第六話 アットホーム
まだ鳥の鳴く昼前。開け放たれた門をくぐり教会へ入る。出迎えたのはリリスではなく、彼女よりも小さく幼い女の子だった。飾りの少ない黒の装いに、ウェーブがかった純白の髪が腰辺りで靡いている。服の胸元にはよれた花のようなシンボルが入っていた。
そういえば、リリスの服にも同じ模様が入っていたような気がする。この教会のシンボルなのだろうか。
礼拝堂の清掃中らしく、身体に対して大きな箒を担ぎ床を掃いていた。俺が来たことには気づいていないようだ。ここが異世界という事を前提に考えると、実年齢は想像の倍以上だとかいう可能性もある。
諸々の大先輩であることを想定して、失礼のないよう声をかけた。
「あの、すみません——」
「んひゃあっ!」
少女は大きな声を出して飛び跳ね振り返る。紫の瞳には涙を浮かべていた。
集中してたにしたってここまで驚くものだろうか。こちらを見て震える彼女の姿に、なぜかすごく悪い事をしたような居心地の悪さを覚えた。
「か、カイトさま……だよね。その……聖女さまを呼んでくるの。だから、ちょこっとだけ……じいっとしてて」
舌っ足らずな口調で、こちらの様子を伺いながら別室へと走って行く。そうしてすぐにリリスと……見知らぬ背の高い男を連れて戻って来た。
「カイトさん、考えて来てくださったのですね」
「そう、なんですが……」
ちらと初対面二人の方へ顔を向ける。少女の方はおどおどとしながらリリスの後ろに立ち、前に持って来た指先を忙しなく動かしていた。
その少女の隣に立つ男は……格好からして司祭だろうか。灰色の髪に黒の瞳で、髭の似合う渋い歳の取り方をしている。
「彼はサケルトゥス・ルクニクスで、彼女はプミナ。司祭とその侍者です」
紹介された男は上品に礼をした。
「よろしくお願いします、カイト君」
少女もそれに倣い小さな声で「おねがいします」と言う。
「なるほど……」
つまり、彼らは俺の上司にあたる存在なわけだ。それが意味を為したかはともかくとして、失礼ないように行動しておいてよかった。
俺は高校生活の大半を自室で過ごし、それゆえに労働経験ゼロの元引きこもりだ。対人能力も皆無だという事に自覚を持って粗相をしないよう気を張っておかなければならない。
そう、結論から言うと俺は、この村に残り教会で働く事を選んだ。アクタルクス達にも別れを告げたばかりだ。
遡ること数時間前。彼と語り合った翌日の早朝のことだ。
★☆★☆★☆★
もしかしたら眠ることで夢から覚めて元の世界へ戻ったり……とも考えていたのだが、当たり前のように泊まった宿で目が覚めた。普段よりも質の悪いベッドだというのに、寝覚めはいつもよりも良かった。そりゃあ碌に動かない生活を送っていた中、急に運動量が増えたから当然のことかもしれない。朝に寝て夕方に起きる生活がどれほど健康に悪影響を及ぼしているのか身を持って体感した。
「それじゃあ、ここに残るんだな?」
「はい。その……色々とありがとうございました」
「またねっ、カイトさん!」
「うん、また」
ペクティアは手を取り、しばらく握ってから名残惜しそうに離した。一生分の別れのように受け止めているらしい。
「まあ、数ヶ月経ったらまたここを通るさ。またすぐ会うだろうよ」
アクタルクスの言葉にペクティアはゆっくりと頷く。そして、素直に荷馬車へ乗り込んだ。
「んじゃ、元気でな!」
「教会でもがんばってくださいねっ!」
彼らの声が遠ざかる。
追いかけたいような心細い気持ちを押し込んで、教会へ向かった。
★☆★☆★☆★
——というわけで、今に至る。
「それでは、制服を支給させていただきますね」
リリスが取り出したのは、シンプルな長袖の黒シャツと黒ズボンだ。胸元にはあのシンボルが入っている。
デザインは怪しい宗教団体じみているが、部屋着から解放されるならそれにこしたことはない。現地人にはわからないとはいえ、部屋着で外出するのはなんとも心許なかった。
「では、あとはプミナの指示に従ってください。それでは」
そう言うとリリスは礼拝堂から出ていった。
「私は礼拝堂にいるので、何かあればいつでもお声がけくださいね」
初めての仕事は司祭館の畑と中庭の手入れだった。華奢な手で大鎌を構えるプミナは、見た目は危なっかしいがさすがの技量で、一瞬で雑草が整えられた。
対して俺は技術も体力も足りず、開始数分でバテていた。情けない気持ちになりながら多めに休憩を取らせてもらう。それでもなんとか昼食の準備時間には間に合わせることができた。
「えっと、でも、もうちょっと丁寧にやるの、いいかも……」
プミナからかなり刺さる言葉をもらう。外見と態度からは想像できないが、彼女は結構厳しいタイプだ。それか、俺が底なしに使えない人間なのかもしれない。
メンタルをやられつつ、その後も昼食の準備を教わる。教会のすぐ後ろに建てられた司祭館には、複数人での生活を想定された寝室と、食堂に隣接する台所があった。寝室は全部で三部屋で、司祭室に聖女の部屋、それから侍者の詰所だ。
あまりややこしい間取りではないので部屋の配置はすぐに覚えられそうだ。しかし、問題は食材である。元いた世界と似たような見た目で味が全く違っていたり、似たような名前で全く違う食材だということが頻繁になった。間違えないようにするだけでひどく気を使う。こればっかりは慣れか……。
「よく、がんばりました……」
配膳を終えると、プミナ先輩から初めてのお褒めの言葉をいただけた。
俺はこの一言のために働いていたのかもしれない。そう思うほどに、その言葉が身にしみた。
「それじゃあ、お昼ご飯にするの。だからね……その、聖女さまを呼んできて」
「リリスさん?」
聖女って一般人と同じ食卓で食べていいんだ……。てっきり隔離されてるものかと思っていた。
「うん……多分、今は礼拝堂にいるから。わたしはルックを呼んでくるの」
どうやらルックというのはサケルトゥスの愛称らしい。彼らは親しげな雰囲気を出しているが、いつから一緒に暮らしているんだろうか。プミナの実年齢もわからないし、知らない事尽くしだ。
別に俺のコミュニケーション能力が足りなかったのではなく、根掘り葉掘りなんでも聞くものではないからだ。
時間はこれからたくさんあるだろうし、そのうち昔話なんかを聞けたらいいなと思った。
「わかりました、呼んできます」
聞いた限り、リリスはほとんどを礼拝堂で過ごしているそうだ。用があるなら礼拝堂へ行けば確実なのだとか。日本での俺と似たような生活を送っているなと思ったが不敬にあたるかもしれない。聖女様は昼夜逆転もしていなければ働いているのだ……。
思い返せば思い返すほどに自分の愚かさを自覚してしまう。というか、ここに来てからずっと我が身を振り返っているような気がする。だめだ、考えているとナイーブになる……。いつあの衝動性が現れるかもわからない。できる限り思考停止しておこう。
そんなくだらない思考を巡らせながら礼拝堂へ入るとすぐにその後姿を見つけた。リリスが女神像へ祈りを捧げている。月明かりも似合ったが、日光に照らされている姿はより神聖さを醸し出していた。
そういえば、俺はこのままリリスさんと呼んでも良いのだろうか。プミナ先輩ですら聖女様と呼んでいるこの方を、下男風情がリリスさんと……。
「リリスさ……ま。昼食の準備ができましたよ」
「はい。ありがとうございます」
考えに考えた呼び方には触れられず、リリスは祈りの姿勢から直り振り返った。彼女の金の瞳に捉えられるとなぜか背筋を正してしまい、そんな見栄すらも見透かされているような気分になる。
「もう少ししたら向かいますので、お先に席へどうぞ」
「……はい」
リリスの言う通りに食堂へ向かう。司祭達はすでに席についていて、俺もプミナに指示された席についた。
食卓にはさっき用意した料理が並んでいる。宿で出てきたものよりも豪華な食材と調理法だった。司祭館だって、村の中の領主邸を除いたどの家よりも広く豪奢だ。これが村人の一部からこの教会が疎まれている理由な気がする。司祭と侍者が同時に口を開いた。
「女神の恵みに感謝いたします」
「め、女神の恵みに感謝いたします……」
見様見真似で言ってみたが、いただきますみたいなものだろうか。アクタルクスたちも似たようなことを言っていた。現代の価値観で考えるとちょっと恥ずかしい。
食事は基本黙食らしく、静まり返った室内に食器の音だけが響いていた。静かすぎて緊張する。食べ物の味がしない。いや、豪華な食事なんてこんなものだろうか。
今の今までテーブルマナーが必要な料理を食べたことがないので全くわからない。現に、 マナーがぐちゃぐちゃな俺を見て、隣に座るプミナがオロオロとしている。
「えっと……テーブルマナーも、お勉強しよ……ね」
こそっと耳元で囁かれ、涙が出そうになった。やはり俺の心は脆弱を極めている……。
食べ始めてからしばらく経った頃。礼拝堂から帰ってきたらリリスが席についた。なんと言えばいいのか迷うが、そうだな……お誕生日席だ。
食前の祈りを捧げると、黙々と食べ始める。サケルトゥスの所作も丁寧だったが、素人目に見てもリリスの所作は一段美しく見えた。
何が違うんだろう。存在感?
リリスからは人間味を感じないのだ。
「あっ」
見つめていたのがバレた。目が合う。謝罪の言葉を考えていると、ニコッと微笑まれた。
リリスは何事もなかったかのように食事を続ける。
……とにかく、まだ上手くできないことばかりで覚えなければならないことも大量にある。だが、昨日までは行き場すらなかった俺だ。ここでやっていけなきゃ、俺の居場所などどこにもない。
居心地の悪さを噛み締め、午後の仕事へ思いを馳せた。




