夢の底
暗い水の中を、沈んでいくような感覚だった。
声も音も、遠くぼやけて聞こえる。
フーリェンは、夢の中で立っていた。
霧のような闇の中、足元には黒い影が広がり、遠くには誰かの背中が見えた。
――ボサボサの毛並み。鋭い爪。歪んだ獣の体。
(あれは……僕か?)
それは、地下で相対した“異形”――けれどどこか、自分の輪郭と重なって見えた。
場面が変わる。
焼けた鉄の匂いと、乾いた砂の味が口内に広がっていた。
(また、変わってる……)
小さな手が、目の前の水面に映る姿を探る。
だがそこにいるのは、さっき見かけた牛獣人の角を持った自分。昨日は鳥の羽毛、その前は爬虫の鱗。
どれが本当の自分の姿だったのか、もはや思い出せない。
傍らの兄だけが、自分を「弟」と呼んでくれた。
けれど、自分の体が、女にも男にも見えると人々が笑ったとき――兄の表情が、どうしようもなく苦しげに歪んだのを、覚えている。
(見ないでほしい。誰にも、見られたくない)
能力は、ただ「見たもの」を映すだけ。
でもそれは、生き残るための術であり、同時に「自分」を失っていく呪いでもあった。
夜になると、兄のそばでひとりじっと自分の手を見つめていた。手の形は、また違っていた。
細くも太くもなり、獣の爪も、人の指も交ざった。
(……ぼくは、だれ?)
名を持たず、形を持たず、声もままならなかった頃。
その問いは、喉の奥に、石のように詰まったままだった。
(もしまた、昔のように自分を見失ってしまったら--)
僕はきっと、あの異形のようになってしまう。