演武候補3
珍しくフーリェンがルカへと『お願い』をしてから、早くも一日が経った。第一王子アルフォンスの執務室では、兄弟の静かな対話が交わされていた。
「兄上。例の展示演武の件ですが、フーを出します」
ルカが穏やかに切り出すと、対面に座っていたアルフォンスは静かに書類から視線を上げた。
「よく、あのフーリェンを説得できたな」
「説得したわけでは……。ですが、去年の盛り上がりを考慮しても、あの子がいいのではないかと私は思いますよ」
「……そうか。この前のあれは半分冗談だったんだが……お前が言うならそれでいい。後でセオドアとユリウスにも伝えておこう。それで? それだけ言いに来たわけではないだろ?」
その言葉に、ルカはくすりと笑みを浮かべながら答える。
「はい。フーの参加の件なのですが、一つ条件がありまして」
「条件?」
「兄のジンリェンも、共に演武へと。……やっぱり、一人では出たくなかったようです」
そう言って八の字に下がった眉の動きに、アルフォンスは微かに笑った。
「面白い。あの無表情で、意外とそういうところがある」
「ご理解いただけて何よりです」
「分かった。ならば、俺の名でジンに伝えよう」
その日の夕刻。王宮の中庭にある弓場では、ジンリェンがひとり黙々と弓を引いていた。弓弦が張り詰め、矢が空を裂く。風が切られる音だけが場を支配する。そんな静寂の中、兵士の一人が足早に彼の元へと駆け寄った。
「ジンリェン隊長。第一王子殿下より、ウエディング祭での展示演武のご出場を打診されております」
「……演武?」
弓を下ろしながら、ジンリェンはその報せに眉を顰めた。
「あれ、俺の名は今年の候補に入ってなかったはずだろ」
「はい。確かに、正式な候補者名簿にはございません。しかし、今回は特別打診とのことで――」
「特別、ねぇ……」
弓を横に置き、額の汗を拭うと彼は続けた。
「それ、どこから話が回ってきた」
「発端は第四王子殿下だと。なんでも、演武への参加を承諾された――」
「……フーか」
小さく溜め息が零れる。
「あいつ、演武に出るの嫌がってだろ」
「……はい。そのように、聞いておりますね」
「んで、自分だけじゃ気が滅入るから、兄貴を道連れにってか」
兵士が何も言わずにうなずくと、ジンリェンは頭をガシガシとかいた。
「はあ……ほんと、あいつってば昔っからそうなんだよ。口に出さないくせにこういう時だけ妙に素直で困る」
やれやれと言いたげにため息を吐きながらも、彼の声にはどこか緩やかな温かみがあった。
「分かった。アルフォンス殿下の打診なら、従わない理由もない。元を辿れば、フーが頼んだんだろうしな」
そう言って目を伏せた彼の口元は笑っている。
「付き合ってやるさ、弟のわがままに」
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月が高く昇り、王宮の喧騒が嘘のように静まった夜半。訓練場の片隅、古い石柱の影。昼間は兵たちの声が響くその場所に、二つの影があった。
「わざわざこんな夜更けに呼び出さなくてもいいだろ」
「……人が少ない方が、いいでしょ」
並び立つ二人の狐の獣人――ジンリェンとフーリェン。炎を内に宿す兄と、氷を思わせる眼差しの弟。双子とはいえ、雰囲気は対照的な二人。
「で、お前が推薦したっていうのは本当か?」
「……本当」
「せめて、兄を労る気持ちが少しくらいあってもいいと思うけどな、弟よ」
「僕一人で晒し者になるより、二人で晒し者になったほうがマシだなと、思って」
「おい……それを本人に言う奴があるか?」
ジンリェンは肩をすくめ、石の縁に腰を下ろす。
「まぁでも、お前が俺を選んだって聞いた時、ちょっと嬉しかったけどな」
「……どうして」
「いつも、自分ひとりで何とかしようとするだろ。あんまり人を巻き込まない。……俺でも、な」
フーリェンは一瞬だけ黙り込んだ。
「巻き込みたかったわけではないけど、巻き込んだ方が気が楽だった」
その言葉に、ジンリェンはふと笑った。
「そっか。……なら、しょうがないな」
しばしの静寂。月明かりが彼らの輪郭を白く照らし、夜風が柔らかに吹いた。
「なあ、フー。ああいう場、嫌いか?」
「……歓声も、視線も、拍手と喝采も。……全部、気が削がれる」
「だよな。俺も好きじゃない」
「でも、ジンは平然としてた」
「そう見えてただけだ。始まるまで腹が鳴ってた」
「……それは空腹の音」
「ちげぇよ」
ジンリェンは軽く笑い、夜空を見上げた。
「まぁ、なんにせよ。やるからには――」
「手を抜かない。……分かってる」
「うん、それでいい。さ、兄弟共演だ。せいぜい印象的にしてやろう」
フーリェンは小さく頷き、腰を下ろした。
風が二人の白髪を揺らす。
言葉少なに過ごす時間。だがその沈黙は心地よく、兄弟にとっては何よりの対話だった。
今年の祭、舞台には双子の白狐が並ぶ。武器を持ち、互いに引き立て合う。
億劫に思っていた演武も、兄と一緒なら、少しは楽しめるのではないか。
フーリェンは揺れる兄の耳を見つめながら、そう心の中で思ったのだった。




