報告
執務室の扉を開けると、翡翠色のカーテンが風にそよいでいた。光を受けた木製の机の前には、二人の男の姿がある。どうやら先に自身の帰還の報を受け取っていたらしい。
「……戻ったかシュアン」
セオドアが手にしていた報告書を机に置く。
そんな彼へと軽く頭を下げると、シュアンランは静かに口を開いた。
「北の戦、終結しました。敵軍は潰走。砦の損耗は激しいですが、死者はなし。復旧は順調です」
「そうか」
アルフォンスは小さく笑みを浮かべると、風に揺れるカーテンへと視線を向けた。陽の光に照らされたその横顔には、安堵の色が滲んでいる。
そんな二人の王子の前へと歩み出たシュアンランは、淡々と事実を並べていった。
敵軍の戦術、獣人部隊との接触、異形の襲撃。そして最後に、女王の御前で起きた出来事を。
「蒸気の中から現れた人物については、数ヶ月前に失踪していた男と同一人物である可能性が高いとルカ殿下も見ています」
「そしてもう一つ」と、そこまで一息で言い切ったシュアンランは、ふと視線を落とした。燃え残った瓦礫の匂いが、風の中に微かによみがえる。
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「……これは……」
異形の死体に向かい、膝をついたヘラの口から小さく言葉が漏れた。その視線の先には、既に腐敗が進み始めていた肉塊の内部。そこには、複雑に結合した獣人の身体の一部があった。
「明らかに自然体ではないな」
そう呟いたのはヘラの言葉に、背後に控えていたフーリェンの眉が微かに動いた。
「この肉体は、実験の成果か、あるいは失敗作の……」
「フーリェンが倒した個体も、同じ構造でした。外から何かを混ぜたような……」
そう言いながら膝をついたシュアンランの言葉に耳を傾けながら、ヘラは崩れた肉体に手をかざした。
「これは、遙か昔に東で伝承されていた“神化の儀式”に似ている。身体を媒介とした変容の強制。それをこの時代、この地で再現しようとしている者がいる……そういうことだな」
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シュアンランは静かに目を伏せ、執務室に視線を戻した。
「──敵将グレゴリウスは、異形化の実験を自らの身に施していたようです。現場に残った異形兵の死体については、砦の医療班たちが検死を進めています。それから、砦に潜伏していた工作員については、アスラン出身の者だったため、身元は北の砦経由で北へと送還されました」
「アスランか。なら、そちらの対応は母上の方がいいな」
アルフォンスの目が細まる。その奥には、焦りも迷いもなかった。
「フーリェンは」
「療養中ではありますが……恐らく、すぐに復帰すると思われます。報告書を書きながら、兵たちと同じ部屋で静かに座っておりました」
「……想像がつくな。さすがは弟の選んだ護衛だ」
くすりと笑みを漏らし、セオドアは静かに立ち上がった。背後で翡翠色のカーテンがふわりと揺れる。
「王都にも戦の影は忍び寄っている。北が掴んだ企みの全貌──必ず暴こう。……砦を守り抜いた者たちに、恥じぬようにな」
――――
王宮、別棟の書斎。分厚いカーテンの隙間から差し込む夕日が、机上の書類の端に長い影を落としていた。重く静かな空間の中で、男が一人、手元の報告書に視線を落としている。
第五王子オリバーを伴った第四王子ルカとその直属護衛であるフーリェンの移動──その端に記された日付と、第一王子襲撃の記録。時を同じくして起こったこの二つの出来事を、偶然と片づける者はいない。
男――ユリウスの口元が、僅かに歪む。
「焦りが生まれた証拠だ。……王宮に、疑念の種は蒔かれた」
第一王子の命は守られたが、その失敗ですら価値がある。密かに囁かれ始めた「王宮の誰かが情報を漏らした」という噂。敵より恐ろしいのは、味方を信じられなくなることだ。
報告書の綴られたファイルをパタリと閉じたその時、部屋の扉がノックされた。
「戻りました。ユリウス様、報告です」
入ってきたのは、大柄な青年だった。癖のある赤茶の髪に鍛え上げられた体躯。細い尻尾が一度揺らりと揺れると、人当たりの良い笑みを主人へと向ける。
「おかえりランシー。続けて」
「はい。先ほど、シュアンランが北から帰還しました――」
「兄上たちの状況は?」
「はい。……北の砦、大勝利だそうです。敵の指揮官は死亡、異形も殲滅済み。味方の損害は最小限」
「……そう。みなが無事でよかった。それで、敵将の死体は?」
「まだ調査中だそうです」
ユリウスは頷き、受け取った報告書を開く。中の文書には、淡々と“結果”だけが並べられていた。
異形と化す技術。強化された獣人。
「……まだ、始まりにすぎない」
彼はぼそりと呟き、視線を書類の余白に落とす。手元の赤インクで短く走り書きを記すと、にこりと柔らかな笑みを従者へと向けた。
そんなユリウスの表情に、ランシーもまた笑みを浮かべるといつものように明るい調子で話を続ける。
「あと、フーリェンも無事です。深手を負ったようですが、数日中には回復するとのことです」
「相変わらずだね、彼は」
「本当に。……二人とも、無事でよかった」
「……うん。ひとまずは、ね」
その声には、まるで何も知らぬ者への穏やかな同調があった。
「それよりランシー。次の警備当番は君だったね。今のうちにゆっくり休んでおくんだよ」
「ありがとうございます」
敬礼をして、ランシーは書斎を後にする。その足音が廊下の向こうに消えた後、ユリウスは椅子に深く座り直した。
「さて……“あれ”を動かすのは、もう少し先かな」
ひと時の静寂。
書斎の中に差し込む夕日が、報告書の余白に再び赤く伸びていた。




