再会
【登場人物】
ベルトラン…元女王ヘラの直属護衛。フーリェンに戦いの基礎を叩きこんだ人物。今は直属護衛を引退し、北の砦の兵士をまとめる北軍の隊長を務める。
北の中堅兵士たち…幼いフーリェンとともに鍛錬を積んだ仲間であり、親のような存在。
【世界】
北軍…元第零軍。女王ヘラが王都から北へと移住した際に共に北へと移動した。
まだ冬の名残を感じる北の空気に、重く引き締まった鉄の匂いが混じっている。
砦の広場には、厚い毛皮と重装鎧をまとった兵士たちが整然と並んでいた。その顔つきは精悍で、幾度もの戦場を生き抜いてきた者だけが持つ風格を滲ませている。若い兵の姿は少なく、そこに並ぶのは、半世紀以上にわたり王国へ剣を捧げてきた屈強な男たちばかりだった。
彼らは王国軍最古参にして最精鋭の部隊。元王国軍第零軍にして北の大地を守る北軍の兵士たちである。
そんな彼らの視線は今、目の前に立つひとりの人物へと注がれていた。
すらりと伸びた背筋。蜜のような琥珀色の瞳に、陽の光に透ける白髪。その人物の顔に、兵士たちは見覚えがあったのだ。
「……あれは……まさか……」
「本当にフー坊か……? ずいぶん背が伸びやがった」
「嘘だろ、あのちっこかったのが、もうこんな……」
彼らのざわつきを前に、ルカはこほんと咳払いをすると、浮足立つ兵士たちへと視線を向けた。
「みんな、日々の防衛ご苦労様。しばらく私たちはここ北の砦に滞在する。僕の護衛も置くことになった。よろしく頼むね」
「「はっ」」
歴戦の兵士たちは胸の内に湧き上がる動揺を押し隠し、揃って王子の御前に礼を捧げた。
その光景を静かに見届けると、ルカは満足げに微笑み、注目を集める自身の護衛をその場に残したままオリバーとともに広場を後にした。
王子たちの姿が見えなくなると、兵士たちは一斉に白狐の護衛に駆け寄った。厚い手が彼の肩を何度も叩き、笑顔を浮かべながら声をかける。
「フー! お前のこと、ずっと心配してたんだぜ!」
「前よりも大きくなったな!」
「フー坊! お前、覚えてるか? 居なくなったと思ったら肉くわえて走り回って――あれ、俺の干し肉だったんだぞ!」
突然肩を抱き寄せられ、フーリェンは一瞬だけ目を瞬かせた。しかしその表情は、やはり大きくは変わらない。だがほんのわずか、目元の緊張が解けたようにも見えた。
「……覚えてる。しょっぱい肉だった」
「ははっ 言いやがったな! 変わらねえなまったく!」
笑いが起こる。
かつて、この場にいる全員が王宮で肩を並べて鍛錬に励んでいた頃。そこには幼く、力の制御も覚束なかった一匹の子狐がいた。
必死に訓練に食らいつき、震える手で傷をなめていた。そんな“ちびっこ”のような存在だったフーリェンが、今や第四王子の直属護衛として堂々と目の前に立っている。
「お前が本当に、ちっちゃかったフーかぁ……こんなに立派になって……」
「折角だ! 一緒に訓練するぞ!」
「……分かったから、そんなに撫で回さないで」
照れたように小さく呟いたその声は、冷たい空気の中でほんのりと温かみを帯びていた。
手を引かれるまま、フーリェンが訓練場の方へと足を向けた、その時だった。列の後ろから一人の男が現れた。
「久しぶりだな、フーリェン」
低く響くその声に、白い耳がぴくりと揺れる。振り返った彼の視界に入った男――ベルトランは、その反応を確かめるように目を細めると、静かに頷いた。
「相変わらず口数は少ないな。だが……背筋が伸びている。いい目だ」
そう言って伸ばされた大きな手が、頭上へ落ちる。
その瞬間、まるで帰る場所を見つけた子どものように、フーリェンはほんのわずか尾を揺らしたのだった。
――――
からりとした日差しが降り注ぐ昼。北の寒さを纏った訓練場に、乾いた足音が響いた。
屈強な男たちが剣を振るう中で、フーリェンもまた、黙々と動いていた。細身の身体には汗が滲み、息はわずかに上がっている。だがその瞳だけは、真っ直ぐ前を見据えていた。
「腰が浮いてるぞ、フーリェン! 重心がぶれる。体幹を固めろ」
ベルトランの声が鋭く飛ぶ。
灰色の髪に混じる白髪。浅黒い肌に刻まれた無数の傷跡。幾多の戦場を生き延びたその男の目は、ごまかしを許さない。
フーリェンは無言で頷くと、再び構えを取った。
足を肩幅よりやや広めに開き、膝を軽く曲げる。剣を正面に掲げると、肩の力を抜いてゆっくりと腰を落とした。重心が下がる感覚と同時に、地に根を張るような安定感が足裏から伝わってくる。
「そうだ。それでいい」
胸の奥で深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。思考を一度沈めると、不思議と空気の流れや足場のわずかな傾斜まで感じ取れるような気がした。
「踏み込み、引き、回避。ひとつひとつ確かめながらやれ」
彼の指示に従い、フーリェンは剣を低く構えたまま斜め前に踏み出した。右足、左足。地面を滑らせるようにステップを踏み、反転してすぐに体を沈める。剣を斜めに振り、敵を想定して切り上げ、続けて身体を低く屈めて避ける。
彼は普段、細身を生かし、持ち前の反射神経に頼った戦闘を得意としている。
しかし今は違った。
力を溜め、解き、そして戻す。その一連の動作を、ひとつひとつ確かめるように身体へ刻み込んでいく。
訓練場の端に立つ数名の若い兵士たちが、そんな彼の動きを見守っていた。
「……さっきより動きが滑らかになってるな」
「脚の使い方、変わった。ちゃんと芯を意識してる」
「直属護衛か……さすがだな。俺たちと同い年だってよ。なんか悔しいな」
普段は言葉少なな新米の彼らも、真剣に目を凝らしていた。
「次は模擬戦だ。今掴んだ動きを実戦に繋げろ」
ベルトランの一声で、立ち話をしていた若い兵士たちは慌てて訓練場に散開する。
フーリェンは深く息を吸い込み、剣を握り直した。
一斉に動き出す兵士たちに呼応し、重心を低く保ったまま、滑るように側面へ回り込む。剣を交えつつ懐へ踏み込む。受け流すたびに足運びを細かく調整する。
一人、二人、三人――倒すたび呼吸は深まり、視界は広がっていく。
模擬戦が終わる頃には、昼の日差しもすっかり陰り、西日が訓練場を照らしていた。額の汗を拭いながら、フーリェンは深く息をついた。
「身体も心も、きちんと鍛えられている。自信を持て」
不安がすべて消えたわけではない。だが、確かに一歩ずつ進んでいる実感があったのだろう。その言葉に、フーリェンは小さく頷いた。
訓練場の隅、日陰に立っていた数人の中堅兵士たちが、静かにその様子を見守っていた。
「……あれが、あのフーリェンか。やっぱ信じられんよな」
兵士のひとりが目を細めて呟く。それは戦場に立つ者の目ではなく、父親が子供の成長を見届けるような、どこか誇らしげな眼差しだった。
「前はな、よく俺の後ろに隠れてたんだ。剣の音が怖いって耳をふさいでな」
「それが今じゃ、若い兵士相手に立ち回りまでやって……時間ってのは残酷で、ありがたいもんだな」
「ベルトラン隊長のもとでよくここまで来たよ。……親じゃねえけど、なんか泣けてくるわ」
しみじみと物思いにふける彼らの視線の先で、ベルトランはよく通る声で本日の訓練の終わりを告げた。
「明日も同じように鍛える。怠けは許さん」
その言葉にフーリェンは「はい」と真っ直ぐに応える。そんな彼の姿に背を押され、砦の兵士たちもまた、静かに闘志を燃やすのだった。




