演武候補2
翌日。春の陽光をたっぷりと浴びる王宮の回廊は暖かかった。
フーリェンはその光に眩しそうに目を細めながら、一人静かに目的の場所へと向かっていた。
断りに行く。いや、確認に行くだけだ。まだ決定じゃない。そう自分に言い聞かせながらも、足はまるで錘でも括りつけられたように鈍く、遅い。
『候補』に名を連ねたからには、所属軍の最高指揮官――すなわち、主人であるルカへの報告と確認は避けられない。
角を曲がると、兵士が二人談笑していた。視線を合わせないように俯いて通り過ぎようと思ったが、パッと華やいだ顔を前にそうもできなかった。
「フーリェン隊長!」
「お疲れ様です! ……って、噂は本当だったんですね?」
無駄に明るい声。
軽く片手を上げるだけで会話を終わらせようとするも、すかさずもう一人が道を塞ぐように身を乗り出してくる。
「今年も演武ですか! 去年の開始直後の一振り、まだ覚えてますよ。剣、空裂いてましたよね!」
「……そうか」
(忘れてくれ)
「今年はどんな構えで来るのか、密かに賭けまで始まってるんですよ。『無音の連撃』か『霜剣の舞』か――」
「名付けるなよ……」
「えっ、でもどっちも格好良くないですか? 僕は無音の連撃派ですね! 見た目地味だけど一番怖いやつです!」
フーリェンは何も言わず、肩をひとつすくめて歩を進める。内心ではどうして自分の剣技が勝手に名付けられているのか、深く問い詰めたい思いに駆られていた。
演武より任務の報告書の方が千倍マシだ。そんな思いが、心の奥からふつふつと湧き上がってくる。
通りすがる兵たちが口々に零す演武への期待の声は、まるで鎧の隙間からじわじわ染み込んでくる毒のようだった。
王宮内を進めば進むほどその視線は増していく。そのたびに、フーリェンの無表情はより硬質な仮面と化していった。
やがて見慣れた扉の前に立ったフーリェンは、一度深く息を吐いた。
あの人が「出ろ」と言えば断れない。だからこそ、今のうちに火種は潰しておく必要がある。大丈夫、大丈夫。心の中でそう唱えてから、フーリェンは扉の向こうの主へと声を投げかけた。
「フーリェンです。ルカ様、お時間をいただけますか」
逃げるなら、今だ。
そんな思いが脳裏をかすめたが、それを振り払うように、フーリェンは静かに扉の中へと足を踏み入れたのだった。
部屋の中は、揺れるカーテンの隙間から暖かな陽が柔らかく差し込んでいた。その光を背に、机の前に立っていたルカは微笑みながら振り返った。
「フー。丁度君を呼ぼうと思っていたんだ」
相変わらずの優しい声。その穏やかさに罪悪感がちらりと胸をかすめる。が、今は譲れない。
「……少し、お時間をいただきたくて」
促されるまま長椅子に腰を下ろしつつ、フーリェンは姿勢を正した。
「演武の話、だよね」
「……既に、お耳に?」
「うん。祭事担当から私にも報告があった。君の名前を候補に挙げたいって」
「……なら話は早いです。僕は辞退します。正直、あの場は……人が多すぎて」
珍しく早口に捲し立てるフーリェンの様子に苦笑しながらも、そのままルカの視線は彼の肩口――戦地で裂かれた箇所へと落ちていく。
「……傷の具合はもう大丈夫?」
不意にかけられたその問いに、フーリェンは目を伏せた。
「まだ、動きには鈍さが残っています。回復はしていますが、万全ではないかと」
「……そう。無理をさせるつもりはないんだ」
ルカは静かに頷いた。しかし続く言葉には彼らしい柔らかな押しが滲んでいる。
「だけどね、フー。演武はただの実力披露じゃない。王都の民たちは、君たちのような存在そのものに安心を感じるんだ。それが、日々の生活の支えになる」
「不穏な影もあるから、なおさらね。王都全体に『この国は安全だ』って空気を届けたいんだ。直属護衛が立つことで、それが伝わる」
それは決して命令ではなかった。しかし断りがたい重みがあった。何よその言葉に嘘がないことが、余計にフーリェンを困らせた。
「……分かっています」
結局、断れないのだ。この人の前ではいつもそうだ。誰より優しい顔をして、気づけば背後に回られている。
沈黙の後、フーリェンはひとつ小さく息をつき、口を開いた。
「一つ条件があります」
「うん?」
「兄さ-―ジンリェンを、演武に出すよう要請します。僕だけが舞台に上がるのは、不公平です」
ルカの顔に笑みが浮かぶ。
「……道連れ、ということ?」
「はい」
小さく、確かに、フーリェンは肯定した。
「兄なら、場も盛り上がる。ご存じの通り民受けもします」
「なるほどね。……本人の了承が得られれば、アルフォンス兄上には私から話しておくよ」
「お願いします」
「ねぇ、フーリェン」
「はい」
「去年も言ったけれど……無理に笑わなくてもいい。でも、舞台に立ったら、君がどれほどの信頼を集めているか、それだけは見ておくんだ」
「……努力します」
柔らかく微笑むルカを前にそう小さく返しながらも、フーリェンの頭の中は、群衆に晒される自身の未来と兄であるジンリェンのことでいっぱいだった。
彼なら快く了承してくれるはず――はない。巻き込まれることで、きっと何か言うだろう。うるさく、軽口を叩きながらも、それでもなんだかんだでそばにいてくれるはずだ。
苦笑いの兄の顔を思い浮かべる。ほんの少しだけ、口元が緩む。
(……最低でも一緒に晒される苦しみは、分かち合える)
そんなことを考えながら、フーリェンは小さく諦めの籠ったため息をついたのだった。




