貴族だったら
魔物との戦いが始まった。
時の王国の聖女はリー伯爵家のバレリーだったが、とても戦地へ赴き負傷した兵士を癒すなどは考えられなかったし、その実力も無かった。
伯爵家はバレリーが、既にリバティ伯爵家の令息と婚約を結んでおり、乙女で無いと申し開きして、辞退した。
前戦では、聖女が来ないと知ると士気が落ちることは分かり切った事だ。
王家は神殿に言って、早急にリーナを最前戦に送り出した。
リーナは寝食もままならずに、一心不乱に癒しの力を使った。
兵士もリーナが傷を癒してくれる事を知ってるので、縦横無尽の働きが出来た。
そして、3年が過ぎた。
魔物の討伐も終わりが見えた来た頃、リーナに王都へ最速で帰還する王命が出された。
騎士団の面々や傭兵等、多くの人々に感謝されてリーナは絶望の森を後にした。
しかし、殆どの人々とは挨拶する時間も無く、騎乗の人となった。
その頃、王都ではウィンストン公爵家嫡男で王太子の従兄でもあるエイドリアンが原因不明の病魔に襲われて、その命は風前の灯だった。
出来得る限りの医療を試したが、全く効果が無かった。
聖女候補の一人であったギース侯爵家のローズマリーも、わずかな癒しの力を使って治療したが無駄だった。
ウィンストン公爵は宰相であり、エイドリアンは次期宰相候補であった。
ウィンストン公爵と王家はリーナの癒しの力でエイドリアンを治癒しようとして、リーナを呼び戻したのだ。
リーナはもちろん、何も知らされずにウィンストン家の騎士によって、馬車よりも早いと、馬に騎士と二人で跨って、昼夜問わずウィンストン家へ向かった。
騎士や馬は途中で替わるがリーナは休むことも無く移動した。
戦場では髪を解かす時間も無く、もちろん湯浴みする時間など全くなかった。
清拭できれば良い方だった。
ローブからも髪からも、体中から血生臭い匂いが漂っていた。
髪は束になって櫛を通すことも出来ない状態だった。
元は、銀色に輝いて腰まであった髪も洗髪できない状態では、すすけた灰色になり、肩よりも短く、見る影もないほどひどい状態だ。
栄養状態も悪く、ガリガリに痩せて、目だけがギロギロして、浮浪児以下と言ってもよかった。
そんな状態で10日も馬で移動して既にリーナは生きてるのか死んでるのかさえ分からない状態だった。
そんな状態のまま、一刻を争う、エイドリアンの元で、治癒魔法を使い続けた。
5日目にして、エイドリアンは回復して峠を越えた。
その一方でリーナは力を使い果たし、その場に倒れた。
医師が直ぐ呼ばれ、リーナを診察した。
リーナは、疲労困憊と栄養不足、睡眠不足、過度の不衛生による体力の消耗によって昏睡し、目覚めたのは1か月後だった。
そして、リーナの魔力は失われていた。
歩くこともままならない状態だ。
神殿では魔力を失ったリーナの扱いに苦慮し、王家では孤児のリーナが兵士を治癒したことが兵士から家族、そして、友人へと広まって行き噂を止められずに対策を講じていた。
ウィンストン家では、エイドリアンを救ってくれたリーナに感謝しつつも王家の意向を尊重するしかなかった。
ウィンストン公爵は、体調が少し落ち着いたリーナの部屋へ赴き、これからの事を尋ねた。
「リーナ嬢 この度はエイドリアンの事を救ってくれてありがとう。感謝する」
「ウィンストン公爵閣下、この様な姿で申し訳ございません」
「あ、そのままで結構だ。まだ、本調子ではないから横になったままで構わない」
「いえ、少し起き上がろうと思っておりましたので」
「それじゃ、そこに掛けて」
とソファを勧められリーナは腰掛けた。
「リーナ嬢は将来何か希望はあるかな? 神殿に戻るのなら悪いようにはしないし、もし、望む事があれば話して欲しい」
リーナは考えてから言った
「私は新しい人生を歩みたいと考えております。ありふれた日常を過ごしたいのです。そして、静かに日々を送りたいのです」
「リーナ嬢、出来る限りの事をしよう」
ウィンストン公爵は神殿と王家へ説明し、最善策として、リーナはこの戦争で傷つき帰らぬ人となったとし、リーナの出自は不明なままに終わらせた。
神殿としても、魔力を失ったリーナを神殿に置くことを回避でき、王家もまた、出自を不明にしたままの方が、聖女は貴族令嬢がなると言う、慣習をそのままにでき、都合が良いと考えた。
リーナもそれを望んだ。
リーナは前ウィンストン公爵が狩猟に使うために作られ、湖の周りを林で囲まれた、今は使われて無い、別荘で静養を兼ねて静かに暮らすことになった。
1年が過ぎた。
短かった髪は肩よりも長くなり、元来の美しい銀髪となって、艶やかに光り輝いていた。
ブルーグレイの瞳の美しい女性となっていたが、体力は、元に戻らず段々と蝕まれていた。
そんな時に王都からエイドリアンが、婚約者のローズマリーと共にやって来た。
「リーナ嬢、その節は本当にありがとう。とても感謝している。君が出立した後に君のお蔭で助けられたことを知らされて、お礼を伝えに来たかったんだが、慌ただしく過ぎて今になってしまった。済まなかった」
「こちらは私の婚約者となったギース侯爵令嬢のローズマリーだ」
「お初にお目にかかります。リーナ様。 エイドリアンをお救いくださってありがとう存じます」
「初めまして。リーナと申します。ウィンストン公爵令息様が、お健やかでお二人がお幸せでしたら、私も幸せです」
「私の事はエイドリアンを言ってくれないか? リーナ嬢は命の恩人だから」
「今日はローズマリーが選んだ菓子を持ってきた。リーナ嬢が菓子が好きだと聞いたから」
「ありがとうございます」
「エイドリアン様はお小さい頃に神殿にお越しになったことは覚えていらっしゃいますか?」
「そう言えば、そんな事があったな」
「エイドリアン様はよくお菓子をくださったのです」
「はっきり覚えてないな」
エイドリアン様は生死の峠を越え、回復途中にあった頃、ローズマリー様が癒しの力で助けてくれた事が縁で婚約を結んだと話されました。
それから、暫く話した後にエイドリアン様達は帰られました。
エイドリアン様は私が魔力を失くした事は知らないのです。
それで良かったのです。
エイドリアンは『何か間違った選択をしたのでは?』と心に引っ掛かりを覚えたが、日々を過ごすうちに考えなくなっていった。
癒しの魔力を発現して、神殿に引き取られたときに、孤児の私は大神殿で蔑まれていた。
小さな神殿では孤児がたくさんいたが、大神殿には聖女見習いの貴族の令嬢が殆どで、小さい頃は下女の仕事を押し付けられていた。
その時に、エイドリアン様がかわいそうに思ったのか、大神殿にいらっしゃる度にお菓子をくれた。
幼い頃の、忘れられない幸せな思い出だ。
淡い初恋だった。
そして、今もその恋心は続いたままだ。
歳を重ねるうちに、聖女見習いも実力が無いままに神殿を去て行って私は、虐められることも、下女の仕事も無くなったが、神殿内で浮いた存在だった。
魔物との戦が終わりを告げる頃にウィンストン公爵家へ連れて行かれ、エイドリアン様が生死の境をさ迷っているのを見たときは息が出来ないと思った。
もうヘトヘトに疲れ切っていたけれど、全ての魔力を使って、エイドリアン様の命を救えたことは、幸せな事だった。
エイドリアン様が息を吹き返したときは、これ以上ない喜びだった。
ウィンストン公爵は、私にこのまま邸で治療するようにおっしゃったが、孤児であり、魔力を失った私が、エイドリアン様の近くにいるのは相応しくないと思って、ここに来た。
「貴方が貴族であったなら、、、」
ウィンストン公爵は邸を旅立つ私にそうおっしゃった、それは今も心に残っている。
エイドリアン様の幸せそうなお姿を見て、それで良かったんだと、、、
私がもしも、もしも貴族だったらと考えずにはいられなかった。
実際は詮無きことだと分かってる。
エイドリアンは、はっきり覚えていなかったが、神殿と戦場しか知らない私の大切な小さな幸せな思い出。
これからは楽しい思い出をたくさん作ろう。
色々な事を学ぼう。
そんな未来を想像できたら、どんなに良いだろう。
ウィンストン公爵閣下は体力が完全に戻るように手厚く援助してくださるけれど、私は知ってる
戦場へ行く前に神殿の書庫で見つけた、古い書物に書いてあった。
神官の日記だろう。
魔物が大発生するときに、癒しの魔法を使う聖女は、愛する人に、その力を使うと魔力が無くなると。
そして、その愛する人に、愛されたら、幸せになるけれど、そうでなければ死んでしまうと。
私はもう長くない。
最後にエイドリアン様に会えて良かった。
さようならエイドリアン様、さようなら私の恋。
リーネはその短い生涯を閉じた
その何十年後に、エイドリアンも旅立った。
エイドリアンはローズマリーと幸せな人生を送るが、歳をとる毎に、昔自分を助けてくれたリーネを思い出すことが多くなった。
『私の事を覚えているだろうか? もしも、あの時、リーネの手を取っていたら、、、 いや、そんな自分の都合の良い事ばかり考えても。天国で会えたら、また、お菓子をあげよう』
「お菓子を、、、」
それが、エイドリアンが横たわるベッドの上で腕を伸ばして言った最期の言葉だった。
だれにも看取られなかったが、エイドリアンは微笑んで幸せそうな顔だった。
end




