報告
蝋燭の灯りが、長い会議卓を静かに照らしていた。
部屋の中央には、隣国との国境地図、そしてフーリェンが持ち帰った断片的な情報――焦げついた布切れ、一部が破れた紙、破損した器具の一部が並べられている。
「……“異形化した獣人”を戦力として造る。それを口にすれば荒唐無稽に聞こえるが、フーリェンの能力を知っている我々なら、逆に納得できる部分もあるだろう」
「そして何より、彼の能力と共通する部分が多いな」
「姿形…それも、直接体の構造を変える能力を持つ獣人は…、少なくとも近辺の国を含めてもフー以外に確認されていません」
交わされる議論、アルフォンスは一度深く息をつくと、目の前に置かれた"断片的な情報"たちへと視線を向けた。
「フーリェンが見つけた痕跡。それらを組み合わせれば、対象の精神を奪い、肉体を変異させ、その“強さ”を得る試みをしていたと見ていいだろうな」
その軽快の警戒の混ざった声音に、ユリウスが弱弱しく言葉を継ぐ。
「それが、“自在に姿を変える能力者”をベースにしたものだったら…?例えば……フーリェンのような存在を。隣国が情報を得て、似た者を作ろうとした可能性は?」
「姿や力の模倣。元は“見たものを自分に写す”という天賦の才だったはずだ。けれど……もし、今回の“異形”が、何かを混ぜて再現したものだとしたら――これはもう、兵器だ」
アルフォンスの後ろで話を聞いていたジンリェンが口を開く。
「フーは、戦場ではほぼ“槍術”だけで戦っています。動きの冴えは別格ですが、あれが“能力”によるものだとは一見しただけでは気づけません。能力を使ったとしても、腕や足、つまり衣服で隠れる範囲の“補助的な強化”程度。……だからこそ、敵国にその情報が漏れるとは考えにくいかと…」
「それに、王国軍の中でも彼の能力の詳細を知っているのは中堅兵士以上…長く軍に従事する者たちだけです。ここ数年は彼自身能力の暴走もしていませんので、新兵や最近入っていた者は彼の能力を知らない者も多いかと」
「……ジンリェン、お前たちは奴隷地区出身だな。境界の曖昧な地下の交易。……その経路なら、どうだ?」
「情報が漏れていたとしても、不思議ではないですね」
ランシーが壁際で腕を組み、唸るように言った。
「ただし、成功しても制御が効かなきゃ意味がありません。……フーは、例え制御を失っても力を返す場所を分かってる。でも、もしもそれを失った模造品が大量に放たれたら――」
「ただの“獣”だな」
アルフォンスの声は静かだったが、執務室の中に重く響いた。
「感情も、忠誠も、意志すらない。命じられた方向へ牙を向けるだけの兵器だ。それが、この先、我々の国境を襲うとしたら――」
「いずれ戦になる」
静かに聞いていたセオドアが断言するように言った。
「洗脳、薬物、異形化。これらは単体でも十分脅威だが、オルカは“軍事利用”の段階に入りつつある。…そして、“元”になった存在が、こちら側にいる。――」
「あの子が目覚めたら、すぐに状況を確認しましょう。彼が“何を見て、何を感じて帰ってきたか”――それこそが、この国の未来を左右する鍵になります」
ルカの言葉を皮切りに、夜の会議室に、再び静寂が訪れた。
――――
窓の外ではまだ夜が明けきらず、薄闇が王宮の回廊を包んでいる。重たかった瞼がようやく開き、ゆっくりと天井を見上げる。
寝台の上、柔らかな毛布に包まれて、フーリェンはしばらくそのまま動けずにいた。久しぶりに能力を使った身体はまだ痺れている。それでも、己の姿が“異形”のままではないと気づいたことで、心の奥底から安堵がこみ上げていた。寝台の傍らに置かれた椅子には、誰かが座っていたらしい痕跡。あたたかく残る毛布のたるみが、誰かが夜通し看病してくれていたことを物語っていた。フーリェンはゆっくりと目を閉じた。
(……ありがとう)
ひとりごとのように、心の中で感謝を零す。感情を言葉にするのは、やはりまだ少しだけ苦手だ。それでも。休んでいられる時間はそう長くない。
「……ルカ様に、報告を」
ぽつりと、誰にも届かない声が寝台の上で漏れた。
数時間後。
まだ顔色は完全に戻らぬまま、フーリェンは控えめな足取りで執務室へと姿を見せた。重厚な扉を開けた先にはすでに4人の王子とジンリェン、そしてランシーが揃っている。
「…フー」
「問題ありません。……報告を」
顔色の優れない従者の姿にルカが立ち上がりかけるも、フーリェンは静かに首を振った。声はかすかに掠れていたが、その姿は毅然としている。その声にルカはゆっくりと頷くと姿勢を正し、フーリェンへと言葉をかけた。
「無理はしないで。だけど、……君の見たものを聞かせてくれ」
「はい」
フーリェンは、ひとつ深く呼吸を整えた。
「――南境、隣国領内の村にて、身体を造り変えられたと思われる獣人の痕跡を確認。対象は複数。また、消えた村人たちの一部が実験体とされた可能性が高いことが分かりました。薬物、洗脳と思われる症状も見受けられました」
その言葉に、一同の顔が強張る。
「現地にて、異形と化した獣人一名と交戦。…排除。その際、相手の一部特性を“模倣”し、持ち帰りました」
ルカの眉がわずかに動いた。
「君の……あの身体は、その個体を……?」
フーリェンは頷く。
「はい。複数の獣人の特徴を合わせ持つ者でした。捕獲困難と判断し、持ち帰ることを優先しました」
フーリェンの報告に、セオドアが切り込む。
「フーリェン、その力は、お前のものと同一か?」
「分かりません。ただ……“同質”である、という感覚は確かにありました」
誰もがその言葉の意味を咀嚼し、押し黙る。重苦しい空気の中、再び静寂が満ちていく。それでも。
フーリェンは、顔を上げて続けた。
「この件、早急な調査と対処が必要です。…必要であれば、僕が戻ります」
「……分かった。だけど、まずは身体を癒して。君が倒れては、本末転倒だ」
「…はい」
低く短く返事をしたフーリェンの目は、この国の王子たちを静かに見据えていた。