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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第2章

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報告

執務室の扉を開けると、翡翠色のカーテンが風にそよいでいた。光を受けた木製の机の前には、第一王子アルフォンス、そして自身の主、セオドアが揃っている。


「……戻ったか、シュアン」


セオドアが手にしていた報告書を机に置き、戻ってきた狼を迎える。扉の前で跪いたシュアンランは、軽く頭を下げると、静かに応じる。


「北の戦、終結しました。敵軍は潰走。砦の損耗は激しいですが、死者はなし。負傷者は多いものの、復旧は順調です」

「…そうか」


アルフォンスは静かに書類を机に置く。目を伏せるその横顔に、微かに安堵の色が滲む。


二人の前へと歩み出たシュアンランは、淡々と事実を並べていった。敵軍の戦術、獣人部隊との接触、異形の襲撃。そして最後に、女王の御前で起きた出来事を。


「──敵将グレゴリウスは、すでに人ではありませんでした。異形化の兆候を自らの身に宿していました。あの時ベルトラン殿が斬り裂いた直後、蒸気の中から現れたのは、数ヶ月前に失踪していた人物と──同一人物である可能性が高いとルカ殿下も見ています」

「─そしてもう一つ」


そこまで一息で言い切ったシュアンランは、ふと視線を落とした。燃え残った瓦礫の匂いが、風の中に微かによみがえる。



**

「……これは……」


異形の死体に向かい、膝をついたヘラの口から、小さく言葉が漏れた。その視線の先には、既に腐敗が進み始めていた肉塊の内部。そこには、複雑に結合した獣人の身体の一部があった。


「…自然体ではないな。これは“作られた獣”だ」


そう呟いたのはヘラに、背後のルカが息を呑み、フーリェンの眉が微かに動いた。


「この肉体は、彼の意思ではない。おそらくは、実験の成果か、あるいは失敗作の……」

「フーが倒した個体も、同じ構造でした。外から何かを混ぜたような……」


シュアンランが言うと、ヘラはその隣に膝をつき、崩れた肉体に手をかざす。


「これは、遙か昔に東で伝承されていた“神化の儀式”に似ている。身体を媒介とした変容の強制。それをこの時代、この地で再現しようとしている者がいる……そういうことだな」

**


シュアンランは静かに目を伏せ、執務室に視線を戻した。


「──砦に潜伏した工作員は捕縛されました。アスラン出身の者だったため、身元は北の砦経由で北へと送還されました」

「アスランか。なら、そちらの対応は母上の方がいいな」


アルフォンスの目が細くなる。その奥には、焦りも迷いもなかった。


「フーリェンは」

「療養中ではありますが……恐らく、すぐに復帰すると思われます。報告書を書きながら、兵たちと同じ部屋で静かに座っておりました」

「……うむ。さすがは弟の選んだ護衛だ」


セオドアは静かに立ち上がった。背後で執務室のカーテンがふわりと揺れる。


「王都にもまた、戦の影は忍び寄っている。北が掴んだ企みの全貌──必ず暴こう。……砦を守り抜いた者たちに、恥じぬようにな」


――――

王宮、別棟の書斎。分厚いカーテンの隙間から差し込む夕日が、机上の書類の端に長い影を落としていた。重く静かな空間の中で、男が一人、手元の報告書に視線を落としている。


第五王子オリバーを伴った第四王子ルカとその直属護衛であるフーリェンの移動──その端に記された日付と、第一王子襲撃の記録。時を同じくして起こったこの二つの出来事を、偶然と片づける者はいない。


男――ユリウスの口元が、僅かに歪む。


「焦りが生まれた証拠だ。……王宮に、疑念の種は蒔かれた」


第一王子の命は守られたが、その失敗ですら価値がある。密かに囁かれ始めた「王宮の誰かが情報を漏らした」という噂。敵より恐ろしいのは、味方を信じられなくなることだ。ページを閉じたその時、部屋の扉がノックされた。


「戻りました。ユリウス様、報告です」


入ってきたのは、大柄な青年だった。しなやかな赤茶の髪に鍛え上げられた体躯。細い尻尾が一度揺らりと揺れると、人当たりの良い笑みを主へと向ける。


「おかえりランシー。…続けて」

「はい。…先ほど、シュアンランが北から帰還しました――」


ユリウスは報告書を受け取り、目だけで彼を見やる。


「兄上たちの状況は…?」

「はい。……北の砦、大勝利だそうです。敵の指揮官は死亡、異形も殲滅済み。味方の損害は最小限」

「…そう。兄上達が無事でよかった。…それで、敵将の死体は?」

「まだ調査中だそうです」


ユリウスは頷き、受け取った報告書を開く。中の文書には、淡々と“結果”だけが並べられていた。


──異形と化す技術。強化された獣人。


「……まだ、始まりにすぎない」


彼はぼそりと呟き、視線を書類の余白に落とす。手元の赤インクで短く走り書きを記すと、そっと閉じる。


ランシーは、いつものように明るい調子で話を続けた。


「あと、──フーリェンも無事です。深手を負ったようですが、数日中には回復するとのことです」

「相変わらずだね、彼は」

「本当に。……二人とも、無事でよかった」


ランシーの言葉に、ユリウスは書面から視線を外し、青年を見た。


「……うん。ひとまずは、ね」


その声には、まるで何も知らぬ者への穏やかな同調があった。


「それよりランシー。次の警備当番は君だったね。今のうちにゆっくり休んでおくんだよ」

「ありがとうございます」


敬礼をして、ランシーは書斎を後にする。その足音が廊下の向こうに消えた後、ユリウスは椅子に深く座り直した。


「さて……“あれ”を動かすのは、もう少し先かな」


静寂。書斎の中に差し込む夕日が、報告書の余白に再び赤く伸びていた。

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