終戦
瓦礫と血に染まった砦の地に、冷たい風が吹き抜ける。北の砦に陽の光が差し、煙と灰が白色に染まり始める。
「抜かせるな、押し返せ!」
負傷を負いながらもまだ抗おうとする獣人の一団が、血の滲む吼声を上げて突進してくる。
「下がれ、距離を取れ!」
鋭い指示と同時に、シュアンランが手を払うように空を切った。次の瞬間、氷柱が列を成して敵陣へ突き刺さる。凍気が辺りを覆い、敵兵たちが動きを止める。その背後から――
「今だ、撃て!」
砦の射手たちが炎の矢を放つ。冷気に縫い止められた敵兵が、次々とその場に崩れ落ちていく。
「こっちは抑えた! あとは――あいつが最後だ!」
前線の一人が叫んだ先には、獣人の中でも最も身体の大きな男。爪に血を滴らせ、残ったすべての力を振り絞って突進してくる虎獣人。
その男を見据えながら、灰に覆われた戦場の中心に、一歩、また一歩と踏み出した白狐の影。長槍を手に、フーリェンがそのまま進み出る。
纏う気配が変わった。模倣していた獣の力を解き、ただの“白狐”としての姿に戻る。
「…来い」
彼の呟きと同時、敵の獣人が咆哮を上げて突っ込んできた。だがフーリェンは動じず、一歩、前へ。
槍を低く構え、流れるような動きで地を蹴る。その爪が振るわれた瞬間、その懐へと滑り込むように身を屈め――
白銀の長槍が、低い軌道から跳ね上がり、敵の胴を正確に、鋭く貫いた。呻きと共に、巨体がよろめき、そのまま地に倒れる。
静寂。
「やった……やったぞ! 敵部隊、全滅ッ!」
誰かの叫びが、戦場に響いた。
「フーが仕留めた……! 勝ったんだ!」
「勝利だ――俺たちは、持ちこたえたぞ!!」
歓声が次々に広がる。兵たちは剣を掲げ、互いの肩を叩き、涙と歓喜の声を上げる。空を覆っていた煙が少しずつ晴れていく。そこに浮かび上がったのは、血と灰にまみれながらも、静かに長槍を収める白狐の姿。その隣に立つのは、氷の風を背に立つ灰銀の狼。
ふたりは互いに目を合わせ、短く頷き合った。
――生き延びた。
――守りきった。
北風が吹き抜けていく。
兵士たちの感性を乗せて、静かに砦の旗を揺らした。
――――
北の砦西側。戦の喧騒が消えた後に残るのは、沈黙と、荒れ果てた地に染み付いた血の臭いだった。破壊された柵。折れた槍。転がる敵兵の遺体。だがその間を、淡々と――けれど決して目をそらさずに動く者たちがいた。
「動ける者は瓦礫の撤去に回れ…!」
「止血布! 損傷部位はそのまま!」
梟隊――女王直属の特殊任務を担う部隊の兵士たちだ。彼らは終戦後すぐに、手際よく負傷兵の選別と応急処置を開始していた。治療班に所属する若い兵士のひとりは、すぐ近くで倒れていた仲間の腕を取り、震えながらも懸命に処置を続けている。
氷の破片が散らばる台地の中心に――フーリェンとシュアンランは立っていた。フーリェンの肩は深く切り裂かれ、血がにじんでいる。それでも意識ははっきりと保っていた。彼らのもとには動ける兵たちが集まり、次の動きと負傷者の搬送、物資の整理を迅速に進め始めていた。
「まだ動ける敵兵が潜んでいるかもしれない。――フー、俺は前線の確認をしてくる」
「わかった。…こっちは僕が引き受ける」
言葉少なに、だが確実に、戦の後が整えられていった。
そんな中、砦の塔に掲げられていた見張り台の鐘が小さく、軽やかに鳴らされた。それは「報」が届いたことを知らせる音。
「伝令!」
瓦礫を踏み越え、灰と泥まみれの兵士が駆け込んでくる。その声に、現場で動いていた兵士たちが振り返った。息を整えた伝令が叫ぶ。
「北の砦、戦死者、ゼロ! 繰り返す、北の砦の死者は――ゼロとの報!」
一瞬、場が静まり返った。次いで、どこからともなく湧き起こった歓声が、砦を包んだ。
「……嘘じゃねぇよな?」
「はははは……!」
「皆、生きてる……!」
兵士たちの頬には、血と泥に混じって涙が伝った。疲弊しきった身体。痛みをこらえて立ち続けていた脚。それでも、仲間の無事という知らせは、兵たちの胸に灯をともした。
砦内大広間。
ルカの手は血に染まっていた。だがそれは、誰かを傷つけたものではなく、命を繋ぐための血である。
「次、こちらに。頭部外傷……すぐ冷却処置を」
彼は王子でありながら、中継地点で軍の指揮をとりつつ、自ら治療に加わっていた。額に汗を浮かべながらも、その指示は冷静だった。
「止血帯をもう一本。骨折箇所は固定」
周囲の治療兵たちも、彼の指示に従い、ひとり、またひとりと兵士の命をつないでいく。
その時――
「報告!」
駆け込んできた伝令が、息を切らして告げる。
「西側、勝利を確認! 敵部隊全滅、敵の制圧完了しました!」
その声に、治療にあたっていた者たちが一瞬だけ手を止める。ルカは、安堵に目を伏せた。
「……そうか。ありがとう。よく伝えてくれた」
最終防衛ライン最奥
その中央に立つ女王の姿は、決して揺るがなかった。彼女の冷静な目は各砦から届く報告書を順にさばき、ひと時も休まず指示を飛ばし続けていた。その横で、片腕に包帯を巻き、鎧の継ぎ目から血をにじませたベルトランがオリバーを守るように静かに立っている。オリバーははぎゅっと両手を組み、目をつむりながらひたすらに祈っていた。
「お願い……皆が…、無事でありますように」
その手が震えるのを見て、ベルトランはそっと手を重ねる。
「安心してください、オリバー殿下。我らが北軍は、長年このフェルディナを守り抜いてきた精鋭ぞろいです。きっと、殿下の祈りは届きます」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに――
「女王陛下…!」
駆けてきた伝令が、その場でひざをつき、深く頭を垂れる。
「西側、敵部隊殲滅! フーリェン、シュアンランを筆頭に、敵の指揮集団を壊滅させました…!…北の砦の、…勝利です…!!」
その言葉に、静まり返る本営。次の瞬間――
「やった……!」
涙を浮かべたオリバーが声を上げ、ベルトランが小さく頷く。その報告に、ヘラはほんのわずかに表情を緩めた。
「……さすがは私の兵士たちだ」
女王はそのまま伝令兵に告げる。
「全軍に伝えよ。北の砦の勝利を」




