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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第3章

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演武候補2

翌日。王宮の回廊は正午の陽光をたっぷりと浴びていた。その光を眩しそうに目を細めながら、フーリェンは淡々と目的の場所へと向かう。とはいえ、その歩幅には明らかな“重さ”があった。踵が石床を打つたびに響く靴音が、妙に鈍く響く。


断りに行く。いや、確認に行くだけだ。まだ決定じゃない。そう自分に言い聞かせながらも、足はまるで錘でも括りつけられたように鈍く、遅い。向かう先は、第四王子ルカの執務室。


“候補”に名を連ねたからには、所属軍の最高指揮官――すなわち、ルカへの報告と確認は避けられない。


角を曲がると、兵士が二人、談笑していた。やや重い足取りで向かってくるフーリェンの姿に気づくと、二人は即座に背筋を伸ばした。


「フーリェン隊長!」

「お疲れ様です! ……って、噂は本当だったんですね?」


無駄に明るい声。フーリェンは軽く片手を上げて通り過ぎようとしたが、すかさず、もう一人が身を乗り出してくる。


「今年も演武ですか! 去年の、開始直後の一振り、まだ覚えてますよ。剣、空裂いてましたよね!」

「…そうか」


(忘れてくれ)


「今年はどんな構えで来るのか、密かに賭けまで始まってるんですよ。『無音の連撃』か『霜剣の舞』か――」

「名付けるな」

「えっ、でもどっちも格好良くないですか? 僕は“無音の連撃”派ですね! 見た目地味だけど一番怖いやつです!」


フーリェンは何も言わず、肩をひとつすくめて歩を進める。内心では、どうして自分の剣技が勝手に名付けられているのか、深く問い詰めたい思いに駆られていた。


演武より、任務の報告書の方が千倍マシだ。そんな思いが、心の奥からふつふつと湧き上がってくる。通りすがる兵たちが口々に零す演武への期待の声は、まるで鎧の隙間からじわじわ染み込んでくる毒のようだった。王宮内を進めば進むほど、その声と視線は増していく。そのたびに、フーリェンの無表情はより硬質な仮面と化していった。


やがて見慣れた扉の前に立つ。一度、深く息を吐いた。あの人が“出ろ”と言えば、断れない。だからこそ、今のうちに火種を潰しておく必要がある。


「……フーリェンです。ルカ様、お時間をいただけますか」


逃げるなら、今だ。


そんな思いが脳裏をかすめたが、フーリェンは無言のまま、静かに扉の中へと足を踏み入れた。


扉の内側では、揺れるカーテンの隙間から暖かな陽が柔らかく差し込んでいる。その光を背に、机の前に立っていたルカが、微笑みながら振り返った。


「フー。丁度君を呼ぼうと思っていたんだ」


相変わらずの優しい声。その穏やかさに罪悪感がちらりと胸をかすめる。が、今は譲れない。


「……少し、お時間をいただきたくて」


促されるまま長椅子に腰を下ろしつつ、フーリェンは姿勢を正した。ルカは軽く頷き、手にしていた書類を閉じる。


「演武の話、だね?」


フーリェンの指が一瞬だけ小さく動いた。


「……既に、耳に?」

「うん。祭事担当から私にも報告があった。君の名前を候補に挙げたいって」

「……なら話は早いです。僕は辞退します」


ルカの口が開くよりも先に、本題に入る。

 

「去年、僕の力じゃどうにもなりませんでした。あの場は、……人が多すぎて」


言葉を選んだわけでもない。単に、思ったことをそのまま並べただけ。ルカはしばらく何も言わなかった。そのまま彼の視線はフーリェンの肩――戦地で裂かれた箇所へと落ちていく。


「……傷の具合は、もう大丈夫?」


不意にかけられたその問いに、フーリェンはほんのわずかに目を伏せた。


「まだ、重い動きには鈍さが残っています。回復はしていますが、万全ではないかと」

「……そう。無理をさせるつもりはないんだ」


ルカは静かに頷いた。だが、続けた言葉にはやはり彼らしい柔らかな押しが滲む。


「だけどね、フー。演武はただの“実力披露”じゃない。王都の民たちは、存在そのものに安心を感じる。それが、日々の生活の支えになる」

「今年は王都内に不穏な影もあるから、なおさら、王都全体に“守られている”という空気を届けたいんだ。君のような人が立つことで、それが伝わる」


それは決して命令ではなかった。けれど、断りがたい重みがあった。何より、その言葉に嘘がないことが、余計にフーリェンを困らせた。


「…分かっています」


結局、断れない。


この人の前では、いつもそうだ。誰より優しい顔をして、気づけば背後に回られている。沈黙の後、フーリェンはひとつ小さく息をつき、口を開いた。


「――ですが、一つ条件があります」

「うん?」

「兄……ジンリェンを、演武に出すよう要請します。僕だけが舞台に上がるのは、不公平です」


ルカの表情に、かすかな笑みが浮かぶ。


「……道連れ、ということ?」

「はい」


小さく、確かに、フーリェンは肯定した。


「兄なら、場も盛り上がる。ご存じの通り、民受けもします」

「なるほどね。……本人の了承が得られれば、アルフォンス兄上には私から話しておくよ」

「感謝します」


淡々としたやり取りのはずなのに、ルカはなぜか楽しそうに微笑んでいた。


「フー」

「……はい」

「去年も言ったけれど――無理に笑わなくてもいい。けれど、舞台の上では、君がどれほどの信頼を集めているか、それだけは見ておくんだ」


その言葉に、フーリェンはまばたきを一つだけして、小さく頭を下げた。


「……努力します」


心中では、既に兄の顔を思い浮かべていた。


彼なら快く了承してくれるはず――ではない。巻き込まれることで、きっと何か言うだろう。うるさく、軽口を叩きながらも、それでも、なんだかんだでそばにいてくれるはずだ。


苦笑いの兄の顔を思い浮かべる。ほんの少しだけ、口元が緩む。


(……最低でも一緒に晒される苦しみは、分かち合える)


そんなことを考えながら、フーリェンは小さく諦めのこもったため息をついたのだった。

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