祭
石畳に陽光が斜めに落ちている。遠くからは兵士たちの掛け声が聞こえてくる。
王宮の日常が、静かに流れていた。
そんな穏やかな朝。フーリェンは西棟へと続く廊下を歩いていた。窓の外には、美しい花々の咲き誇る庭園が見える。時折風に乗ってくる甘い香りに、気分も心なし軽くなる。
左肩はまだ包帯が必要な状態だが、隊服の上からは分からない。しかしその歩みは以前より僅かにゆるやかだった。
「……隊長?」
そんな彼を呼び止めたのは、第四軍所属の兵士たち。訓練終わりに休んでいたらしい。ひとりが立ち上がり、敬礼を送ってくる。
「王宮に戻られていたんですね。お怪我の具合は……」
「問題ない」
短く返すと、若い兵たちは安堵したように互いに視線を交わす。
「良かった……。ずっと気になっていたんです。北の砦のことも、敵の規模も」
「でも、隊長が戻られたってことは……やっぱり、勝ったんですよね」
どの顔にも、真っ直ぐな眼差しと尊敬の色があった。そんな彼らへフーリェンは小さく頷く。
「……お前たちも、留守を守ってくれてありがとう」
その一言に、兵たちの表情が明るくなる。
「はいっ!」
軽やかな声が庭園に響いた。
にこやかに微笑む兵士たちへと別れを告げて、その場を離れようとした時だった。遠くから、白衣の女が小走りで駆けてくるのが見えた。腰まで届く灰銀の髪が陽光を反射し、凛とした赤い瞳には焦りの色が滲んでいる。
「ちょっとフー!」
鋭い呼び声に、兵士たちが一斉に背筋を伸ばす。彼らが反射的に道をあけるのは、彼女が王宮の医務官であるだけでなく、第二王子直属護衛のシュアンランの姉であり、フーリェンの専属医であることを知っているからである。
「やっと見つけた! っていうか、歩き回ってるってどういうこと? 療養中じゃなかったの?」
ズカズカと詰め寄る彼女の圧に押されるように、一歩下がる。しかしその声に怒気はない。ただ心配してくれているだけなのだということは、分かっていた。
「あんたが大けがしたって聞いて、私がどれだけ心配したか!」
「……ごめん」
ぽつりと返すフーリェンの言葉に、ユキは肩へと視線を落とした。
「それ、この前も聞いたわ! ほんとにあんたって子は……。私が診てないんだから、無事なんて信用できるわけない。見せない今ここで!」
「仕事中だよ」
「医務官の命令に逆らう気?」
鋭く放たれた一言に、兵士たちはすっと目を逸らす。フーリェンはわずかに目を伏せ、しばしの沈黙ののち、低く息を吐いた。
「……ユキ」
その声は、氷のように冷たい目をする彼のものとは程遠い、どこか子狐を連想させるものだった。
「冗談よ、そんな顔しないでちょうだい。元気ならいいの。今日は顔見に来ただけだから。じゃあ、私行くわ」
言葉とは裏腹に、どこか安心したような表情でユキは踵を返した。去り際、兵士たちに軽く頭を下げてから医務棟の方向へと小走りに去っていく。
残されたフーリェンはどこか気まずそうな顔をしながらもう一度兵たちに別れを告げると、再び回廊を歩き出す。
「……隊長にあんな顔にさせるの、ユキ殿ぐらいだよな」
「そう、だね……」
北の砦での戦がまるで嘘のように、王宮は今日も平和な一日を迎えたのだった。
ーーーー
淡い陽光が差し込む静かな宮中。見回りに戻ろうと回廊を折れたその先、人の声が集まる気配に足を止めた。
王都で起こった小さな事件や特記事項、その他生活に必要な内容が掲示される掲示板。
その前には数人の兵士たちが立ち止まり、何やら話している。視線の先には、鮮やかな朱で書かれた大きな文字。
【第九十五回 王都・ウェディング祭 開催決定】
フェルディナ王国で行われる、年に一度の婚礼と縁結びの祝祭。王都を中心に一週間に渡って催されるこの行事では、若者たちの出会いを促すさまざまな催しや舞踏会が開かれ、過去にはこの祭がきっかけで政略結婚とは無縁の“真実の結婚”を得た貴族も少なくないという。
「……ああ、もうそんな時期か」
「去年は展示演武に借り出されたんだっけな」
「今年は休み取れたら、誰か誘ってみようかな……いや、無理か……?」
兵士たちの声が、和やかに続く。そのやりとりを黙って聞きながら、フーリェンは掲示板を見上げた。
華やかな飾り縁の付いた告知の紙。淡い赤と金の文字に、見慣れぬ装飾的な模様。
《誰かと手を取り合う、ただ一度の祝福を》
この時期の王都の空気は、どうにも肌に合わない。
浮き立った気配、色めく空気、笑い声と噂話。普段は訓練一筋の若者たちでさえ、この祭の前後だけは気が緩み、普段より華美な装いに目を向ける。
その傾向は、兵士たちだけではない。
フーリェンは心の内で小さく息を吐いた。
昨年の展示演武。
広場の中央で、各部隊の精鋭として技を披露したときの光景が脳裏を過った。鋭い視線よりも、黄色い歓声の方が多く飛んできた、あの数分間。
あんな視線を向けられても、何をどう返せというのか。
その日からしばらく、見回り任務中に演武を見たと話しかけられたり、食堂や回廊で見知らぬ侍女や文官に話しかけられたりすることが増え、常に同じ調子で「仕事中です」と繰り返す羽目になった。
華やかなものを否定する気はない。
だがどうしても、得意にはなれないのだ。
フーリェンは兵士たちの会話を聞き流すように掲示板を一瞥すると、両手で耳を塞ぎながら踵を返したのだった。




