祭2
そうして廊下を進んでいたフーリェンは、角を曲がった先で見慣れた顔と鉢合わせた。
「おや、フーリェン。朝からご苦労だな」
声をかけてきたのは、第二王子のセオドアだった。隣には先日まで共に戦場に立っていたシュアンランの姿がある。
「見回り中です」
短く応じるフーリェンに、セオドアはふっと笑みを浮かべた。
「掲示板は見たか? 今年もウェディング祭の季節だな」
その言葉に、フーリェンの眉がわずかに寄る。
「昨年の演武の反響を覚えているか? お前たちの演目が終わった後、詰所が手紙の山になったと兵士たちがぼやいていた」
セオドアは肩をすくめ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「まったく、民は目が肥えている。お前たちのような護衛が未婚となれば、期待も高まるというものだ。なあ、シュアン」
「あんなの、一時の気の迷いですよ」
話を振られたシュアンランも、前回の祭りの後の惨劇を思い出したのか、苦笑いをしている。
確かに、展示演武には二人とも参加していた。
無骨な剣技を見せるだけの舞台。だが観衆の熱狂、自分たちに向けられた視線と歓声は、戦場よりも厄介に感じられた。
あれは、できればもう二度とやりたくない。
そんな思いを胸に沈めながら、フーリェンは気配を殺すように呼吸を整える。ちらりとセオドアの隣を見やると、狼は軽く肩を回しながら、どこか懐かしそうに空を仰いでいた。どうやら本人は演武そのものは嫌ではなかったらしい。
「今年の祭も、警備やら祭事の準備やらで手一杯だ。お前たちも注意を怠るなよ。王都の裏では、不穏の芽がまだ燻っている」
セオドアが声を落とす。
「梟が調査を進めているとはいえ、侵入者が王都内に潜んでいる可能性もある。民の目が祭に向くこの時期、奴らにとっては好機だろうからな」
それに――と、彼は続けた。
「第七地区の動きもきな臭い。お前の情報がどこから漏れたのか、まだ分かっていない状態だ」
その言葉に、三人の間に祭りには不釣り合いな重い空気が生まれる。
「……承知しております。王都の平和は、僕たちがお守りします」
その空気を払拭するようにフーリェンが静かに応じると、セオドアは満足気に頷いた。
「行くぞ」と隣の狼男へと声をかけ、歩き出したその背を、フーリェンは静かに見送ったのだった。
――――
王宮の最奥にある第一王子の執務室は、静かな緊張に包まれていた。
窓際に立ち、外の景色へと視線を向けていたアルフォンスは、その銅色の瞳をするりと机に広げられた図面へと落とした。
そこには王宮内の通路と地下道、古い排水路の経路が細かく描き込まれている。
「……先日、俺を狙って姿を見せた侵入者が使用したと思われるのは、第六回廊。使用人の出入りも少ない場所だな」
その言葉に、セオドアが続ける。
「痕跡は東壁の外れまで続いていたと。古い排水路から出入りした線が濃厚だな」
アルフォンスが頷き、低く唸るように声を落とす。
「……排水路は宮内でも最も警備が手薄だ。侵入口が第七地区につながっているのであれば、あそこは迷路のようなものだ。追うのも容易ではない」
「第七地区……地下に隠れ住む者がいても不思議ではありませんね」
ルカの発言に、沈黙が落ちる。
他国の者の手が王都の中に伸びている。その事実が、何よりも不穏だった。が、その空気を切るように、セオドアがふと軽い調子で口を開いた。
「そういえば、掲示板に随分と人が集まっていた。若い兵たちが目を輝かせていたな」
「……ああ、ウェディング祭ですね」
ルカが小さく微笑む。
「年に一度の『出会いの祝祭』……展示演武も同時に行われる。どうしても浮ついた空気になるな」
「見回り中のフーリェンにも会った。砦から帰還したばかりだというのに、例によってこの時期は落ち着かないようだ」
セオドアが笑みを浮かべて言うと、アルフォンスは書類から目を離し、口角をわずかに上げた。
「去年の展示演武では、直属護衛四人がそれぞれ単独で披露したな」
「民衆の評判は悪くなかった。特に第四軍隊長は、想像以上に人気者だった」
「……問題は今年、誰を出すかだな」
アルフォンスはそう言うと、悩ましげに机に肘をついた。
「本来であれば順番通り、他の中堅に回すはずだった。だが、昨年が豪華すぎたせいで、期待値が跳ね上がっている」
「今年、彼らが出なければ民の失望を招くかもしれん……というのが祭事担当からの意見だ」
セオドアが皮肉気に言う。
「つまるところ、また誰かが“目立つ役”をやらされるわけか。誰を出す? 抽選でもするか?」
「……フーは嫌がるでしょうね」
肩をすくめるルカの言葉に、アルフォンスは微笑を浮かべたまま小さく頷いた。
「候補には入れておこう」
「兄上、それは悪趣味というものですよ」
「少しぐらい困らせたっていいだろう?」
肩を揺らして笑う彼の様子に、セオドアとルカが呆れたように目を合わせる。
展示演武――それは祝祭を彩る一幕に過ぎない。
しかし王宮の中ではその一幕を巡る密やかな駆け引きが、今年も静かに始まっていたのだった。




