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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第2章

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進軍

最奥の回廊には沈黙が満ちていた。時より肌を刺すような隙間風が通り抜けるその場所に、ひとりの白狐の青年が目を瞑って背後の壁に寄りかかっている。


周囲の音を拾い上げようと揺れる白い耳が、ピクリと反応する。同時に、異様な気配が風に混じって届いた。それは音でも匂いでもない。ましてや目に見えるものでもない。淀みのような、感覚の奥に引っかかる“異物”。言い表せないその気味の悪い気配に、フーリェンは静かに目を開けた。


「……来るな」


琥珀色の瞳が薄明かりの中で鋭く光る。直後、伝令が息を切らしながら姿を現した。


「報告ッ! 東側防衛線突破されました! 一名、正体不明の獣人がこちらへ向かっています!」

「他とは動きが違います。シュアンラン殿の氷の壁をも突破した模様!」

「東側の状況は?」

「残党はシュアンラン殿が足止めしています。こちらの負傷者はなし!」


フーリェンは言葉少なに頷くと壁から体を離した。足元の長槍を軽やかに背負い直し、代わりに腰の鞘から短剣を抜く。細身で鍛造の施された刃に、灯りの残滓が反射する。


「あとは頼む」


年若い兵士たちが頷き、各自の配置を固め直す。その姿に背を向けるようにして、回廊の奥へ――異物の気配が濃くなる方向へとフーリェンは静かに歩みを進めた。


石造りの通路は細く、複雑に折れ曲がっている。足音が聞こえるわけではない。だが確かに、そこにいるという感覚が重く伝わってくる。呼吸を静め、短剣を逆手に構える。白の隊服が北の風を孕んでわずかに揺れた。


思えば、こんなふうに自分を目標に向かってくる敵と対峙するのは初めてのことだった。けれど迷いはない。自分がここを護ると決めたのだから。


気配が徐々に近づいてくる。次の角を曲がった先――その瞬間が、確かに迫っていた。


――――

闇がまだ残る緩やかな丘陵の上に、一人の男が馬上から戦場を見下ろしていた。漆黒の軍衣に身を包む男の名はグレゴリウス。先日使者としてフェルディナの南の大地を踏んだこの男の正体は、冷徹無慈悲と名高いオルカの貴族であった。


砦西側ではすでに激しい攻防が始まっていた。火と氷、水と風が入り混じる力の衝突。その光がまるで空に花を咲かせるように瞬いている。


「グレゴリウス卿――伝令です」

「言え」

「東より侵入した牙のひとりが、目標への接近に成功したとのこと」


グレゴリウスは目を細めた。


「そうか……ついに、届いたか」


重々しく息を吐くと、手袋越しに顎に指を添えながら彼はゆっくりと視線を落とした。


「変化の能力。それさえ手に入れば、我々の試みは最終段階へと進める……」


視線を再び砦へ。その先では戦火の灯りが砦の尖塔を照らしていた。 


北から吹く冷たい風が外套の裾をゆっくりとはためかせる。やがて彼は静かに馬の手綱を引いた。


「私も出よう」


その言葉に、周囲の兵たちが一斉に彼の背後に列をなす。


「副官に伝えろ。後詰部隊を三手に分け、東からの突破口を広げつつ砦南西に展開させろ。私の到着と同時に内と外から圧をかける」

「はっ」


伝令が駆け出すと、グレゴリウスは独りごちるように呟いた。


「焦るな……急くな……。だが確実に獲れ。今回の目標は“狐”だ。他の命は、いくらでも代わりがきく」


馬の蹄が雪を踏みしめ、丘を降りていく。


北風が吹き抜ける中、グレゴリウスの唇が冷たく歪んだ。

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