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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第2章

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静穏2

部屋に入ると、そこには薄暗い灯りと、整然とした空気があった。扉を閉めて後ろから付いてきたフーリェンの姿をもう一度見ようと振り返ったジンリェンの視線が、彼の肩元で止まる。


「……おい」


低く、わずかに掠れた声が響く。その声にフーリェンは一瞬きょとんとしたが、すぐに視線の先に気づいた。淡々とした調子で上着を羽織り直そうと手を伸ばすも、その前にジンリェンは早足で距離を詰めた。


「見せろ。……そのまま」


フーリェンは一瞬だけ拒むように目を細めたが、結局逆らわず、その場で肩を見せる形になった。左の肩に刻まれた傷痕は癒えかけてはいるものの、まだ赤みが残り、皮膚がつっぱっている様子が見て取れる。


ジンリェンはその傷に目を細めた。怒りとも悲しみともつかぬ表情が、ほんの一瞬だけ浮かぶ。


「座れ。包帯、巻いてやる」

「……いい。自分で――」

「いいから、座れ」


かぶせるように言われ、フーリェンはわずかに押し黙った。しばしの沈黙の後、観念したように静かにベッドの端へ腰を下ろす。


ジンリェンは部屋の隅の棚を開け、慣れた手つきで包帯と軟膏を取り出した。弟の隣に座り、丁寧に患部に薬を塗ると、ゆっくりと包帯を巻いていく。


「こういうのはな、傷を見せられる相手がいるうちに済ませとくもんだ」


フーリェンは答えない。ただその視線だけが、わずかに兄の手元に落ちていた。


静かな時間だった。包帯が何重にも巻かれていく中で、兄弟の言葉は少ない。包帯を巻き終え、端を留めたジンリェンは、最後にもう一度フーリェンの肩に手を置いた。


「……今夜はしっかり休め。お前が倒れたら、誰がルカ様を守る」

「……分かってるよ」


その言葉に、フーリェンはふと目を伏せ、少しだけ口元を緩めた。後ろで垂れていた尻尾が揺れ、そっと兄の背中を撫でる。それが、彼なりの兄に対する感謝の仕方だった。


柔らかく自身の背に触れた尾に顔をほころばせると、ジンリェンはそのまま立ち上がり、上着を手に取った。


「ほら着ろ。冷えるから」


フーリェンは諦めたように、何も言わずに腕を通す。ジンリェンは慣れた手つきで裾を整え、前を留めた。傷が引きつらないようにと、結び目ひとつにも気を配る。


「…もう寝ろ」


そう言ってジンリェンは肩に手を添え、そのままベッドへと押し導く。


「まだ――」

「寝ろ」


ぴしゃりとした口調に、フーリェンは目を伏せるようにしてされるがままにベッドへと身を預けた。ジンリェンはそのままベッドの傍らの椅子に腰を下ろす。


「寝るまで、見といてやる」


フーリェンは目を伏せたまま、眉をひそめる。


「……子どもじゃない」

「知ってる」


夜の空気が部屋の中に染み込んでいく。フーリェンはそれ以上何も言わず、ゆっくりと目を閉じた。椅子に腰かける兄の気配が、静かに寄り添っていた。何も言わず、ただそこに居るだけで、言葉にできない安心感がある。


フーリェンの呼吸がゆっくりと落ち着いていく。


寝息にはまだ遠いが、まるで無防備な獣のように、徐々に身体の力が抜けていく。


ジンリェンはふっと息を吐き、ほんのわずかに微笑んだ。


「……おかえり、フー」


部屋に満ちるのは、浅くゆるやかな寝息だけだった。フーリェンのまぶたは穏やかに閉じられ、その顔からは、いつもの緊張も警戒も、すっかり抜け落ちている。ジンリェンは静かに椅子から立ち上がると、ふとベッドの傍に膝をついた。こうして弟の寝顔をまじまじと見つめるのは何年ぶりだろう。子どもだった頃でさえ、フーリェンはめったに無防備な寝顔など晒さなかった。


「……お前が無事で、よかった」


そのまま頬にかかる髪をそっと払ってやろうとして――そこで、ジンリェンの目がある一点に止まった。


耳の先。本来、白の毛並みで覆われているはずの狐耳の先端が、淡い茶に染まっている。ほんのわずか、ほんの先だけ。


指先でそっとその耳に触れる。けれど、それ以上のことは何もしない。ただ触れて、確認して、そして黙って離した。


フーリェンは何も気づかず、安心しきったまま眠っている。ジンリェンはそれを見て、微かに口元を綻ばせた。


「…おやすみ、フーリェン」


パタン、と扉が閉まる音と共に、部屋には再び静寂が戻ったのだった。

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