兄弟
【登場人物】
ジンリェン…愛称はジン。フーリェンの双子の兄。第一王子アルフォンスの直属護衛を務める。
シュアン…本名はシュアンラン。戦場の最前線へと遠征中。ジンのよきライバルであり、フーとは…?
少しの間の後、扉がゆっくりと開いた。扉の隙間から顔を覗かせたのは、自身と同じ白髪に、琥珀色の瞳。しなやかな体躯に長身、美麗という言葉がピタリとはまる面差し。
双子の兄――ジンリェンだった。
部屋の外に漂う空気が、ふっと柔らいだ。灯りの影が彼の肩をなぞり、淡く揺らめいている。そんな兄の姿を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「よく来たな、元気だったか?」
「…そっちこそ」
互いの言葉に、わずかな間が入る。互いの存在が、近くに戻ってきたことを確かめ合うような、静かな一拍だった。
「入れよ。火は入れてある」
フーリェンは小さく頷くと、兄の後に続いて部屋へと足を踏み入れた。中は簡素な作りだが、角には火鉢が置かれ、温かな炎の気配で満ちている。ぐるりと視線を巡らせると、武具の袋と数冊の地図が、机の上に広げられているのが見えた。地図の端には指でなぞった跡があり、紙の一部がわずかに黒ずんでいる。幾度も戦略を練った跡が見て取れた。
「休暇か?」
「そう。…ルカ様に命じられて」
「相変わらず素直じゃないな、お前は」
そう言うと、ジンリェンは笑った。その言葉には反応せず、近くにあった椅子にすとんと腰を下ろす。そのままフーリェンは、視線だけを兄へと向けた。そんなに長く離れていたわけではなかったが、彼の笑みは、不思議とどこか懐かしく感じられた。それと同時に、その瞳の奥に長く張り詰めていた者だけが持つ疲労の色があることに気付く。
しかしそれを口に出すのは野暮だと理解しているからこそ、フーリェンは黙って椅子に沈んだ。
「ジンは任務帰り?」
「ああ。お前と同じく、な。俺は東から帰還したところだ。少し荒れてたぞ、向こうの情勢」
「西側も、きな臭い感じだったよ」
それに――と、フーリェンは言葉を詰まらせながらも続けた。
「…王都にも、奴隷商が入っていた」
その一言に、ジンリェンの表情がわずかに陰った。瞳の奥の琥珀が、かすかに揺れている。
「報告したか?」
「…検討中」
「そうか」
小さく呟いてから、ジンリェンは椅子に戻った。彼の手が火鉢の縁に触れ、炭の赤がふっと揺らぐ。沈黙が一瞬、二人の間に落ちた。
「今日は、久しぶりにゆっくり話そう。明日は俺も休みをいただいている」
「…うん」
火鉢にくべられた炭が、ぱちりと小さくはじける。木造の壁に揺れる炎の影が、室内に静かな温もりを添えていた。
部屋の片隅に、干された外套がひとつ。乾いた布の匂いと、微かな鉄の匂いが混ざっていた。
「……東は、獣の群れが移動してきててな。国境近くの村が何度か踏み荒らされた」
椅子に背を預けながら、ジンリェンが口を開く。その口ぶりは落ち着いていたが、装備に残る傷と煤の痕が任務の過酷さを物語っていた。肩口に刻まれた浅い切り傷、布越しに滲んだ焦げ跡。どれも戦場の現実を雄弁に語っている。
「第一軍の補給線が、一時寸断されたって聞いた」
「…ああ。今は回復している。俺が出向いたのは、あくまで火の種を摘むためだ。幸い、大規模な衝突には至らなかったよ。…そっちは?」
「アドラの国境周辺。動きは慎重だった……けど、内密に人員を移している形跡があった」
「やっぱり、まだ完全に引いてはいないか」
アドラ王国とは、先々代の時代から戦の絶えない。ヒューマンと獣人との共生を掲げるフェルディナとは異なり、アドラではヒューマンと獣人との間に埋められない格差が存在する。そんな隣国との衝突は近年増す一方であり、こうして定期的に牽制や偵察を行っていた。
戦は終わらない。ただ、形を変えて続くだけである。
「で、シュアンは?」
急に兄の口から飛び出したその名前に、ぴくりと片耳が反応する。でも何となく気付かれたくなくて、そっけない言葉が口から出てきた。
「……会ってないから分からないけど、戦場を一面凍らせたって」
「相変わらずだな、あいつ」
小さく笑って呟いたジンリェンは、テーブルの上に置いてあったマグカップに手を伸ばした。湯気の立つ茶を口に含み、ふっと一息つく。
「あまり無茶はしてくれるなとは思うけどな」
「それを言うなら、向こうも同じこと思ってると思うよ」
「あいつ、戦場では氷の刃より冷めてるくせに、お前のこととなるとすぐ沸騰しそうになるからな。一度会ってやれ。……きっと、そろそろ限界だぞ」
そんな兄からのからかい半分の言葉に、どう返していいか分からず、フーリェンは曖昧に視線を逸らした。火鉢の赤が、微かに頬を照らす。
やがてジンリェンは立ち上がると、小窓から外を覗いた。通りの影から覗く街明かりはキラキラと輝いており、耳をすませば酒場で騒ぐ男たちの愉快な声が聞こえてくる。
華やかで騒がしい、王都の夜の音。それらを聞きながら、フーリェンは少しだけ背を伸ばした。
「……王都も、油断できなくなってきた。目に見えないところで、少しずつ何かが変わってきてる」
「うん…」
火鉢の中の炎がぱちりと、音を立てて崩れた。その音が、まるで何かの予兆のように、静かな夜の中へと溶けていったのだった。




