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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第2章

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北へ

【登場人物】

オリバー…フェルディナ王国第五王子。10歳。襲撃事件後、数ヶ月北の砦で過ごしたのち別邸に移動した。

ジュアン…オリバーの傍仕え。3年前のある襲撃事件の際、オリバーを守って殉職している。

あの日の少年の顔を、フーリェンは今でもはっきりと思い出せる。自分を真っ直ぐ見つめていた、燃えるような赤色の目。


……綺麗な目。


思えば、それがきっかけだったのかもしれない。兄と、自分たちを救ってくれた殿下以外に、自分の意思で興味を持ったのは、彼が初めてだった。あの瞳に映る自分でいたい、そう思ったのは。


それは「憧れ」かもしれなかったし、「羨望」だったのかもしれない。


季節が何度も巡って、「隣にいること」も、いつしか当たり前になった。


けれど――


それでも、時折不安になることがある。自分は本当に、隣に立つ資格があるのだろうか。明確な形すらも持たない自分が、彼の隣で迷わずに歩けていけるのだろうか。


「……フー?」


柔らかな声に、思考が現実に戻る。振り向けば、微笑を浮かべたルカが立っていた。陽だまりのようなその眼差しは、変わらず温かい。


「すみません、……ぼんやりしていました」

「ううん、別に。何か考えてた?」

「……いえ。昔のことを、少しだけ」


ルカの問いかけに、フーリェンは背筋を伸ばす。


彼らが向かうのは、王宮の敷地内の一角――第五王子・オリバーが滞在している別邸。戦の影が近づくこの局面において、若い王子の身を安全な北の砦に移すことが決まった。その護衛としてフーリェンが、そして主としてルカが同行する。また今回の移動には、砦に住む“女王”と接触するための意図もある。


小さな馬車が、王宮の裏門に待機していた。フーリェンは手綱を引きながら、無言で車輪の音に耳を傾ける。


「フー、オリバーのこと、どう思ってる?」

「……聡い方だと思います。年のわりに、状況をよく理解しておられる」

「そうだね。けれど、あの子は無理をしてる。……それが分かっても、僕らには、彼に“幼さ”を与えてやる余裕がない」

「だからせめて、できる限りあの子に安心を与えたい。――それでいい?」


ルカの問いに、フーリェンは静かに頷いた。


「僕が、お二人をお守りします」


ルカはその言葉に微笑みながら、けれど少し寂しげな目をした。


「……ありがとう」


やがて裏門が開き、扉の向こうに小さな人影が見えた。背筋を伸ばし、じっと待つ姿は、10歳の少年にしてはあまりに立派で、どこか儚い。フーリェンは馬車の扉を開け、ぽつんと立つ少年――第五王子オリバーへと、静かに頭を下げた。


「オリバー殿下。お迎えに上がりました」


少年は、小さく頷く。


「…フーリェン。そのままでいいよ。僕は“弟”で、君たちは“兄”なのだから」


その言葉に、ルカが目を細める。フーリェンは少しだけ目を見開いて、そして静かに頷いた。


「…承知しました、オリバー様」

「ふふ。やっぱり、かたいな」


かすかな笑い声が、静かな馬車に柔らかく響いた。


3人を乗せた馬車は、北の砦へ向かって動き出す。揺れる車中には柔らかな光が差し、小さな窓から入り込む暖かな風が、カーテンを揺らしていた。


オリバーは窓際に寄り、景色を眺めていた。眼下に広がる森と丘、遠く霞む山並み。その表情は、年齢よりずっと大人びて見える。


「…この道を通るのは、いつぶりだろ」

「3年前だよ。療養のために、数ヶ月だけ砦で過ごしたとき以来だね」


ルカが穏やかに返すと、オリバーは小さく笑った。


「あのときはまだ、“王子”ってものがなんなのか分かってなかった」

「……今は、分かっているのかい?」


オリバーはふと黙り、少しだけ顔を背けるようにして言った。


「……たぶん、分かりたくなかっただけ、なんだと思う。兄上たちが戦ってるのを、遠くから見るのが怖くて」


ルカはゆっくりと頷きながら、少年の肩に手を置いた。


「お前は、自分の場所で耐えていた。――それも、立派な戦いだと私は思うよ」


オリバーの目がわずかに揺れる。その目はやがて、隣に座っていたフーリェンへと向けられた。


「ねぇ、フーリェン。君は……怖くなかったの? 護衛になったとき」


その言葉に、フーリェンは少し考えるように視線を落とした。指先を落ち着きなく組み直すと、低く、静かに答える。


「……怖かったです、最初は。自分に与えられた役目が、あまりにも大きく感じました」

「今は……?」

「慣れたわけではありません。ただ、“この方のために”と決めた瞬間に、迷いは消えました」


そう言ってルカを見る彼の目は、変わらず淡く、けれど芯の通ったものだった。オリバーはその眼差しをまっすぐに見つめる。


「“この方のために”、か……」


オリバーは少しだけ笑ってから、目を伏せた。


「ジュアンも、そう思ってくれていたのかな…」

「きっと、そうです。……オリバー殿下は、その資格のある方です」

「ありがとう、フーリェン。……やっぱり、君はちょっと変わってる」


フーリェンの答えに、オリバーは目を見開いて、そして静かに笑った。隣で会話を聞いていたルカもつられて笑い、馬車の中はしばし、あたたかな空気に包まれた。


窓の外には、しんと静まる深い森が広がっていた。馬車がわずかに揺れ、道が変わったことを知らせる。


――北の砦まで、あとわずか。


女王が治める北の大地。あるのは「希望」か。それとも「絶望」か。今はまだ、分からない。


それでも――


自分の役割は変わらない。目の前の幼い王子を、そして敬愛する主を守る。それだけ。


フーリェンは一度深く息を吸うと、窓の外に見える雪の残る山々へと、静かに視線を向けるのだった。

 

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