第一章 王宮にて
王宮の回廊を歩くたびに、足音が石床に静かに響いた。陽は傾き始め、赤金色に染まる窓からの光が、白の髪をやわらかく照らしている。
向かった先は、第四王子ルカの執務室。控えの扉を軽く叩くと、すぐに中から声が返ってきた。
「どうぞ」
扉を開けた瞬間、室内の空気が少しだけ違うことに気づいた。普段よりも緊張感が漂う。ルカの傍らに、長身で凛然たる風格をまとった男が座していた。
「……フーリェン。久しぶりだな」
フェルディナ王国第一王子――アルフォンス。
鋼色の瞳に揺るぎない威厳を湛えた、王位継承権第一位にして全ての軍政を束ねる存在。
フーリェンは一瞬だけ視線を伏せ、すぐに姿勢を正す。
「第四軍隊長フーリェン、ただ今戻りました。……アルフォンス殿下、お目にかかれて光栄です」
「形式はいい。ルカに報告をしに来たんだろう?」
アルフォンスは穏やかに笑みを見せたが、その奥にある眼差しは鋭い。どこか、探るようでもあった。
ルカが軽く手を上げ、話を引き取る。
「それで? “お使い”はどうだった?」
「はい。ご指示どおり、馴染みの書店に立ち寄り、王都の様子も一通り確認してきました」
「うん。何か、気づいたことは?」
一拍の間。
「……路地裏で、奴隷商と思しき者どもに遭遇しました。獣人の子供を扱っていましたが、すでに排除済みです。事後、子供は巡回中の兵士へ引き渡しました」
横で報告を聞いていたアルフォンスの表情が少し引き締まる。
「王都の中で、か。」
その呟きに、ルカは静かに頷いた。
「商人については、私の方から軍に伝達しよう。フーリェン、ありがとう」
アルフォンスが、フーリェンを見つめたまま言葉を継ぐ。
「君のような者が、弟の傍にいてくれることは、私としても安心できる」
「……身に余るお言葉です」
フーリェンは深く頭を下げた。
ルカが笑みを浮かべ、椅子から立ち上がる。
「さて、それなら今日はもう戻っていいよ。……あ、報告ついでに、書店に頼んでおいた新しい書物も受け取ってくれてたんだよね?」
「はい。こちらに」
フーリェンは布包みを差し出す。ルカはそれを受け取り、満足げに頷いた。
「完璧。……本当に“お使い”だったね」
茶目っ気を含んだ口調に、フーリェンはわずかに目を伏せる。
結局、この人には敵わない。それでも、こうして王宮に戻る居場所があることに、ふと心のどこかが静まる。視線が重なり、静かに火が灯る。
それは、これから訪れる嵐の前の、束の間の安らぎであった。
**
静けさを纏った執務室。
ルカとアルフォンスの言葉に、フーリェンが深く一礼したそのとき――
「失礼いたします!」
扉の外から、息を切らした兵士の声が響いた。
フーリェンが反射的に扉の前に立つと、ルカが軽く手を上げて応じる。
「入れ」
駆け込んできたのは若い兵士だった。
「アルフォンス殿下、ルカ殿下……王都南部の区画から緊急連絡です! 外郭警備が一部突破され、不審者が王都内に侵入しました!」
「身元は?」
「まだ不明ですが、複数名、軽武装の集団。市民区域への接近も確認されています!」
その言葉に、フーリェンは即座に腰の短剣へ手を添える。
「第四軍の動員を――」
「待て」
ルカの静かな声が遮る。
「初動に軍を動かせば、かえって混乱を招く。少数で現場確認を――」
そのとき。アルフォンスが軽く顎を動かして、扉の外へ合図を送った。
「入れ」
アルフォンスの言葉に、執務室に1人の獣人が現れた。金茶のたてがみをざっくりと後ろにまとめた、堂々たる体躯の青年。ライオンの獣人、ランシー ――第三王子直属の護衛である。
「ご命令を」
「ランシー。話は聞いていたな。フーリェンと共に王都南部へ向かえ」
「承知」
淡々とした返答に、アルフォンスが軽く頷く。
ルカもそれに同意し、命を下した。
「フーリェン、ランシー。二人で王都へ急行。現場確認と民の保護を最優先に。状況次第で交戦も許可する。後続は我々が手配する」
「「はっ」」
二人の獣人が背を向け、執務室を後にする。
回廊を駆け抜けながら、ランシーがちらりとフーリェンを横目に見た。
「偵察帰りだってのに、災難だったなフーリェン」
フーリェンは返答せず、ただ前を見据えたまま走る。
都の午後、静寂を破る戦の気配が、確かに近づいていた。