第四話 宗教勧誘
破れた布だけを残して再生された腹部を見る。傷跡すら残らず、普段から陽の当たらない場所にいた事が伺える白っぽい肌だけが晒されていた。服に付着した血液もそのままだ。
なんだこれ……何が起きているんだ?
腹を擦るが、当然のごとく穴はない。平らなだけの腹がそこにあった。死を回避したことへの安堵と、異常現象への薄気味悪さ。
この状況に混乱しているのは俺だけでない。背後から覗き込んだリリスも呆気にとられていた。彼女の反応を見るに、この現象はこの世界でもそれなりに異常なことなのだろう。
今一番焦燥に駆られているのはペクティアだ。
「もう……許さないですからっ!」
俺が大怪我を負ったと思っているらしい彼女は、怒りに任せて短剣を一直線に突き刺さした。会心の一撃と言って良いだろう。
異形は不快な叫び声をあげてのたうちまわり、ついには爆散した。
「カイトさんは……!」
一目散に駆け寄ってきたペクティアは、すでに塞ぎ切った腹部を見て立ち止まる。何を叫ばれるかわからない状況で不安が過ぎる。
しかしそんな不安とは裏腹に、ペクティアの反応は落ち着いたものだった。
「……! か、カイトさんってお強いんですね……!」
否、動揺を一周も二周も超えた結果なのかもしれない。予想の斜め上のコメントに気が抜ける。
それが素なのか気を使い損ねたのか微妙に判断に難しい。
——寒い。
地面に散った赤色を見る。怪我が治ったのはいいが、血の足りない感覚だけは残っていた。グラグラと揺れる感覚がして、俺はそのまま地面に伏した。
★☆★☆★☆★
薄暗い室内には長椅子が並べられ、それに向かい合うように女神像が置かれていた。アーチ状の小窓から光が落ち、空間に厳かな雰囲気を生み出している。
そんな神聖な空間で俺はなぜか、ほとんど初対面の女の子に服をたくし上げられていた。心の中の乙女が喚いている。
「怪我……ありませんね。貧血も一時的なものでしょう」
治療に慣れているらしいリリスからは動揺の欠片も感じない。手つきこそプロそのもので安心感があった。
実を言うと少しだけ「治癒」などと言って傷口がメリメリ回復していく様を見てみたかったのだが、自然治癒が可能となると今後見られる機会は少ないだろう。それがちょっと残念かな。
でもまあ、しかし……いつ死ぬかわからない状態よりマシだ。だいぶ異世界のハードルが下がった。異端者として捕えられる可能性は大幅に上がったので、一長一短といえばそうかもしれない。
幸いにも今回は群衆から見えていなかったようで、機転を利かせたリリスに怪我人として運んでもらったのだ。今後は人に見られないよう気をつけていかなければならない。
「あのっ……親族に魔族の方はいますか?」
ペクティアはもじもじと指を動かしながら聞いた。その眼差しには期待が含まれている気がする。
もちろん、そんなものは居ないので首だけで否定した。
「魔族は傷の治りが早いんですか?」
「ええ、ここまで早い方は中々見ませんが……あなたには魔族の特徴がないので、そちらの線は薄いでしょうね」
リリスの説明によると、魔族には固有の特徴として角や尻尾、獣耳なんかが生えているらしい。いわゆる獣人は魔族の類に入るのだとか。この村では見かけなかったが、魔族は魔族で群れてるのかな。
この流れで魔法の扱いについても聞きたいが、ペクティアの反応を見た後だとどう聞けばいいのか悩む。また地雷を踏むようなことがあれば対人関係のトラウマが増えてしまうかもしれないし。
「不躾な質問で恐縮ですが……カイトさんはどちらからいらっしゃったんですか?」
常識のなさに対する皮肉かと思って一瞬肝が冷えたが、純粋に聞いているだけみたいだ。ふむ、なんと答えようか……。
アクタルクスの時みたいに実在する地名が上がると後々面倒だろう。もういっそのこと記憶喪失という事にしておこうか。
「ええっと、それがわからなくて……」
要領の得ない返答にもリリスは驚きもせず頷いた。農民と話していたときにも思ったが、ちょっとやそっとじゃ感情を出さない辺りよくできた人だなと思う。ロボットのようだとも言える。
ただ、ペクティアと話しているときは少しだけ明るく見える……かも。いや、まだわからないな。
「今はペクティアちゃんたちと行商を?」
「いえ。今日森にいたところを拾ってもらったんです」
「……そうですか」
教会に静けさが戻る。ペクティアが退屈そうに足を揺らしていた。そういえば、もうすっかり日が傾いて、空が暗く染まりきっている。アクタルクスはどこへ行ったんだろうか。
出身もわからず行くあてもなく身よりもない。その事実が露呈したところで、彼女は思案するように俯き、しばらくしてから顔を上げた。
「カイトさんって、お掃除やお洗濯はできますか?」
脈絡のない問いに自信のないまま頷く。曖昧なそれが頷き捉えられたのかはわからなかった。
「でしたら……教会で働きませんか?」
「えっ」
「もちろん聖職ではなく一般の信徒としてです」
思わぬ誘いだった。が、これはすごく好条件なのではないだろうか。
今の俺のステータスは控えめに言ってゴミだ。筋力もなければ頭も人並み以下。身分もない人間を誰が信用し雇うのだろうか。それが、彼女の誘いに乗れば路頭に迷わなくて済むのだ。
「カイトさん、ここで働くんですか?」
そう聞かれると返答に渋ってしまう。即決しても良かったが、なによりも怪しすぎる。こんな身元不詳の人間を雇ったところで教会側にはなんのメリットもないはずだ。
裏があったとしてそれがどんな物なのか想像もつかないが、だからこそ不安が拭えない。
もしかしたら異常な回復力を何かの実験に使われてしまうかもしれないし、世間知らずな所を利用して低賃金で重労働をさせられるかもしれない。
一度は捨てた命だ。それでも今はまだ、生きていたい……ような、そんな気がする。せっかく過去の行いも全て消えて、最初から清い人生を始められそうなのだ。だからこそ、俺は慎重に動かなければならない。
「ちょっとだけ、考えさせてください」
俺はそれだけ言って、ペクティアと共に教会を後にした。
★☆★☆★☆★
夜の村は静かで、人の気配がほとんどしなかった。街灯もない中、わざわざ出歩く人間はいないのだろう。リリスからもらった靴で地面を踏んだ。
足を痛めずに歩けることが、今はなによりも嬉しい。
「お父様は宿で休んでるはずです! すぐそこですよ!」
ペクティアはまだまだ元気いっぱいな様子で言った。青い瞳には星が瞬いている。
「月明かりだけでも結構見渡せるんだな……」
頭上に広がる星星を見てどこかさみしい気持ちになった。この星の一つ一つも元の世界とは違うものなのだろうか。あいにく教養のない俺には、この空とあの空の違いがわからなかった。
先導する少女は鼻歌を歌いながら楽しげに歩いていた。不思議なことに、聞き馴染みのあるメロディーだ。
「それは……なんの歌?」
ペクティアはローブの裾を翻してくるっと振り返った。妖精みたいだ。
「子守唄です! 名前は分かりませんが、お母様がよく歌ってたんです」
それは確かに日本で聞いた事のある子守唄だった。全国的に有名だった記憶がある。何故それを、この世界で生まれ育った彼女が知っているのだろうか。
新たな可能性が生まれる。もしかすると、この世界には他の転生者がいるんじゃないか?
だからといってどうと言う訳ではない。前の世界など、今の俺には関係のない事だ。考えたくもない。
思考を巡らせるながら歩き続けていると、他より大きめな家の前に荷馬車が止まっているのが見える。
「あそこが宿です! 家主さんがすごく優しいんですよ!」
ペクティアは無邪気に笑った。村人達との仲が悪い訳ではないようだ。あの男がイレギュラーだったのだろう。
明るいペクティアに少し安心して、その背中を追った。




