炎
昼の日差しが執務室を明るく照らしていた。換気のために開かれた窓の外からは、剣戟の音と掛け声が風に乗って届いてくる。
そんな穏やかな昼下がり。ルカは窓辺に立ち、訓練の様子を見守っていた。隣で椅子に座るオリバーは窓の外に釘付けになっている。彼の視線の先には、兵士に混ざって剣を振るうフーリェンの姿があった。
朝方から続く鍛錬にもかかわらず、彼の動きに乱れは一切なく、疲労の影も見当たらない。
「……疲れないのかな。あんなに動いてるのに」
ぽつりと呟いたオリバーの声に、ルカは柔らかく目を細めた。
「疲れていないはずがないよ。でも、あの子はそれを見せようとはしないんだ。みんなの前ではね」
「どうして?」
「どうしてだろうね。でも、それがあの子らしいといえば、らしいかな」
オリバーは何も言わず、再び窓の外を見つめた。
少し離れた場所から様子を伺っていたヘラも、手にしていた書類を一度伏せて静かに視線を王子たちに向ける。
「自然と兵士の士気も上がるというもの。いい傾向だ。……統制が取りやすくなる」
窓の外では剣を収めたフーリェンがゆっくりと歩みを進めていた。肩で呼吸をしながらもその目はまっすぐで、焦点は一切ぶれていない。
「……守ってくれる、と思っていいのかな」
ぽつりと漏れたオリバーの呟きに、ルカは彼の肩に手を添えた。
「うん。お前が信じてくれたら、彼らはどこまででも強くなれるよ」
静かなその言葉に、オリバーはしばし口を閉じ、そして小さく頷いた。
「……じゃあ、ちょっとだけ、信じてみる」
室内に流れる空気が少しだけ温かさを帯びる。
窓の外、風に揺れる白狐の尾がまた剣と共に舞い始めた。
――――
場面は変わって、王都のある路地裏。
外套に身を包んだジンリェンは、路地裏の影から都を見渡していた。彼の琥珀色の目が一瞬立ち止まった若者の挙動を捉える。
「……陽動か。雑だな」
誰にともなく漏らした声は、冷たく低い。
ここ数日、王都では不審な動きを見せる者たちが確認されていた。住民に紛れて出入りする見知らぬ顔、妙な時間に交わされる取引、そして王宮周辺に漂う異様な気配。
それらを確かめるべく、彼は王都の裏路地を一つひとつ巡回し、情報の断片を拾い集めていた。
(……フー。おまえが安心して戦えるように、俺はこっちを片付ける)
目深に被ったフードの奥。一瞬見えた琥珀色の瞳は、どこまでも冷たく、澄んでいた。
そうして偵察を続け、日が落ちきった頃。
王都から少し離れた荒野。月光に照らされた大地の真ん中で、ジンリェンは静かに外套を脱ぎ捨てた。
「……狩られる覚悟ができているなら来いよ」
音を立てずに彼の背後に現れたのは、黒衣に身を包んだ数人の影。顔の下半分は覆われ、目だけがぎらついている。
「王都に入り込んで何日経った? もう飽きただろ」
挑発めいた声に、黒衣の一人が一歩、静かに前に出た。
「直属護衛のお前が、まさか自ら現れるとはな」
「上等の獲物が釣れるなら、こちらから網を張るのも悪くない」
次の瞬間、周囲を囲むようにさらに数名の影が現れる。声も発さないそいつらに関しては、男か女かすらも判別できない。
「……足音が軽すぎるな。 舐めてるのか?」
槍に彫り込まれた紋様が淡く紅く光る。それと同時に、足元から炎が立ち上がり、槍に沿って燃え上がる。
「……槍か。近づけなければ問題はない」
そう吐き捨てるように言った黒装束の一人が、素早く空中に手をかざす。瞬間、空間がひしゃげたように歪み、無数の刃がジンリェンの周囲に出現した。
「遅いな」
一閃。一歩踏み込んだだけで、槍先から放たれた炎が突如出現した刃を一掃するほどの烈風と熱波を生み出し、周囲にいた三人を一瞬で吹き飛ばした。
「この威力……」
「炎の操作にしては、精密すぎる……!」
槍の穂先にはまるで生き物のように炎が巻きつき、尾を揺らしている。光が爆ぜる。炎に合わせて滑るように駆けるその動きは、まさに焔を纏う獣のようで。
対する黒装束たちは連携して能力を放つ。
途端にジンリェンの足元が歪み、地面が抉れる。
「無駄だ」
右足を踏み込めば、地面の下から熱が爆ぜる。炎を纏った槍が大きく旋回し、次の瞬間には鮮血が舞う。紅い光が槍から消え、火の粉が空に吸い込まれていく。
「……もう少し手応えがあると思ってたんだがな」
くるりと槍を回し、ジンリェンは己の能力で燃え尽きた獣人たちを見やった。
「さて、取り敢えず潰してみたが……」
そのまま槍を肩に担ぎ直し、闇の中へと向かって彼は歩き出す。
ぱちりと、骨が碎ける音が鳴った。荒野に残されたのは炭化した生き物の死骸のみ。
しかしそれも、強く吹いた風に乗って散っていったのだった。
侵入者を葬ったその足で、ジンリェンは王宮を目指していた。
吐く息は白く、火照った体温との落差がじんわりと皮膚を冷やす。
炎の槍で薙ぎ払った敵の残り香がいまだ鼻腔の奥に残っていた。その臭いに眉根を寄せると、ジンリェンはフードを深く被り直し、そのまま王宮の裏手へと身を滑らせる。警備兵たちに姿を見せぬまま、回廊を抜け、主のもとへと急ぐ。
数日間王都内に潜伏していたと思われる、黒装束の獣人たち。先程葬ったのが七人。外套を羽織っていても尚、自身を直属護衛のジンリェンだと認識して襲いかかってきた彼ら。
能力持ちがいたとはいえ、そこまでの情報が回っていながら、あまりにも手応えがなかった。鼻から勝つつもりなど無さそうにも見えた。
そこまで考えて、ふいに昼間の粗雑な陽動の気配を思い出す。
「まさか」
陽動。時間稼ぎ。そこから導き出される答えは――。辿り着いた仮定に、心臓が脈打つ。視界の端に映る、書庫へと続く階段。飛び込むように底へと足を踏み入れようとしたその瞬間--。
突然、目の前の空間が”歪んだ”。




