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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第3章

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石畳に朝の陽光が斜めに落ちている。遠くからは鍛錬場の掛け声、兵士たちの足音、噴水の水音が届き、王宮の日常が静かに流れていた。


そんな穏やかな朝、フーリェンは王宮南側の回廊を歩いていた。左肩にはまだ包帯が必要な状態だが、隊服の上からはそれとは気づかせない。ただ、その歩みは以前よりわずかにゆるやかだった。


「……隊長?」


呼び止めたのは、第四軍所属の兵士たち。まだ年若い面差しの兵士が数名、訓練帰りに中庭の縁に腰を下ろして休んでいたらしい。ひとりが立ち上がり、敬礼を送ってくる。


「王宮に戻られていたんですね。お怪我の具合は……」

「……問題ない」


短く返すと、若い兵たちは安堵したように互いに視線を交わす。


「良かった……。ずっと気になっていたんです。北の砦のことも、敵の規模も」

「でも、隊長が戻られたってことは……やっぱり、勝ったんですよね」


どの顔にも、真っ直ぐな眼差しと尊敬の色があった。そんな彼らへ、フーリェンは少しだけ視線を落とし、頷いた。


「……お前たちも、留守を守ってくれてありがとう」


その一言に、兵たちの表情が明るくなる。


「はいっ!」


軽やかな声が中庭に響いた。


その時だった。遠くから、白衣の女が小走りで駆けてくるのが見えた。腰まで届く灰銀の髪が陽光を反射し、凛とした赤い瞳には焦りが宿っている。彼女は兵士たちに一瞥もくれず、一直線にフーリェンへと向かってきた。


「フー!」


鋭い呼び声に、兵士たちが一斉に背筋を伸ばす。彼らが反射的に道をあけるのは、彼女が王宮の医務官であるだけでなく、第二王子直属護衛のシュアンランの姉であり、フーリェンの専属医であることを知っているからだ。


「見つけた。っていうか、歩き回ってるってどういうこと? 療養中じゃなかったの?」


立ち止まったフーリェンに詰め寄るユキ。その声には怒気よりも、不安と心配がにじんでいる。


「あんたが大けがしたって聞いて、私がどれだけ心配したか…!」

「…ごめん」


ぽつりと返すフーリェンの言葉に、ユキは肩へ鋭い視線を落とした。


「それ、この前も聞いたわ!…ほんとにあんたって子は…!」

「私が診てないんだから、“無事”なんて信用できるわけない。見せない今ここで!」

「…仕事中だ」

「医務官の命令に逆らう気?」


鋭く放たれた一言に、兵士たちはすっと目を逸らす。フーリェンはわずかに目を伏せ、しばしの沈黙ののち、低く息を吐いた。


「……ユキ」


その声は、いつもは氷のように冷たい目をするフーリェンとは程遠い、どこか子狐を連想させる声だった。ユキの肩から、僅かに力が抜ける。


「冗談よ、そんな顔しないでちょうだい。元気ならいいの。今日は顔見に来ただけだから。じゃあ、私行くわ」


言葉とは裏腹に、どこか安心したような表情でユキは踵を返した。去り際、兵士たちに軽く頭を下げてから、医務棟の方向へと小走りに去っていく。ぽつりと残されたフーリェンは、どこか気まずそうな顔をしながら兵たちに別れを告げ、再び回廊を歩き出す。


「……隊長にあんな顔にさせるの、ユキ殿ぐらいだよな…」

「そう、だね……」


北の砦での戦がまるで嘘のように、王宮は今日も平和な一日を迎えたのだった。




 

淡い陽光が差し込む静かな宮中。見回りに戻ろうと回廊を折れたその先、人の声が集まる気配に足を止めた。


王都で起こった小さな事件や特記事項、その他生活に必要な内容が掲示される掲示板。その前には数人の兵士たちが立ち止まり、何やら話している。視線の先には、鮮やかな朱で書かれた大きな文字。


『第九十五回 王都・ウェディング祭 開催決定』


フェルディナ王国で行われる、年に一度の婚礼と縁結びの祝祭。王都を中心に一週間に渡って催されるこの行事では、若者たちの出会いを促すさまざまな催しや舞踏会が開かれ、過去にはこの祭がきっかけで政略結婚とは無縁の“真実の結婚”を得た貴族も少なくないという。


「……ああ、もうそんな時期か」

「去年は展示演武に借り出されたんだっけな」

「今年は休み取れたら、誰か誘ってみようかな……いや、無理か……?」


兵士たちの声が、和やかに続く。そのやりとりを黙って聞きながら、フーリェンは一歩だけ近づき、掲示板を見上げた。華やかな飾り縁の付いた告知の紙。淡い赤と金の文字に、見慣れぬ装飾的な模様。


《誰かと手を取り合う、ただ一度の祝福を》


その言葉に、どこか遠いものを見るような目を向けた。


この時期の王都の空気は、どうにも肌に合わない。


浮き立った気配、色めく空気、笑い声と噂話。普段は訓練一筋の若者たちでさえ、この祭の前後だけは心なしか緩み、普段より華美な装いに目を向ける。


その傾向は、兵士たちだけではない。


フーリェンは心の内で小さく息を吐いた。


昨年の展示演武――


広場の中央で、各部隊の精鋭として技を披露したときの光景が脳裏を過った。鋭い視線よりも、黄色い歓声の方が多く飛んできた、あの数分間。


あんな視線を向けられても、何をどう返せというのか。


その日からしばらく、見回り任務中に演武を見たと話しかけられたり、食堂や回廊で見知らぬ侍女や文官に話しかけられたりすることが増え、常に同じ調子で「任務中です」と繰り返す羽目になった。


華やかなものを否定する気はない――


だが、どうしても、得意にはなれないのだ。


わずかに眉をひそめ、フーリェンは兵士たちの会話を聞き流すように掲示板を一瞥した。

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