ユリウス
王宮地下・尋問室。
「まだ喋らないの。口がきけないのかと思っていたけど、そういうわけではないね」
ユリウスは囚人の真正面に腰を下ろし、椅子の背に体を預けて足を組んだ。表情は柔らかい。
しかしその雰囲気の奥に潜むのは獣のような静かな好奇心だった。
囚人の顔は覆面で見えない。手足は革帯で拘束され、背後の柱に縛り付けられている。無言。だがその沈黙は無知や恐怖からくるものではない。
「君たち諜報員はいつも無口だ。当たり前かもしれないけれどね。だけど、身体の反応は嘘をつけない」
ユリウスは静かに立ち上がると、囚人の左肩に指先で触れた。
「たとえば……『変化の獣人』と聞いて、君の鼓動が少しだけ速くなった」
その瞬間、男の尾がぴくりと揺れた。ほんのわずかだが、彼はその変化を見逃さない。
「やっぱり。知っているね。狐の変化能力持ち。……そうだろう? フーリェン。双子の兄もいる。兄は炎を操るらしい」
沈黙が破られたわけではないが、反応はあった。それで十分。ユリウスは口元に笑みを浮かべながら、さらに追い詰めるように言葉を重ねた。
「面白いよね。血肉を喰えば他者の能力すらも模倣する、という話……」
ここで一拍、あえて言葉を切ってみる。
「君は、どこでその情報を知ったの? 東の地下? それとも……今も何らかの繋がりがあるとか?」
しばし沈黙が続いた後、不意に囚人が口を開いた。しわがれた低い声で、囁くようにユリウスへと言葉を向ける。
「……アレは、戻れない。異形に堕ちたら、もう……戻れない」
ユリウスの眉がわずかに動く。囚人の声は震えていたが、その震えは恐怖というより、ある種の“自信”のように感じる。
「それは、見たということ? “戻れなかった誰か”を」
返事はない。再び沈黙が落ちる。
「……いいさ。今日はここまでにしよう」
ユリウスは立ち上がり、背後の獅子の男へと視線を投げた。
「ランシー、少し席を外してくれる? この距離だと君も”射程内”だ」
ランシーはぴくりと眉をひそめたが、大人しく命令に従った。少しだけ心配そうにユリウスの顔を窺うと、やがて扉の向こうへと去って行く。
彼が部屋から出るのを見届けると、ユリウスはふと呟いた。
「戻れないものに戻す手段を示したら、君たちはどうするだろうね?」
フーリェンの能力と隣国で行われている異形の実験。その交差点にあるのは『希望』か『絶望』か。それを試す舞台は、いずれ用意されるはずだ。
「ねぇ」
その声に、囚人がわずかに顔を上げた。
「君はフーリェンを『異形』と同じものだと思っている?」
男の沈黙が、今度は明らかに拒絶の意味を孕んでいる。
「“戻れない”のは、異形の話? それともあの子自身?」
「……あいつは、まだ人だった。だが……使えば、喰らえば、いずれ……化け物になる……!」
その叫びは警鐘だった。ユリウスはくるりと囚人に背を向けると、小さく笑った。
「……そう。じゃあ、実験は慎重に行うべきだね」
壁に掛けられたランプの灯りに照らされた彼の横顔は、まるで仮面のように整っていた。
「……フーリェン。君は鍵だ。彼らが造る紛い物ではない、“完璧な”オリジナルとして……父上の――」
その瞳に恐れはない。ただあるのは、底知れぬ『渇望』と『計算』だけ。影のように背後から現れた兵士にだけ聞こえる声で彼はぽつりと呟く。
「見張りご苦労様。後は頼むね」
扉が静かに閉じられ、尋問室に再び静寂が戻る。だがその静けさの裏で、王国の芯を腐らせる影は確かに脈動していたのだった。




