第二話 (暫定)異世界に来てしまった
「ここって……どこ、ですか」
沈黙が生まれた。気まずさから再び地面に目を向ける。俺は昔からこの時間が苦手だった。アクタルクスは顔に出やすいタイプらしい。驚きと憐れみの混ざった表情で重たげに口を開いた。
「ここは……魔渇の森だ」
「マカツ?」
「他の土地に比べて魔力が少ないからそう呼ばれてるんだよ」
魔力!
そこで可能性が確信に変わる。聞いたことのない地名と魔力という単語が裏付けたのだ。分かりきってはいたが、ここは明らかに日本じゃない。ましてや地球上のどこでもないだろう。
そう、ここは。この世界は……。
「——異世界」
そう考えるのが自然だった。彼女たちの格好だって公共の場では許されないようなコスプレじみた服装と髪色だ。時代設定は中世かそれ以前。つまるところ異世界転移…………いや、記憶が正しければ俺は一度確実に死んでいるので、先人に倣って転生とでも言うべきかもしれない。
それにしてもこれまたしょっぱい性能で転生させられたものだ。神もいなけりゃチュートリアルだってない。
今どき無能力での転生だって珍しくはないが、それは冴えた頭脳や逞しい精神力があるから成立することだ。生きやすいであろう現代日本ですら挫折してしまった俺が初期装備でこんな大自然に放置されては、野生動物の餌食となってしまうまで秒読みだろう。
そもそもなぜ俺はこの暫定異世界へ来てしまったのだろうか?
「言える範囲で良い。アンタ、どこから来たんだ?」
顔色の変化を察したのか真剣な眼差しで問われた。さっきから薄々感づいてはいたが、彼は見た目に似合わずかなりのお人好しなようだ。
しかし、どこまで口に出していいものか……。
家から出なくなったばかりの時間と体力が有り余っていた時、こういう作品をいくらか見た事がある。
あれらは前提としてフィクションに過ぎないが、現状においては最も役立つ知識のはずだ。思い返せば前世について話すことで不都合を生む展開も少なくなかった。口外することでどんなデメリットが発生するかわからない今は、とにかく慎重に見極めなくてはならない。
単に異常者として衛兵にでも引き渡されてしまうかもしれないし、迂闊なことはできないのだ。
「あー……ここよりずっと東の方から?」
長い間を持たせた割にえらくふわっとした回答になってしまった。案の定アクタルクスは納得のいっていない様子で唸る。
「東ってことはアエディシアの辺りか……」
全く聞き馴染みのない地名だったが、ややこしくなるので否定も肯定もしないでおくことにした。
とはいえ実在する国か町かの名前をあげると……それはそれで後が大変かもしれない。まあ、その辺りは未来の自分がどうにかしてくれるだろう。未来の自分にどれだけ恨まれようが、敵は自分自身なので怖くない。
「アエディシアならペクティアたちも行ったことがありますねっ!」
「そうなの?」
「はいっ! ペクティアとお父様は行商をしているので、いろんなところに行ったことがあるんですよ!」
彼女は平らな胸を張りながら自信満々に言って見せた。
一方で、彼女の父親は考えるような仕草をして言った。
「アンタ見た所、身銭も何もねえだろ。これからどうするんだ?」
「……そう、ですね」
どうすると聞かれても、答えはどうしようもないという事だけ。なんせ彼の言うとおり、俺は身銭も靴もなく世間だって知らない。本当の崖っぷちだ。
「あのねっ、ペクティアにいい考えがあります!」
彼女はそう言って俺の手を取ると群青色の瞳を瞬かせた。その真っ直ぐな視線に、思わず目を逸らす。
「ペクティア」
それまで口を挟まずにいたアクタルクスは、咎めるようにペクティアへ目配せをした。
それでも彼女はお構いなしに手を握り続ける。
「ペクティアたちといっしょに行けばいいんですよっ! 村にさえ行けば、大抵のことはどうにかなるんです!」
ペクアトルシアは言動こそ幼いが、体格から察するに……大体同年代だろうか。それも、外見だけで言えばかなり可愛らしい部類の少女だと思う。そんな歳の近い女の子が、俺の手を握っている。
ちょっと前まで家族との会話すら避けていた俺には刺激が強く、手が触れ合う感覚にひどい緊張と吐き気を覚えた。話にも集中できず首を横に振るので精一杯だった。
「……そこまで、迷惑はかけられません」
「迷惑なんてっ……むぐぐ!」
お喋りが止まらない様子の少女を、アクタルクスが片手で捕獲した。ペクアトルシアはすっかり両手を離し全力で抵抗している。だが、それも虚しく筋肉質な腕から彼女が逃れられることはなかった。
「落ち着けペクティア! 悪い、驚かせたろ……」
彼は申し訳なさそうに目を伏せた。腕の中ではまだペクアトルシアがもがいている。
「い、いえ」
「ただ、まあ……アンタのことが心配なのは俺も同じだ。良かったら、町までの案内くらいはさせてくれ」
ここもまだ安全とは言い切れねえからな、と小さな声で付け加える。半ば脅迫のような声色だった。
俺が能天気なだけという可能性だって捨て切れないが、彼らの言葉から打算は感じられない。おそらく二人とも、弱ったものを見捨てられない性質なのだろう。
現状の全てが善意によるものだったら、それはそれで怖い事だ。
「すぐそこに荷車置いてっから」
「行きましょう、カイトさん!」
そう言って歩き出されると、いよいよ断る気力がなくなってしまう。彼らのことを完全に拒絶することもできず、どこか浮ついた気持ちでついていった。
★☆★☆★☆★
荷車に揺られ一息を吐く。乗り心地は良いとは言えないが、裸足で歩き続けるよりずっと快適だった。
この荷馬車が向かう先はイェリコという村なのだそうだ。歩けば遠いが馬ならすぐの距離だとか。
荷車の中にはたくさんの木箱が積まれていた。それも全て売り物らしく、ペクアトルシアの隣で肩を縮めていることしかできない。
「イェリコには教会もあって、優しい聖女さんがいるんですよ」
「聖女?」
「はい! 祈りの力が使えるんです」
あからさまにファンタジックな情報が出てきたが、さっきの化物や光を見た直後だとインパクトは薄い。彼女の口ぶりから推測するに、聖女はこの世界だと一般的な職業なのだろうか? いまいち世界観が把握しきれないが今は彼女の話を聞いて覚えるしかないだろう。世間知らずな浮浪者よりも知識人な浮浪者のほうが幾分もマシだ。
そこで自分がこの世界に適応しようとしていることに気づいた。
いや、まあ……あんな環境に未練なんてないが「そんなに簡単に捨てられるものだったのか」と若干の失望を抱く。興味のない本を読み漁るだけの人生だったので当然のことだろう。
脳内で繰り返される自虐は誰にも気づかれることなく、荷馬車に揺らされる中で彼女の話は途切れることなく続いた。
★☆★☆★☆★
「ほら、ついたぜ。ここがイェリコだ」
空が橙に染まる頃。簡素な作りの家々がそれなりの数並んでいた。その村から少し間隔をあけて、話に聞いていたものであろう教会が建っている。さらに離れた場所には立派な屋敷が建っているが、あれはおそらく領主の邸宅だろう。
日本では珍しいデザインの建造物達を前に、ほんのちょっとだけワクワクしていた。テーマパークや観光地に来た気分だ。
「お父様! ペクティアはカイトさんと教会へ行ってきますね!」
「ああ、くれぐれもはしゃぎすぎないようにな。迷惑はかけるなよ」
アクタルクスはペクアトルシアのフードを直しながら言った。口調は叱るようでいて、目元には優しさが滲んでいる。
知れば知るほど彼らは仲の良い親子だった。過保護にも感じる愛情を一身に受けたからこそ、ペクアトルシアはあんなにも素直に育ったのだろう。
「もちろんです! 行きましょうカイトさんっ」
浮足立った少女に歩幅を合わせる。痛いことには変わりないが、整った道の上ということもあって、かろうじて繋いだ手を頼りに歩けていた。
彼女のマシンガントークにも慣れてきて、少し……ほんの少し、会話にも自信が付いてきていた。故に俺は、慢心していたのかもしれない。
「ペクアトルシアさんはさ」
「ペクティアって呼んでください!」
「……ペクティアは、魔法が使えるの?」
彼女はその言葉に大きく目を開く。そして青ざめて、目を泳がせた。繋いだ手が震えている。浅い呼吸を整えようと吐く息が長くなっていく。
そうしてしばらく深呼吸を繰り返したあと、意を決したように口を開いた。
「あのねっ」
「おい」
しかし、少女の声はガラッとした低い声でかき消された。




