決戦の地と定む3
フーリェンは血煙の漂う戦場を見渡した。盾持ちの配置。見える範囲の敵兵の数、そして自身が引き連れてきた若い兵士たち。戦力の配置を把握していく。負傷兵の搬送は終わり、残るは戦える者だけ――そう判断すると、手短に仲間たちへと声を張り上げた。
「左翼、盾部隊は敵を引きつけて。弓隊は中央奥、奇襲の備え。右翼は……」
視線の先、氷壁の隙間から覗く異形の群れ。
「――シュアンラン、お願い」
「任せろ」
口角を上げた狼男が地を蹴ると同時に、鋭利な氷柱が無数に出現し、敵陣の前線を突き上げた。
「通さん」
その一言とともに、氷の棘がまるで生き物のようにうねり、敵兵たちの動きを封じる。身を捩るようにして回避しようとする者をも容赦なく凍てつく鎖が絡みつき、瞬く間に砕け散る。
驚愕の声が漏れる中、シュアンランは氷の大剣を引き抜いた。咆哮を上げながら襲い掛かる敵の巨体を一瞥すると、力強く一歩踏み込む。
凍気をまとった斬撃が空間を裂き、周囲の気温を一瞬で氷点下まで引きずり落とす。向かい来る敵兵は声すら発せずに砕け、周囲の者たちもその冷気に巻き込まれ次々と氷像と化して崩れ落ちていく。
「……はははっ、すげぇやこりゃ……」
狼が敵を足止めしているその隙に、フーリェンの指示で各部隊が動き始める。戦線は崩れることなく整然と押し返し始めていた。
「右翼、シュアンランに続き敵後衛に回り込め! 弓隊は罠を突破してきたやつを中心に射撃。接近戦は無理に押すな、引き付けろ」
戦場の全てを見通すかのような指示に、若い兵士たちは従順に動くことで犠牲を最小限に抑えていく。経験の浅い彼らを支えるように、中堅兵士たちが剣を振るう。
「敵、中央突破を図ってます!」
「左翼を下げて挟み込め。誘導する! シュアン、こっち!」
「分かってる!」
的確な指揮と、氷の暴威。二人の獣人によって追い詰められていた戦場がゆっくりと――しかし確実に反転し始めていた。
――――
怒号と咆哮の交錯する荒野の後方。グレゴリウスは濁り切ったその眼光を目の前の戦火へと向けていた。
「……見つけた」
彼の視線の先。砦の防衛線の最前には、氷壁を背に立つ白狐の影がある。尾を揺らし、鋭く指示を飛ばす姿。その姿を見た瞬間、胸の奥が焼けつくように熱を帯びた。この目で見るのは初めてだった。だが、疑う余地はなかった。
「狐……いや、フーリェンだ。間違いない」
ずっと手に入れたかった“狐”が、今、目の前にいる。
手を伸ばせば届く。捕らえられる。引きずり出して、手中に収められる。その確信に、思わず喉が笑いを漏らした。
「ようやく……ようやくだ。確かな血と肉を持つ“異形”の素体……!」
グレゴリウスは背後に控えさせていた獣人部隊へと視線を向ける。いずれも高い身体能力を持ち、それぞれが能力を備えた精鋭。温存していた切り札だ。標的が現れた今、惜しむ理由はどこにもない。
「狐のもとへ向かえ。脚でも腕でも潰して構わん。確実に捕えてこい」
欲望の籠ったその命令に獣人兵たちが動き出す。そうして彼らの姿が散っていくと、グレゴリウスは再び戦場の彼方――透き通るような白髪を揺らす白狐を見つめた。
「待たせたな。やっと会える……この戦に勝つためではない。お前を得るために、私はここにいる」
その声はもはや冷徹な指揮官のものではない。それは執着と渇望を滲ませた、狩人の声だった。
――――
戦場に勝利の兆しが見えたのは、ほんの一瞬のことだった。空気を裂く騒音と共に、弓矢隊の一角――見張り台の上から若い兵士の声が響き渡った。
「敵の増援を確認ッ! 後方から獣人の部隊が接近中!」
その声はすぐに近くにいた兵士たちの耳へと届く。
「獣人の精鋭部隊……」
その呟きが、仲間たちに波紋のように広がった。
「数で押し切るつもりか? まだ兵力を隠し持っていやがったとは……」
「いや違う。あれは……狙いはフー坊だ……!」
走る緊張。その場にいる誰もが、敵の目的を察した。
――フーリェン。
最終防衛の要にして、今まさにこの西を率いる指揮官であり、この戦の中心。その彼を、敵は仕留めにきた。
遥か前方の煙の向こう、まっすぐにこちらを目指して進軍する黒い波。数こそ多くはない。しかし体躯、歩幅、重圧。全てが並の兵とは違う。
迫る獣人たちの姿を遠くに据えたまま、フーリェンは息をひとつ整えた。
「これが最後の戦いだ。体制を整えろ。僕も出る」
その声に、兵たちは武器を握る手に力を籠める。恐れを抱きながらも、彼の指揮に従う意志は揺るがない。
「……どうする?」
背後からかけられた声に振り向くと、先ほどまで右翼で敵の動きを封じ込めていたシュアンランが、迫り来る敵を冷たく射抜いていた。
「ここで、……止めるだけ」
フーリェンは端的に、意思を持って告げる。
迫りくる獣たち。そのすべての牙が、自分に向いている。だが、それがどうしたというのだ。
来るなら、来い。
琥珀色の瞳が、戦火の中で鋭く光を放った。次の瞬間、白狐の身体に変化が起こる。対象を見て、構造を見抜き、その特徴を自身に取り込む。
「後ろ、お願い」
「任せとけ」
短いやり取りののち、フーリェンは飛び出した。直後、骨の髄にまで響く衝撃。突撃してきた熊獣人の拳が、まっすぐに彼の頭部を狙った。
刹那――フーリェンの姿が消えた。否、跳んだのだ。兎の脚力を模した脚で、敵の視界から瞬時に消え、側面へと回り込む。手にした長槍が音を立てて脇腹へと打ち込まれる。
その背後で氷が閃く。地面が凍り、踏み込みを封じられた者たちが次々に転倒する。その隙を狙って背後から炎の能力を持った弓矢隊の兵が一斉に弓を構え、氷の足止めに続いて火矢を射かけた。
「北の砦をなめんなよ!」
叫ぶ若き兵士の耳がぴくりと動く。猫獣人の彼は、周囲の動きを数瞬先まで予測することで、援護射撃を絶やさない。左翼では、双斧を振るう虎が地響きを立てて敵を牽制し、その背中を守るように豹が突風で敵の攻撃を逸らす。
それぞれが、それぞれのやり方で、砦を、フーリェンを守っている。
そんな仲間たちを背に、フーリェンは敵の熊獣人の腕の動きを盗み取ると、瞬時に筋組織を再構成した。腕の力を強化し、重厚な敵の盾を斜めに叩き割る。
「一歩も通させるな!」
後から狼男の声が聞こえてくる。
再び敵の精鋭が押し寄せる。シュアンランは一歩も下がらず、氷の槍を三連で放った。防御に徹した敵兵たちの背後から、フーリェンが一体ずつ急所を断つ。
「ここをどこだと思っていやがる! フェルディナの要塞を守るのは、俺たちだ……!」
誰かが叫んだその声に、敵がたじろいだ。
風と炎。氷と刃。模倣と指揮。すべてが噛み合い、怒涛の獣人部隊を迎え撃っていく。
戦場に再び、北の風が吹いた。




