北の砦
【登場人物】
ヘラ…フェルディナ王国女王。アルフォンス、ルカ、オリバーの実母にして北の大地を治める。国王とは10年前に死別。その後、王子たちが成人するまで一人で国を支えてきた。
日も高く昇った頃。石造りの重厚な廊下を抜け、三人は女王の待つ北の砦の最上層に辿り着いた。警備を担当する若い兵士に案内され、そのまま扉の向こうへと足を踏み入れる。
暖炉の火が静かに揺れる部屋の奥。机上に広げられた地図の上に両手をついていた女が彼らを出迎えた。
「ようやく来たな。ずいぶんと遅かったじゃないか、ルカ」
その声音は女性にしてはやや低い。しかし温かみのあるその言葉に応じてルカは恭しく頭を垂れた。
「母上、お元気そうで何よりです」
「こんな山奥で腐っているだけさ。だけど退屈はしない。東は妙な動きがあるし、西もきな臭い。アスランとの交易は繋がっているが……お前たち、また厄介ごとを背負い込んできたな?」
そう言って、女王ヘラは顔を上げた。その眼差しは鋭く、同時にどこか愉しげに笑っている。
無造作に結い上げた髪に、飾り気のない装い。それでも彼女はその佇まいひとつで、この国の頂に立つ者であることを雄弁に語っていた。
ヘラはちらりと視線を動かすと、ルカの背後へと目をやった。
「さて、後ろの狐子は……」
「お久しぶりでございます、女王陛下」
フーリェンもまた主にならって一歩前へと歩み出ると、礼式のもと深々と頭を下げた。
「フーリェン、見ないうちに大きくなったな」
ヘラの目が細まる。そこには母性でも情でもない、“見届けてきた者”としての静かな眼差しがあった。
「この数年の活躍も耳にしている。私の目に狂いはなかったな」
「あなた様からの御恩、決して忘れておりません。あの頃の僕は、自分が何者なのかすら理解していませんでした」
「分かっている。お前の能力は……あまりに不安定だった。誰も制御の仕方なんて分からなかったし、何より、お前自身が怖がっていたからな」
フーリェンの唇が微かに震えた。
「あの頃のお前には、『殺される覚悟』があるのも分かっていた。でもだからこそ、私は生かせと命じたんだ。人は、覚悟を持つ者にしか未来を託せない」
「……僕は、あなた様の期待に応えられているのか、自信はありません。ですが、直属護衛として、この国の獣護として戦場に立てること、それは誇りに思っております」
「言うようになったな。まるで兵士の模範回答だ」
堅苦しいフーリェンの返しにヘラは口元を綻ばせると、指先を長椅子へと向けて笑った。
「座れ。話はたっぷりあるのだろう? オリバーもこっちに来なさい。私に顔を見せておくれ」
緊張した面持ちで近づくオリバーの頭へと軽く手を乗せながらヘラは続ける。
「さて、私にわざわざ会いに来たってことは……王都の中で何か良からぬことが起きているな?」
鋭く切り出されたその言葉に、ルカとフーリェンは目を合わせた。
「……はい。南と西の勢力が連携し、異形の兵を造り出しています。更に……フーリェンとジンリェンの過去に関する情報が、何者かの手に渡りつつあります」
「……第七区域の記録か」
ヘラは煩わしいとばかりに額に手をやると、小さくため息をついた。
「……忌まわしい土地だった。大規模な奴隷市に移民だらけの地下街……。一度一掃したとはいえ、未だに無法地帯であることに変わりはないからな」
独り言のようにそう呟くと、彼女は一度深く息を吐きだした。その青色の目が、真っ直ぐにルカへと向けられた。
「ルカ、お前の大事な護衛を戦火の中心に置くことになるやもしれん。覚悟しておけ」
「はい、母上」
暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。




