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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第2章

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対面

重厚な扉がゆっくりと開くと、黒い外套を翻しながらワンジーが姿を現した。左手には縄で縛られ、両膝を擦りながら引き摺られる男――敵将、グレゴリウスの姿があった。


「…敵軍の指揮官を連行しました」


その言葉に、ヘラは鋭い視線をワンジーの足元へとやる。

 

「よくやった、ワンジー。……なるほどこの男が…、我が北の砦を血の大地に変え、フーリェンを付け狙っているという張本人か」


その冷たい言葉に、うなだれていた男の顔がわずかに上がる。だがその目はすでに、女王の姿ではなく、ある一点を真っすぐに射抜いていた。


──扉の奥、ふたたび開かれる重い音。入室したのは、第四王子ルカ。そしてその後ろに、フーリェンとシュアンランの姿があった。戦火の痕を残した衣をまとった二人が玉座の前まで進み出ると、女王は静かに告げた。


「見よ、オルカの指揮官殿。これが北の砦を守り抜いた者たち……そして、お前が欲していた狐――フーリェンだ」


その名が告げられた瞬間、グレゴリウスの顔が驚愕に染まる。そして、歪んだ笑みを浮かべた。


「……やはり、貴様だったか」


その声に、フーリェンとシュアンランの瞳がわずかに揺れた。


「――あのときの……!」

「南の地で、お前の能力を初めて耳にした時――私は確信した。これこそが、完成された“原型”だと。狐の血脈。冷たく、澄み渡ったその変化の能力……揺るがぬ精神。……何もかもが、完璧だ。私の理想そのものだった……!」


汗ばんだ額、うわ言のように吐かれる執念の言葉。そこには、敗者の哀れさではなく、執着と科学者としての欲望だけがあった。


「私の“計画”があと一歩で形になるには、お前が必要だ。その美も、能力も、冷徹な魂すらも――お前が私の器に収まれば、ついに“新しい種”が生まれるはずなのだ……!」


一瞬、部屋の空気が軋んだように張り詰めた。隣に立っていたシュアンランがわずかに前に出ようとしたが、フーリェンはそれを手で制した。静かに一歩踏み出し、グレゴリウスと正面から向き合う。その目には、軽蔑も怒りも浮かばない。ただ、凍てつくような静寂だけが宿っていた。


視線一つで、男の熱を凍らせるかのように。フーリェンは何も言わなかった。言葉すら与える価値がないという意思が、その沈黙にはあった。その無言の拒絶に、グレゴリウスは初めて歯を食いしばる。


その沈黙を引き継ぐように、ヘラが静かに立ち上がる。


「──尋問にかけよ。この者の語る“計画”とやらが、どこまで現実に迫っていたかを確かめねばなるまい」

「はっ!」


兵士が進み出ると、グレゴリウスはなおもフーリェンに目を離さずに呻くように言った。


「……まだだ。終わってはいない。お前を模した“器”は……必ず、完成させる……!」


グレゴリウスが兵に引き立てられようとした、その瞬間だった。


低く唸るような音と共に、男の体が脈動し始めた。肌が膨張し、血管が浮き上がり、瞳孔が黒く染まっていく。縄を締める鎖が引きちぎられ、腕が異様に長く伸びた。


一瞬にして、グレゴリウスの体はまるで獣のように肥大化し、異形の牙をむき出しにして跳ね上がった。シュアンラン、ワンジー、そしてフーリェンが即座に女王と王子たちの前へその体を滑らせる。


しかし男の標的は、この場にいるただ一人であった。


「っ――!」


咄嗟に構えようとしたフーリェンの前に、別の影が割り込む。血と泥にまみれた軍装を引きずるようにして立っていたベルトランは一歩を踏み出すと、腰の剣を真一文字に振り抜いた。鋭い銀閃が、唸りを上げる獣の肉を断ち割る。


「ギ……ャァァ……ッ!!」


断末魔と共に、グレゴリウスの体が吹き飛ぶ。その肉体は、切り裂かれた断面から蒸気を噴き出しながら、次第に膨張を止め、崩れていった。残ったのは、ただの男だった。


その容姿は、かつて失踪したと報告されていた隣国の男――


「……化け物め。死ぬ間際まで、逃げ道を仕込んでいたか」


ベルトランが肩を震わせ、剣を下ろす。傷だらけのその体は、もういつ崩れてもおかしくないほどに酷使されていたが、それでも彼は背を丸めなかった。フーリェンは、ゆっくりとグレゴリウスの変わり果てた姿に目を落とす。


「……お前たちが思う程、僕の力は万能ではない……」


冷ややかな声音の裏に、わずかに混じる怒りの温度。


「異形化の実験……自らに施していたのか。これが真実ならば、危険は今も消えていない。すぐに遺体を検めよ。調査部を総動員して構造を記録に残せ」


命を受け、梟隊の数名が走り出す。王の間に、重く、濃い沈黙が落ちた。


その中心に立つフーリェンの目は、目の前の敵ではなく、静かに国境を越えた先の新たな戦火を見据えていた。

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