第七話 トラウマ
昼食を終え、休憩を挟んで次の仕事は司祭館の掃除だった。
埃一つ残さず窓を拭き、机を拭き、床を拭き……。ありえない量の拭き掃除を相手に頭がおかしくなりそうだった。この広さを一人で管理していたであろうプミナ先輩に頭が上がらない。
「ちゃ、ちゃんと……やってね……」
「いえっさー……」
プミナ先輩のアツい激励が背にかかる。通じていなそうな相槌を打ちながら、それに応えるべく一生懸命働いていると、外から誰かを呼ぶ子供の声がした。同時に、昨日の異形が脳裏に浮かぶ。あの時の恐怖がふつふつと湧き出す。外から聞こえるのは数人の少年の声だ。少年たちの声は明るく楽しそうで、あの時の声とは似ても似つかない。
それなのに、怖い。皮膚が爛れ腹を抉る、波のような恐怖に襲われる。怖い。血の気が引いてめまいがした。
「カイト……? どうしたの……?」
少女が訝しげにこちらを見ている。俺を見ている。俺をじっと隙間から……。
——いや、待て。何かがおかしい。眼の前にいるのはプミナだ。あの少女じゃない、落ち着け……よく考えろ。俺は今、取り乱しているんじゃないか?
「な、なんでも……大丈夫です」
いつの間にか早くなっていた呼吸を整えて、プミナへ向き直った。彼女はまだ怪訝に眉をひそめているが営業スマイルでどうにかごまかす。発狂は勘弁だが怪しまれるのだって充分にまずい。ただでさえ仕事のできない俺が、サボっているなんて思われてはすぐにクビを落とされてしまう。
真面目そうな感じを装いつつ仕事に戻る。プミナから教わったことを一つひとつ思い出しながら、それはもう丁寧に取り掛かった。朝に比べれば注意されることも減ってきて、それなりにやる気が出始めていたのだ。
とはいえ気になるものは気になるので、プミナが離れたところでこっそりと窓を覗く。どうやら教会の近くで村の子供が遊んでいたらしい。遊びの内容はよくわからないが、それはもう元気に駆け回っている。
よし、あれはただの子供だ。この目で見た。あの化物じゃない。怖いことはない……。
「遊びたいの?」
反射的に振り返る。プミナだ。プミナが、気配なく背後に立っていた。
「ま、まさか……あはは」
下手な愛想笑いで気まずさが延長される。どうしてこう何もかも上手くいかないのだろうと肩を落としていると、彼女が口を開いた。
「その……カイト、驚いたときに声を出さない……の」
「藪から棒ですね……。そうですか?」
「そう。それ、危ない……から、直して……ね」
そう言うと、プミナは掃き掃除を再開した。切り替えの早いひとだ。
しかしそうか、危ないか。だからどうしろと言うのだ。今の今まで気にかけたことすらなかったことを、今更どう直せば良いのか見当もつかない。反射神経でも鍛えてみようか。そんなことを考えながら、雑巾を思いっきりに絞った。
そうして掃除が終わった今、俺は女神像の前に立たされている。礼拝堂には村の人達もまばらにいて、長椅子に座り目を閉じている姿がちらほら見えた。
「祈るの、いっしょに」
「祈る?」
プミナは隣りに立ってお手本とでも言うように目を閉じる。薄暗い室内には光が降り注いでいた。
所作とかはないのかな。うーん、なさそうだ。
とりあえず、プミナを真似て目を閉じる。女神ルミナスは光の女神らしい。道に迷った人間に安らぎを与える慈愛の光……だとかなんとか。女神像は赤子を抱く仕草をしていて、確かに慈愛に満ち溢れていそうな雰囲気だった。
引きこもっている間、神は恨みの対象だった。自分の不幸のすべてを神の仕組んだものだということにして、責任転嫁していたのだ。悪いのはいつだって俺だったのに。
なぜか祈りの体勢を取る前よりも沈んだ気分で目を開ける。そこには目を閉じる前と同様、光に照らされた女神像が佇んでいた。
「休憩、だよ。えっと……好きなことしてて、ね」
そう言ってどこかへ歩いていくプミナの背中を目で追いながら、礼拝堂の長椅子に腰をかけた。案外居心地が良い。もちろん椅子自体ではなく、空間そのものにセラピー効果があるような気がする。
それでも、静かなだけで嫌なことばかり考えてしまう。今日一日のミスがフラッシュバックする。あれが限界なのだと知っていながら、もっと上手くできたと思ってしまう。自分を過大評価しているのか、失敗すると必要以上に引きずってしまう。
急降下するテンションに苛まれていると、隣に人が座った。
外で遊んでいた少年集団の一人だ。帽子の下から伸びた青髪を後ろでひとつ結びにしている。
「お兄さん、新しい人? はじめまして!」
百点満点の声量と笑顔の挨拶。咄嗟に返せず黙っていると、少年は一層明るい声で続けた。
「おれグラシウス! 好きに呼んでよ」
「あ、ああ……はじめまして」
「お兄さんの名前は?」
「……海斗です」
「カイト? カイトくんって呼んでいい?」
ぐいぐいくる子だな、と思いつつ邪険に扱うこともできない。投げやりに頷くと、グラシウスと名乗った少年は嬉しそうに笑い、声を潜めて聞いてくる。
「カイトくんってさ、おれと同じだよね」
どう言う意味だろうか……。彼との共通点など細かいところで考えれば沢山あるだろうし、大雑把に考えればどこにもないように思う。
不明瞭な質問への返答に悩み答えあぐねていると、少年はハッとしたように言った。
「言いづらかった? でも大丈夫。おれも同じだから!」
ますます意味が分からない。今わかるのは、この子がちょっとした電波少年かもしれないと言うことくらいだ。少年は続ける。
「あのさ、今時間あるんだったらさ、一緒に遊ぼうよ」
そう言われ、日の位置を確認する。すでに傾き始めているが、夕餉の準備まではまだ時間がありそうだった。
「なにして遊ぶんですか?」
断っても良かったが、無邪気さにやられてしまった。グラシウスは勢いよく立ち上がると、弱く俺の手を引く。
「村、案内したげる!」
★☆★☆★☆★
そうして少年と手を繋いで、主観たっぷりの説明を聞きながら歩いて回った。度々すれ違った人に声をかけられる。もちろん面識のない俺ではなく、グラシウスの知り合いだ。どうやら彼は知り合いが多いらしかった。
「お母さんが人気者なんだよ」
せかせか歩きながら言った。恥ずかしくも誇らしくもあるような複雑な面持ちだ。
「お母さん、人と仲良くなるのすっげー上手くてさ。父ちゃんは世渡り上手って言ってた」
「良いお母さんですね」
「……うん」
会話が途切れる。なにか気の利いたことでも言えればいいが、残念なことに俺の対人能力は最低だった。
これがゲームだったら、選択肢から選ぶだけで良かったのにな。
気を悪くしていないかそわそわしていると、いつの間に教会の前に戻ってきていた。空は赤くなり始めている。
「あ、もう帰らなきゃ」
空を見上げて呟いた。大きな動きで振り返る。
「カイトくん、あのさ! 明日も遊ぼう!」
「はい、また明日」
グラシウスは手を振って、遠くへ走っていった。ほんとうに元気な子だ。言動の節々から村人と仲のいい理由がうかがえる。
「お夕食の準備、しよう……」
反射的に振り返る。……プミナだ。二度目にして驚いてしまった。彼女はどうしてこうも存在感が薄いのだろうか。
「お友達できて、よかった……ね」
揶揄われているのか、幼い子を相手にするような言葉選びだった。
「その言い方は何か、釈然としないです」
「わはは……」
プミナは覇気のない笑い声をあげながら司祭館へ歩き出した。




