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王宮の獣護  作者: 夜夢子
第2章
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束の間の日常

陽は沈み始め、王宮の中庭には西日が差している。医務室を後にしたフーリェンは、一人白壁沿いの回廊を歩いていた。風に揺れる木々の葉音や、遠くから響く兵士たちの掛け声が、ひどく現実味のある響きを持っている。


やがてたどり着いた訓練場の入口に足を止める。広い土の広場では、数十人の兵士たちが槍や剣を構えて組手を繰り返していた。汗に濡れた背中、真剣なまなざし、鋭く交差する音。そのすべてが、自分にとっては“日常”で。だけど今は、どこか遠いもののように感じられる。


「……暖かいな」


ぽつりと、誰に向けるでもなく呟いたその声は、風にかき消されるほど小さかった。ふと、視線を感じて振り返ると、白狐がこちらへ歩いてきていた。


「この時間にここにいるとは…。……医務室、逃げ出したか?」

「逃げてない。………さっきまで休んでた」

「ふぅん。体は、もう大丈夫なのか?」


ジンリェンは軽く眉を上げながらも、声色には優しさが滲んでいた。フーリェンはわずかに頷き、視線を訓練場に戻した。


「槍の動きが、少し緩い。……あの後列の二人、息が合ってない」

「相変わらず、そういうところを見抜くのは早いな。お前」


そのままジンリェンも隣に立ち、同じ景色を眺める。やがて、兵士の一人が大声で号令をかける。動きが揃い、槍が風を切る音が広場に満ちていく。


「…帰ってきたって実感が湧くの、こういう時かもな」


ぽつりと呟いた兄の言葉に、フーリェンは小さく頷いた。


「お前、この前会ったときより痩せたか?」


不意にジンリェンが呟いた。その言葉には、非難ではなく、ただ純粋な兄としての心配が滲んでいた。フーリェンは返事をせず、軽く肩をすくめる。


「食えないのか?」

「……少し、食欲がないだけ」


ジンリェンはそれ以上は詮索せず、しばし口を閉ざした。風が吹き、訓練場の砂を軽く巻き上げていく。


「……お前のこと、俺は誇りに思ってる。だけど、誇りに思うってのは、別に“壊れても構わない”って意味じゃない。……ちゃんと、守りたいって思ってる」

「………兄さん」


その呼び方を使うのは、よほどの時だ。フーリェンがそれを口にしたことに、ジンリェンは少しだけ目を見開いた。


「僕は、…自分が何か、分からなくなる時がある。見えるものに次々変わって、戻れなくて。今も、全部思い出せるわけじゃない」

「……ああ」

「けど、みんなが僕を“フーリェン”って呼ぶから……今は、その名前で立っていられる」

 

言葉はとても静かだった。だが、それは強さでもあり、脆さでもあった。


そっと、肩に手が置かれる。その掌から伝わるのは、力ではなく、ぬくもりだった。


「お前が前を向くなら、俺は後ろを守る。それだけだ」

「……うん」


フーリェンの声は掠れていたが、確かな感情が宿っていた。だがそんな兄弟の時間を割るように、訓練場の入り口から兵士の一人が駆け込んできた。


「ジンリェン隊長、フーリェン隊長! 至急、会議室にお集まりくださいとのことです。南境の情勢に動きが――!」


その言葉に、ジンリェンが顔を上げ、フーリェンは無言で背を正す。


「…日常は、長く続かないものだね」


フーリェンが呟くと、ジンリェンはわずかに笑って応えた。


「だからこそ、こうして噛み締めるんだろ?」


束の間の日常も、すぐに終わりを告げる。二人は揃って訓練場を後にすると、再び戦いの渦中へと歩を進めるのだった。

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