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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第2章

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狐と異形

最終防衛区画の奥。石造りの薄暗い通路に、足音ひとつ聞こえない静寂が張り詰めていた。


冷たい空気が肌を刺す中、フーリェンは壁際に身を寄せ、息を殺す。片手に短剣、背には長槍。身に纏う白の隊服は、雪のように静かに灯りの下に浮かんでいる。


やがて――気配が揺れた。


通路の奥、闇の彼方から何かが忍び寄る気配。獣とも人ともつかぬ軋む足音。踏みしめるたびに響く異様な音は、まるで人の形を模した“何か”が這い寄ってくるかのようだった。


フーリェンは微動だにせず、目を細めて音の正体を見極める。姿を現したのは、黒い皮鎧に身を包んだ大柄な男。右肩から背にかけて異様な膨張があり、まるで他の生き物を取り込んだかのような歪んだ骨格をしていた。肌は土気色で、長く伸びた腕の爪は獣じみている。唯一、血のように赤い瞳だけが生々しく輝いていた。異形の男は姿を現しても歩みを止めず、まっすぐにフーリェンの前まで進み出ると、そこで初めて立ち止まった。


しばしの沈黙。


異形が口角を歪めて笑う。言葉はない。ただ、その視線には「見つけた」という確信と嗤いが込められていた。フーリェンは静かにその視線を受け止め、短剣を構え直す。相手の腕の長さ、構え、筋肉の動き――すべてを鋭く観察する。


異形が、動いた――。


獣のような跳躍。爪を広げ、鋭く振り下ろす。狭い通路の中、一撃をかわしながらフーリェンは身体を滑らせ、石畳に片膝をついたまま短剣を相手の脇腹へ滑り込ませる。


手応えはあった――しかし浅い。


獣は苦もなく跳ね退き、すぐに次の動きへと移る。歪な肩から不自然な骨の棘が突き出し、壁を抉るように突進してくる。


(硬い……再生も早いか)


冷静に分析しながら、フーリェンは一歩も退かず反撃の機会を窺い続けた。異形の動きは予測不能なほどに不規則で、繰り出される攻撃は一撃一撃が重い。短剣が閃き、異形の手首を切り裂く。しかし血は一滴も流れず、裂かれた肉がぬらりと蠢きながら元の形に戻っていく。


「……厄介だな」


珍しく、声が漏れた。背後の通路奥にはまだ味方の気配がある。ここを突破されれば、砦の要が崩れる――それだけは絶対に避けなければならない。異形は咆哮をあげ、肩の骨棘を鋭く振り回した。狭い通路に響く衝撃音。寸前でその刃をかわし、跳躍して距離を取る。


フーリェンは冷静に敵の動きを読み、次の攻撃に備えた。だが異形は無秩序に突進してくる。象の前足のように変形した腕が壁を叩き砕き、石が粉塵となって舞う。再び距離を詰め、背後へ回り込み異形の右脇腹へ短剣を深く突き刺した。獣が身体を大きく震わせる。だが再生は早く、裂けた肉がすぐに穴を塞いでいく。すかさずフーリェンはもう一振りの短剣を膝へと突き立てる。刃先が骨を砕く感触が伝わる。しかし刃が肉体を貫いた瞬間、異形の体が激しく震え、黒い瘴気が渦巻いた。


間に合わない。強烈なエネルギーが周囲に放たれ、フーリェンの身体は後方へと吹き飛ばされた。硬い壁に激突し、頭が眩む。瘴気が何かは分からない。だが直感する。アレは身体に入れてはいけない。焦りを押し殺し立ち上がったフーリェンは力を呼び覚ます。右腕が厚い熊の筋肉と骨格を模し、巨大な拳となる。全身に緊張が走る。力を込めて石壁を殴りつけると、重い衝撃音と共に壁が砕け散った。粉塵が舞い、隣の広間へ通じる裂け目が現れる。すかさず背中の長槍に手を伸ばす。冷たい金属の感触が掌に伝わると、短剣を捨て槍を握り直した。腕を戻し、両足はうさぎの後脚に変わる。筋肉が鋭く引き締まる。


広間へ飛び込むと、異形も轟音を響かせて追ってきた。鋭い赤い瞳がフーリェンを捉え、狂気じみた咆哮とともに肩の骨棘を振り回す。跳躍で距離を取り、左手に握った槍を鋭く突き出した。槍先が肉を裂く感触。だが異形は止まらない。爪を振り上げ、その一撃がフーリェンの肩を捉えた。


「ッ!」


熱い痛みが肩を走るが、フーリェンは声を上げず耐えた。傷は深いが、今は気を散らせる暇はない。うさぎの足が地面を鋭く蹴り、高速で横へ跳び避ける。槍を振り抜き異形の肋骨を狙う。次は入った。骨が軋む音と共に深い傷が刻まれ、異形が呻く。攻撃の手を緩めず距離を詰める。再び模倣し直した熊の腕を、がら空きになった異形の腹部へと叩き込んだ。


鈍く骨が砕ける音と共に敵が後退する。粉塵が舞い、異形の動きが一瞬鈍くなるのをフーリェンは見逃さなかった。息を整え、くるりと槍を構え直す。相手の動きを見極める。全身の筋肉が緊張する。獣の本能と人の理性が一つになる瞬間。異形が咆哮し突進してきた。フーリェンは力強く跳び上がり、獲物を狙う捕食者のように、槍を深々と突き刺した。


鋭い槍先が異形の胸を貫き、瘴気が渦巻く空間に静寂が訪れた。

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