくはなくて、そっけない言葉が口から出てきた。
「……会ってないから分からないけど、戦場を一面凍らせたって」
「相変わらずだな、あいつ」
小さく笑って呟いたジンリェンは、テーブルの上に置いてあったマグカップに手を伸ばした。湯気の立つ茶を口に含み、ふっと一息つく。
「あまり無茶はしてくれるなとは思うけどな」
「それを言うなら、向こうも同じことを思っていると思うよ」
「あいつ、戦場では氷刃より冷めているくせに、お前のこととなるとすぐ沸騰しそうになるからな。一度会ってやれ。きっと、そろそろ限界だぞ」
そんなからかい半分の言葉にどう返していいか分からず、フーリェンは曖昧に視線を逸らした。
やがてジンリェンは立ち上がると、小窓から外を覗いた。通りの影から覗く街明かりはキラキラと輝いており、耳をすませば酒場で騒ぐ男たちの愉快な声が聞こえてくる。
華やかで騒がしい、王都の夜の音。それらを聞きながら、フーリェンは少しだけ背を伸ばした。
「王都も、油断できなくなってきた。目に見えないところで、少しずつ何かが変わってきている」
「うん……」
火鉢の中の炎が、ぱちりと音を立てて崩れた。その音がまるで何かの予兆のように、静かな夜の中へと溶けていったのだった。




