第三話 人間失格
唸るような声色に心臓が大きく跳ねる。振り返れば道の真ん中に農具を肩に担いだ中年の男が立っていて、睨みつけているのかただそういう顔の作りなのか曖昧な表情をしていた。
そんな態度で声をかけられる理由も、ペクティアが過剰なまでに怯えている理由も俺には分からず、ただ相手の出方を伺うしかなかった。
人相の悪い男が痺れを切らしたように言った。
「てめえ、てめえだよ」
言葉には明らかな敵意が乗っている。
武器を持った男を前に思考を巡らせた。背中を向けて走り出すのは得策ではない。もしこのまま農具で殴りかかられたとして、ただの引きこもりの俺には反撃の余地すらなく、容易く致命傷を負わされてしまうだろう。
ペクティアの様子を見る。
ついさっきまで手を引いて先導していた少女は、いつの間にか俺の影に隠れていた。華奢に見える彼女は想像よりも力が強く、爪を立ててまで掴まれた腕がひどく痛んでいる。
怯えた様子のペクティアを見ていると振り払う気にもなれず、無意識のうちに彼女を隠すように前へ出ていた。
「気味悪いもんつれてきやがって。なあ? とっとと森にでも帰れよ」
しかし俺のことは眼中にもないのか、男の視線はペクティアへ向けられている。それはまるで悪魔を見るかのような目つきで、あえて言葉にするなら狂気の沙汰という奴だ。気味が悪いって言うのは何のことだ?
彼女がこの農民と何かトラブルがあったことは確かだが、いかんせん情報が少ない。
何かを言おうとしたところで、枯れた喉からは情けない母音が吐き出されるばかりだった。敵意が剥き出しの男と対峙するには俺の心は脆弱すぎる。
そんな中、一際強いそよ風が吹いて空気が一変した。
「どうかされましたか?」
背後からゆったりとした足取りで現れたのは、白いベールを被った少女だ。ベールの下では赤色の癖毛が揺れ、さらにその下では冷たくも燃えるような金の瞳が真っ直ぐとこちらを見据えている。
その瞳は値踏みをしているようで、彼女は一瞬何かを言いかけては口を閉じた。
ただ美しいというには少なく、言葉に表すことさえも蛇足に思えるほどの荘厳な立ち姿だ。
「リリスさん」
その呟きを拾ったのかペクティアを一瞥し、今度は農夫に向かい直った。
「ああ、聖女様こそどうされたんです? 滅多に教会から出てこられないのに」
表情を変えた男は腹立たしい猫撫で声を出している。口調は皮肉じみていて清々しいほどにわざとらしい。聖女様と呼びながら彼女のことも見下しているのだろう。
対して聖女はというと、佇まいを崩さず精巧な笑みを湛えている。
「友人の声が聞こえたので、ご挨拶に伺いに来たのです。よろしければ、状況を教えていただけますか?」
「ああ、なんでもないですよ聖女様。俺はもう作業に戻るんでね」
そう言う顔はまだ不機嫌そうだ。
「教会風情がでかい顔しやがって……」
ぼそっと小さく言うと、振り返らずに畑の方へ歩いて行った。
この世界でも教会は権力を有しているのだろう。おおかた、ペクティアに噛み付いたのも教会の関係者だとかそんなところが所以だろうか。
その姿を見届けた彼女はこちらへ視線を戻して、今度はずいぶんと柔らかく笑った。
「ペクティアちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです! リリスさん」
ペクティアは俺の腕からパッと指を離して、聖女の方へ駆け寄った。ここに来るまでと同じ明るい表情で、内心ほっとする。
「顔色が悪いわね……大丈夫?」
聖女はペクティアの頬を指先で撫で顔を近づける。
「うんっ、大丈夫です! リリスさんと会えたので!」
完全に二人だけの世界だ。入り込む隙がなくてどうしようもない。
「そちらの方も、良くぞお越しくださいました。ペクティアちゃんのご友人でしょうか?」
それを見かねたのか、聖女……リリスと呼ばれた少女は丁寧に尋ねた。しかし、どこか敵意とはまた違う壁を感じる。警戒心の強い性格なのだろうか。であれば、俺と同族なのでやりやすいかもしれない。
「えっと」
「そうです! お友達っ!」
俺が返答を考えている間に、ペクティアは元気に即答した。友達という言葉に、どこかこそばゆい気持ちになる。はっきりと友達だと言われたのは小学生以来だろうか。
今日会ったばかりの人間——しかも身元不詳の不審な男——をそう言って扱える彼女の強かさに驚きもある。
「リリスと申します。よろしくお願いします」
「あっ、海斗です……」
平々凡々な家庭で育った俺が礼儀作法なんて知っているはずもなく、申し訳程度に首を下げてから、西洋にお辞儀の文化が無いであろうことに気がついた。そもそも東西以前にここは異世界だ。果たして通じるのか……?
——などと考えていると、リリスの表情がこわばっていることに気づく。
直後、子供の叫び声が聞こえた。正確な場所はわからないがきっとすぐ近くだ。
「お二人はこちらでお待ち下さい」
「ペクティアも行きます!」
すぐに歩き出したリリスと、その背中を走って追いかけるペクティア。対して俺は、数秒考えてからようやく歩き出した。
さっきのようなトラブルが起きるかもしれない中、小心者の俺に一人で待つ勇気なんて出るわけがなかった。
★☆★☆★☆★
村に巡らされた道の上。小さな人だかりの中心を見る。黒い塊が土埃を立てながら蠢いていた。
「あれは……」
森で見たものと同じものだ。それも、あの時見たものよりも数倍は大きく、大人一人分ほどのサイズだった。
「あれは悪魔です。この辺りは魔力が薄いので普段はあまり出ないのですが……」
俺の想像する悪魔とは程遠い見た目をしているが……漫画やゲームで言うところの魔物の類だろうか。
どちらかというと冒涜的な印象を受ける。精神にも影響を与えそうな有害さだ。もしコレが愛らしい外見だったとして、攻撃しづらくなるだけなのは想像に容易いが。
「とにかく、倒さなきゃです!」
ペクティアは懐から短剣を取り出し慣れた手つきで構えた。魔法は使わないのか、と思ったところで数分前のことを思い出す。
俺が魔法という単語を出した時、彼女は大げさにも思えるくらいに肩を揺らしていた。その反応からはなにか、後ろめたさのようなものを感じる。
例えば……魔法が使える人間が搾取されているとか、魔女狩りが行われているとか、様々な可能性がある。
色々あって有耶無耶になっていたが、この世界での魔法の扱いも後で聞いておかなければならないだろう。
「主の光のもとに、かのものをお救いください」
それらしい詠唱の直後、ペクティアの持つ短剣があわく発光しはじめた。その輝きは神聖な雰囲気を纏っている。
そういえばペクティアが言っていたな……あれが祈りの力か?
「せいっ!」
彼女は蠢く塊に飛びかかると事もなげに叩き斬る。本体部分は素早く這うように躱されたが、蔦を数本断ち落とした。
切り離された蔦は動きを止め、断面から流れる液体で土を青紫に染めていた。
いよいよ地球外生命体だな……。
「あちゃあ……やりきれませんでした」
肩を落とし下がるペクティア。隙をつく知略はあるのか、蔦の一本がリリスの方へ素早く伸びる。急には声を出せず、足の方が先に動いていた。
「カイトさんっ!!」
蔦が腹部に突き刺さる。貫通はしなかったものの肉が裂かれるような感覚がして、それがすぐに痛みへと変わった。腹が熱い。
蔦は意志を持って引き抜かれ、そこから血が大量に流れた。刺されたという事実だけで目眩がした。俺はもう一度死ぬ。死んでしまうのだ。
やめておけばいいのに傷口に目をやった。
覚悟を嘲笑うかのように傷が塞がり始めていた。細胞が生まれ変わるごとに、じわじわと痛みが引いていく。
「すぐに治療を……」
そう言って背後から駆け寄ったリリスにもその珍光景が見えてしまったようで、口に手を当てて呆然としていた。
おかしいとは思っていた。いたが、いたからこそ俺は、その事実から目を逸らしていた。
しかし、こうやって目の前に出されて仕舞えば否定のしようがなくなってしまう。
俺はいつの間にか人間を辞めてしまっていた。




